倉本聰の代表作がオペラに〜日本オペラ協会《ニングル》新作初演

 ドラマ「北の国から」などで知られる脚本家の倉本聰が1985年に書いた『ニングル』。のちに舞台化もされているこの作品が、日本オペラ協会によってオペラ上演される。作曲は、2005年放送の倉本脚本のドラマ「優しい時間」の音楽をはじめ数々のドラマや映画の劇伴を手がけ、また22年には初めてのオペラ《禅》が好評を博した渡辺俊幸。そして、倉本の信任が厚い吉田雄生がオペラ脚本を初めて手がける。倉本聰作品初のオペラ化としても話題の新作《ニングル》だが、めぐろパーシモンホールで上演される3公演はすべて完売とのこと。初日を前に行われた2月10日・12日出演組の最終総稽古(ゲネラルプローベ)を取材した。
(2024.2/8 めぐろパーシモンホール 取材・文:室田尚子 撮影:寺司正彦)

左:久保田真澄(民吉) 右:中桐かなえ(スカンポ)
左より:須藤慎吾(勇太)、中桐かなえ(スカンポ)、海道弘昭(才三)
中央後方:江原啓之(ニングルの長)

 富良野地方の森に暮らすニングルは、身長が15センチほどの「小さな人間」。富良野岳の麓の村ピエベツに暮らす勇太(ユタ)(須藤慎吾)と才三(海道弘昭)たち若者は、もっと村を豊かにしようと森を開拓して畑にする計画をたてていた。しかし、偶然森で出会ったニングルの長(江原啓之)から「森を伐るな、伐ったら村は滅びる」と警告される。開発計画の中心にいる勇太は今さら計画を反故にできないと、ニングルの存在を否定するが、才三はニングルの言葉を信じたため、次第に村で孤立していく。開発が始まった数年後、村は大洪水に襲われた後に水が出なくなり、ニングルの長の言葉通り危機に陥ってしまう。

左:佐藤美枝子(かつら)

 第1幕、勇太の父・民吉(久保田真澄)が回すおもちゃから流れる風の音で舞台は幕を開ける。「昔は星の音が聞こえた」と歌う民吉には、勇太たちのいう「豊かさ」がわからない。「自然の大切さ」「本当の豊かさとは」といったドラマのテーマが歌われるこの幕開きは実に印象的だ。そのかたわらにいるのは、民吉の死んだ娘・かつら(佐藤美枝子)の娘で、口のきけないスカンポ(中桐かなえ)。このスカンポが、物語を通してのキーパーソンとなる。彼女は勇太や才三と一緒に森でニングルと出会うのだが、最初にニングルの叩く太鼓の音に気づき、さらにはニングルの話す言葉を聞き取ることができるのはスカンポなのだ。「口がきけない」というハンディキャップを持っているからこそ、森の木々やニングルという「見えないもの」と人間との橋渡しのような役割を持ち得ている。スカンポには言葉にはなっていない歌がいくつか与えられているが、中桐は透明感のある歌声でこの役を見事に歌い、演じている。

中央:海道弘昭(才三)
中央:須藤慎吾(勇太)

 勇太にバリトン、才三にテノールが与えられているのも効果的だ。実は勇太とて、森の木を切ることが正しいとは思っていない。ただ生活を守るためにはお金が必要で、そのために開発に手を染めるのだが、その心はいつも引き裂かれていることを、須藤慎吾の切なさを感じさせるバリトンが見事に表現していく。一方の才三は、森を大切にしたいという純粋な思いだけで突っ走ってしまうために最後は破滅を迎えるのだが、海道弘昭のピュアなテノールはハマり役だと感じた。

 演出は、日本オペラ協会公演では《キジムナー時を翔ける》や《源氏物語》で高い評価を得ている岩田達宗。最低限のセットをうまく使い、北海道の自然や人々の暮らしの様子を表現する手腕は相変わらず素晴らしい。舞台上には度々、森の木の精に扮したダンサーが登場する。しかし彼らは人間には見えない。この「見えないもの」と人間たちとの距離感が実に絶妙で、「木は生きているから切られれば“血”を流すけれど、それは人間にはわからない」という内容のテクストを視覚的にも印象づけることに成功している。特に第1幕ラストの才三と木の精とのシーンにはぜひ注目してほしい。

中央:別府美沙子(ミクリ)

 佐藤美枝子はスカンポの死んだ母・かつらとして、第1幕でたいへん美しいアリアを歌う。死者が舞台上に登場する(ただし、いつも人間たちよりも数段上にいる)、というのも作品のテーマに直接関連している。人は目に見えないものは信じないが、しかしこの世には目に見えずとも、そして言葉を発せずとも確かに存在している「いのち」がある。それを「自然」と呼ぶのならば、自然の「いのち」と人間の「いのち」に優劣はないのであり、人間はだからこそすべての「いのち」を守っていかなければならない、というのがこの作品のテーマだろう。第2幕のフィナーレでは、そんな死者たち、木々たち、ニングル、そして人間たちすべてが同じ舞台に登場し、交錯する。そして最後に星が降る音が響くことで、第1幕冒頭の民吉の歌と繋がる。こうして物語はひとつの円環をかたちづくるのである。

 渡辺俊幸の音楽は聴きやすく、また各登場人物に与えられたアリアもそれぞれに美しいメロディを持ち感動的だ。指揮の田中祐子は余計な細工をせず、そのスコアを素直に、丁寧に表現していく。地震や津波、集中豪雨、猛暑など、自然の力を否応なく感じさせる出来事が繰り返し起きている今だからこそ、このオペラのテーマが身近に感じられるに違いない。ぜひ、普段はあまりオペラを観ないという方にも足を運んでいただきたい作品である。

【Information】
日本オペラ協会公演 日本オペラシリーズNo.86
《ニングル》(全2幕)新作初演


2024.2/10(土)、2/11(日) 、2/12(月・休)各日14:00
めぐろパーシモンホール(完売)

原作:倉本聰
作曲:渡辺俊幸
オペラ脚本:吉田雄生
 
総監督:郡愛子
指揮:田中祐子
演出:岩田達宗

出演
勇太:須藤慎吾(2/10, 2/12) 村松恒矢(2/11)
才三:海道弘昭(2/10, 2/12) 渡辺康(2/11)
かつら:佐藤美枝子(2/10, 2/12) 光岡暁恵(2/11)
ミクリ:別府美沙子(2/10, 2/12) 相樂和子(2/11)
スカンポ:中桐かなえ(2/10, 2/12) 井上華那(2/11)
光介:杉尾真吾(2/10,2/12) 和下田大典(2/11)
信次:黄木透(2/10, 2/12) 勝又康介(2/11)
民吉:久保田真澄(2/10, 2/12) 泉良平(2/11)
ニングルの長:江原啓之(2/10, 2/12) 山田大智(2/11)
かや:丸尾有香(2/10, 2/12) 長島由佳(2/11)

合唱:日本オペラ協会合唱団
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

問:日本オペラ振興会チケットセンター03-6721-0874
https://www.jof.or.jp

https://www.jof.or.jp/performance/2402-ninguru