今回のゲストは、コンチェルト・ケルン(Concerto Köln)のコンサートマスターにして、ザルツブルク・モーツァルテウム音楽大学バロック・ヴァイオリン科教授としても活躍する平崎真弓さん。5月中旬には、日本でフォルテピアノのクリスティアン・ベザイデンホウトさんとのデュオ・コンサートが予定されています。
4月中旬、ドイツのテューリンゲン・バッハ週間(Thüringer Bachwochen, TBW)に、ベルリン古楽アカデミー(Akademie für Alte Musik Berlin, AKAMUS)のコンサートマスターとして出演されるということで、前日に同じくTBWでリサイタルをおこなっていた当連載プレゼンター柴田俊幸さんとバッハ一族ゆかりの地エアフルト(Erfurt)で落ち合い、対談が実現しました。
♪Chapter 1 コ・ガ・ク・フォーー!
柴田俊幸(S) 平崎さん、はじめまして! お会いできて光栄です! 今日は時間のないなか、本番前にお時間を作ってくださり、ありがとうございます。
平崎真弓(H) 柴田さんも、本番後のお疲れのところ、このような機会を作ってくだりどうもありがとうございます!
S 今日はとっても日本人な2人でエアフルトのタイ飯屋(ベトナム?)からお送りしようと思います(笑)。
H 柴田さんは、子どもの頃にフルートを始めたんですか?
S いや、もともと小学校は野球部、中学校はバスケットボール部で、パワプロで遊び、スラムダンクを見て育ちました(笑)。松井秀喜のテレフォンカードとか祖父にねだって買ってもらってました。
(…平崎さんは、貫禄のあるドイツ語でウェイターにフォーを注文…)
S 平崎さん、たくましくドイツ語喋られるんですね。
H そうですか(笑)そうそう、たくましいと言えば、実は私、小さい頃はとても野球が大好きで。
S 本当ですか!? 推しは?
H 推しはね。。。伊東勤と辻発彦の大ファンでした!
S いい選手たち! パワプロのアレンジチームでずっとお世話になっていました! 西武時代の清原もカッコ良かったですね。
H 実は小学校の時には西武ライオンズのファンクラブにも入っていて、西武球場にもよく観戦に行っていました。もちろんファンクラブの集いにも参加していました(笑)。
S 日本古楽野球連盟発足! メンバー二人から増えるのか。。。僕は小学校の時はキャッチャーでした。とにかく足が遅いのと、動きたくないという理由でした。指の骨折ったりして大変でしたが(笑)
(フォーが到着)
S ドイツ料理だったら、何が一番お好きですか?
H ケーニヒスベルガー・クロプセ(Königsberger Klopse)といって、 昔のプロイセンの料理で、ミートボールにホワイトソースがかかったものです。代表的なレシピは、子牛と豚挽肉の半々ぐらいの中に刻んだアンチョビも入れて作ります。特にクリームソースが特徴的で、ケッパーが入っています!このコンビネーションがなんとも言えない旨味を出しています。あと、今の時期ですと白アスパラガスですよね。
S ベルギーにもありますが、何しろドイツが安すぎてびっくりしています。駅で売ってた白アスパラガスも2束で3ユーロって…価格崩壊。食べ物は音楽家にとって大切ですよね。特に演奏会の前は。
H 私は基本食べ物の話が多いですよ! 生徒もレッスン中でも食べ物の話がなかったら「あれ、先生どうしたんだろう」って心配すると思います(笑) 。美味しいものを食べることは、私たちにとって最も大切なことの一つだと思います。
S 美味しいものを理解するのと、美しい芸術を理解するのは表裏一体。
H レッスンで生徒にいろいろと教えるときにも、音楽や演奏法の表現の比喩としてダイレクトに伝えられるのが味覚です。あと、奏法においても、クヴァンツにしろ、タルティーニにしろ、彼らの本の中にも必ず食べ物の比喩が出てきます! 教則本ってまさにレシピですよね。美味しいものを私だったら、どうやってどのテイストで作るべきなのか、また作れるのか。当時の音楽を知る上で必要不可欠なものですね。
S 音楽の“味覚”って大事ですよね。同じ味覚を持った演奏家たちと一緒に音楽を作るからこそ美しいものができる。
H ベルギー料理だと何が一番好きですか?
S やっぱり牛肉のビール煮込みでしょうか。その横についているフリットも。
H ベルギーってフリットが美味しいイメージです。ベルギーのレーベル Passacaille からもCDをリリースしているのですが、仕事で行くたびに美味しいフリットを食べています(笑)。ドイツとは全然味が違ってびっくりします! あれ、やっぱり2回揚げているからなんですかね?
S EU連合に、不健康だからという理由で禁止されそうになりましたが、我々ベルギーの人の誇りと伝統、ということで今も守られています(笑)。
♪ Chapter 2 「混ぜるな危険」とは限らない?
S モダンのヴァイオリンをしっかり勉強された後に、バロックの方に転向されたと聞きました。
H 物心ついた時からですが、自分が思っているバッハの演奏スタイルが、モダンの楽器ではいまひとつフィットしないと思うことが多々ありました。私自身、よく鍵盤楽器を弾くのですが、重音や声部における音の作り方だったりとか、鍵盤楽器のアプローチから比べると、モダン・ヴァイオリンを弾いていて違和感があることが多かったのです。
自分が表現したいバッハを具現化する上で、まず一番大事だったのが鍵盤楽器との出会いでした。チェンバロとオルガンに出会い、そこから新しいアプローチが始まり、偶然にも(幸いに!)ライプツィヒで行われたバッハ・コンクールが同じ年(2006年)で、人生のターニングポイントにもなる年でした。当時バロック・ヴァイオリンでの参加者はとっても少なかったですし、自分もモダンで受けていたぐらいです。その時に審査員を務めていたメアリー・ウティガー Mary Utiger 先生が教えていらっしゃるミュンヘン音楽演劇大学で勉強するご縁をいただけました。
S もちろん細かい違いはあるにしても、ヴァイオリンという楽器はトランペットやフルートに比べてモダンと昔の楽器との違いが少ないと思います。その中でチン・オフ(注1)は、すごくわかりやすいところだと思うんですが、どのように思われていますか?
(注1)chin-off 楽器を顎あてなしで、顎で挟まずに演奏する奏法
H 古楽でヴァイオリンを演奏する上で、第一関門というのがやはり「チン・オフかどうか」というところに目を当てられますよね。この奏法を試してみることはとても大事なことだと思います。ただ、「チン・オフが正しく、そうでないと正しくない」という見方はちょっと違うと思います。バロックのトランペットでも穴あきか穴なしか、というのがありますよね。トラヴェルソの場合はどうですか?
S バッハのカンタータなのに、よく鳴るスペインやベルギーの楽器を使う例とかですかね?(笑)
H これまでに、いわゆるチン・オフ奏法が主流のさまざまなアンサンブルで演奏させていただきましたが、地域が変わると文化や思考、食べ物と同じでアプローチの仕方がどんどん変わっていくような気がします。ドイツの他のアンサンブルではそれが顕著に表れます。ミュンヘンからケルンに移ってきた時にも、奏法の違う感覚を持つことが多々ありました。
もしかしたら、オランダやベルギーの流派の方々からすると、ひょっとしてドイツで行われている奏法がマナーや流儀にかけていると思われているかもしれませんが…(笑)。やっぱり交流の頻度が増えれば増えるほど、壁がなくなっていく感覚があります。人と人の交流と同じだと思います。
S それは技術的には、どのような点なのでしょうか?
H 特に音を発音・表現する右手(ボウイング)の奏法の違いです。これは、やはり楽器の持ち方とのバランスが非常に関係してきます。言葉(音)の発音する前のイメージの持ち方も、それぞれ住んでいる国・地方によって大きく変わってくると思います。
私の場合は、日本語の次に信頼できる言語がドイツ語、こちらの生活で一番話す言語なのですが、例えば他の国のアンサンブル(オランダ、ベルギー、イタリア、フランスやイギリス等)でバッハに取り組んだときに、発音のアプローチ、特にアーティキュレーションやダイナミクスのかけ方の違いに、しばしば驚かされました。しかし、そこからまた違うニュアンスを学ぶことができます。
ベルリン、ケルン、フライブルク、そしていま自分もここ数年よく演奏させていただいているシュトゥットガルトのバッハ・アカデミーのスタイルを比べると、どこもびっくりするくらい違う語法をもっています。ですから、私の中ではそのアプローチを否定するわけでもなく、否定されるべきでもないのかなと思っています。
S ということは、技術的な作法に違いがあることを意識した上で演奏されているんですか?
H はい、もちろん意識しています! 当時の技術の再現も大事なことの一つですが、作品そのものにおいて自分が表現したい音楽を自分の体を通して創ることに向かっていくプロセスが大変興味深く、そこに到達するための手段に様々な技術が必要だと思うんですよね。
ドイツ語圏の中では „der vermischte Geschmack“ という、特にフランスとイタリアの様式が混ざり合ったテイストをあらわす表現があります。例えばムファット、クヴァンツ、ピゼンデル、テレマンがそれぞれこのような「テイストや様式が混ざった」音楽を意図的に作曲しました。クヴァンツも „der vermischte Geschmack“ というのは „der deutsche Geschmack“ (=ドイツのテイスト)とも言えるとも述べています。それ以前もその後も、テイスト・様式が混ざるというのは、他国の影響を受けて文化が画期的に発展していく上で必要不可欠なことだったと思います。
S 混ざることは決してネガティヴなことではありませんよね。ムファットは平和主義者なので、様式の統合が「戦争ではなく、親愛なる平和へのプレリュード(前奏曲)となる」と好意的に述べていますもんね。
H そう! いいことですよね。イタリア人にするとイタリアの誇りがあって、フランス人にするとフランスの誇りがあって、ドイツ人も然り。その中で様式が生まれていっているところなのかもしれません。
今日のドイツでは、いろんなスクール(流派)が混ざっているように思います。バーゼルで勉強して戻ってくる人、ハーグやブリュッセルで勉強して戻ってきた人などなど…。それだけ古楽への興味がどんどん増えていっているのだとも思います。私がモダン・ヴァイオリンを勉強した時は、副科の現代曲の授業が必修でしたが、古楽は自由選択科目でした。今の学校のカリキュラムはどんどん変わってきています。その中でも、今回ご一緒させてもらっているベルリン古楽アカデミー(AKAMUS)との共演では、また一味違ったテイストを味わわせていただきました。
S 「誇り高きベルリン!」って感じでしょうか。勝手なイメージです(笑)
H ケルン、フライブルク、シュトゥットガルトと、これまでに色々なアンサンブルでも共演していますが、ベルリンはまたスクールの混ざり具合が違う新鮮な音作りでした。
AKAMUSはバッハの息子の一人であるカール・フィリップ・エマヌエル・バッハのシンフォニーの録音をずっと作り続けており、今年の初めに行われた一番最後の録音に招待していただき、そこでこのオーケストラの強みと底力に触れることができました。やはりプロイセン、ベルリンの気質というか、血の流れている音楽というか、ビビッと熱い電流みたいなものを!
テクスチュアの作り方が、私の辞書にはなかった。冒頭で柴田さんが今回のインタビューのフォーのお店でおっしゃったように、私が話しているドイツ語と彼ら(エアフルトの店員さん)の話すドイツ語は違う、というのを、彼らの音楽からすごく感じました。
S どんな違いだったんですか?