シリーズ第4弾! ベスト・コンビが描き出す緻密な「夜の歌」の世界
文:中村孝義
沼尻竜典がこの3月まで、びわ湖ホールの第2代芸術監督として辣腕を振るったことはご存じの方も多いだろう。その任は実に16年にも及び、わが国で、一つのホールでワーグナーの歌劇・楽劇のうち、現在バイロイト音楽祭で上演される10曲の作品(W10)を完全上演した最初の指揮者となったことはつとに知られるところだ。もちろん上演したのはワーグナーに限られるわけではないが、特に彼の手になる後期ロマン派作品や20世紀作品の上演は稀に見る素晴しい成果を挙げ、わが国でオペラを主催・上演し続けているホールとしては、びわ湖ホールは最高のポジションを占めるに至ったといっても良いだろう。
しかし沼尻が当劇場で収めた成果は、何もオペラ作品に留まるわけではない。その一つが、京都市交響楽団とともに2020年から始めた〈マーラー・シリーズ〉である。沼尻は、かつてびわ湖ホールの開館20周年記念公演(18年9月)で、マーラーの、通称「千人の交響曲」、すなわち交響曲第8番を取り上げたことがあった。この演奏会は、台風に見舞われたため、急遽予定されていた日の前日に前倒しして緊急特別公演の形で上演された。聴き逃した方も少なくなかったのが惜しかったが、恐らくこの時マーラーに対する確かな手ごたえを得た彼は、ここびわ湖ホールで、京響とマーラーの交響曲を順次取り上げていきたいというアイディアが浮かんだに違いない。
その第1弾となる20年8月の公演は、これまた誰も予想さえしていなかったコロナ禍中における上演であったため、当初の交響曲第1番「巨人」を中心にしたプログラムを、より編成の小さな第4番とベートーヴェンの弦楽四重奏曲第11番「セリオーソ」をマーラーが編曲した弦楽合奏版で演奏するというプログラムに変えて行なわれた。シリーズの出発を飾るものとしてはやや物足りなさを残すプログラムではあったが、そこはマーラーに対する思いの深い沼尻が、丹精込めた仕上がりを聴かせ、福原寿美枝(メゾソプラノ)の好唱もあって、続くシリーズへの期待を大いに抱かせるものとなった。21年9月に行われたシリーズ第2弾の公演は、第1回目に予定されていた交響曲第1番と第10番からアダージョが取り上げられたが、さすがに第1回を飾る予定のプログラムであっただけに、力の込めようも尋常ではなく、勢い余ってやや前のめりになるほどの力演で、沼尻がイメージしていたマーラー・シリーズの出発点にやっとたどり着いたという思いが強烈に伝わってくるものとなった。
しかしこのシリーズが、今後尋常ではない凄いものになることを痛感させたのが、この3月に行われたシリーズ第3弾の交響曲第6番の演奏であった。マーラーが残した器楽交響曲の中では、交響曲の伝統的スタイルに最も近づいた作品であるが、ただ単純に伝統を踏襲するだけでなく、随所にこの作曲家ならではのアイディアや語法がいかんなく鏤められ、完成度の高さはマーラー随一ではないかと筆者が思う作品だが、その演奏がとにかく有無を言わせないほどに素晴らしかったのだ。どんな作品でも、全体を完璧に把握し見通しの良い演奏をする沼尻のことだから、当然といえば当然だが、これほど終楽章のクライマックスに向かって、一瞬も弛緩することなく強度の集中力をもって演奏された第6番を実演で聴いたのは初めてであった。もともと筆者の好きな作品ではあるが、さらに惚れ直させてくれるような凄演を展開した沼尻と京響の力量に賛嘆の念を禁じえなかった。彼は明らかに、びわ湖ホールでの16年の大団円を迎えるにあたって、これまで当劇場で培ってきたもの全てを演奏に投入し、一皮むけるほどの大きな飛躍を見せたのだ。
その沼尻が、今後びわ湖ホールの桂冠芸術監督としてこのマーラー・シリーズを続けることになったが、こんなに早く第7番を聴かせてくれることになるとは。この曲は第6番とは異なり、最終第5楽章の在り方が、前4楽章に終結をもたらすものとしては、余りに陳腐として初演以来常に問題とされ、失敗と見做されることも少なくなかった作品である。その意味では、これを聴き応えある作品として纏め上げるのは至難の業なのである。あの第6番の最高級の演奏の後、果たしてこれをどのように解釈、指揮するのか。まさにこの夏注目の演奏会である。マーラー愛好家はもとより、ロマン派音楽に一目置く愛好家なら、これは絶対に聴き逃すことができない。筆者は演奏会が待ち遠しくてワクワクしている。
【Information】
〈マーラー・シリーズ〉沼尻竜典 × 京都市交響楽団
2023.8/26(土)14:00 びわ湖ホール 大ホール
〈出演〉
指揮:沼尻竜典(びわ湖ホール桂冠芸術監督)
管弦楽:京都市交響楽団
〈演奏曲目〉
マーラー:交響曲第7番 「夜の歌」
問 びわ湖ホールチケットセンター077-523-7136
https://www.biwako-hall.or.jp/