「音」と「テクスト」を徹底的に楽しむ新企画がスタート
取材・文:宮本明
神奈川フィルハーモニーが新たなプロジェクトを始動する。“Dramatic Series”。セミステージ形式によるオペラ・シリーズだ。国内外で豊富なオペラ経験を持つ第4代音楽監督・沼尻竜典らしい注目企画の第一弾はR.シュトラウス《サロメ》。沼尻に訊いた。
「テクストと音楽が一体化しているのがオペラ。オーケストラに、より多くの栄養を取り込むことができます」
沼尻と神奈川フィルはすでに、2007年から10年間、「神奈川県民ホール・オペラ・シリーズ」でともにオペラに取り組んできた。オペラと向き合い続けることは、オーケストラのさらなる成長につながるという。
「たとえばモーツァルト。《フィガロの結婚》第3幕の伯爵夫人のアリアは明るい長調(ハ長調)で書かれていますが、実際には『あの素晴らしかった時はどこへ行ってしまったの?』と悲しみを歌っています。そういうものが、たとえば交響曲第41番『ジュピター』の第2楽章緩徐楽章の♪ファードラーソファミ~というヘ長調の主題にも通じていて、そこにやはりなにか悲しみがあるんじゃないかと考えられるわけです。
オペラをやっていると、音楽の行間が読めるようになる。オーケストラがより表情豊かに変貌するのです。
以前、名古屋フィルと《蝶々夫人》を演奏会形式で上演したことがあるのですが、第3幕で客席からすすり泣きが聞こえました。普通のコンサートですすり泣きってあまりないですよね。うまくやれば、演奏会形式でも舞台上演とほぼ同じ感動が得られる。今回はシュトラウスの音楽の素晴らしさに集中していただければと思います」
シリーズ第1弾として《サロメ》を選んだ。
「シュトラウスの一番人気のオペラ。一定限度を超えた狂気があって、その表現の幅が非常に魅力的です。演出なしで、オーケストラの音色でそれを表現できればと思っています」
オーケストラが舞台上で演奏するため、各楽器がよく聴こえるというメリットがある一方、歌との音量的なバランスは、ピットでの演奏よりも難しくなる。しかも大編成の《サロメ》。
「オーケストラが大編成なので、ピットで演奏する時でもバランスは難しい。歌手を最後まで疲弊させないようにするのにも気を使います。
たとえばびわ湖ホールのセミステージ上演でワーグナーをやった時は、金管を真横に向けて配置したんです。ピット並びですね。そうすると明らかに音がマイルドになって、声は客席に届きやすくなる。ホールによっても違うし、いろんなやり方があって、どれがベストという決め手はないんですけど、今まで経験してきたさまざまなノウハウをいかせればいいなと思っています」
オール・ジャパンのキャストが集結
キャストには充実の日本人歌手たちが揃った。
「所属しているオペラ団体などに関係なく、分け隔てなく出てもらうという、びわ湖ホールでもやっていた方針を堅持しているということかな。いわばオール・ジャパン・オペラ。一定の役割を果たしてきたと自負しているので。そのスタイルを踏襲していきます。どこかひとつの団体におまかせ、ではないので事務作業の手間は増えるんです。でも、それを嫌がってたらオール・ジャパンのオペラができない。そこはちょっと強く言いたい。日本のオペラのレべルを上げるためには、そういう手間を厭わない、制作側の努力も必要だということですね。
海外からスーパースターを招聘したりはしませんが、日本人キャストによるチームワークでお聴かせしたいと思っています」
題名役のサロメに田崎尚美、ヘロデに福井敬。ヘロディアスに谷口睦美、ヨハナーンに大沼徹。
「田崎さんはいま日本のドラマティック・ソプラノの中では一番売れっ子。彼女はびわ湖ホールのオペラでカヴァー・キャストから始めて、だんだん主役を取るようになっていった人です。僕がサロメに求めるのは、役になりきって没入できること。それと、オーケストラにかき消されないドラマティックな声を持っているということですね。
福井さんはずっとかっこいい役をやってきた人ですけど、この役はエロおやじ(笑)。キャラクター・テノール的な要素のある役を彼がやるというのは面白くて。とても期待しています。
谷口さんの深い声は、こういうちょっと怖い役に向いています。たとえば《ローエングリン》のオルトルートなんかも素晴らしい。サロメにエロい視線を送る夫に対する苦々しい思いだとか、そういう、表現の幅がとてもあります。
ヨハナーンは声だけでも聴かせなければならない役。声だけで絵になるという人じゃないと。大沼さんはたいへん適役です。
井戸の底から歌うヨハナーンをどこで歌わせるかは、会場に入ってから最終決定しますが、去年東響さんの演奏会形式でP席で歌わせたのも良い選択でしたよね。あの時、僕は指揮が見たくてP席で聴いていたのですが、ヨハナーンが僕のすぐ後ろでした。いい声だったけど、近すぎてちょっとうるさかった(笑)」
さらに、清水徹太郎のナラボート、山下裕賀の小姓、その他脇を固めるのも小堀勇介、山本康寛、大山大輔、斉木健司など、普段は主役を歌う歌手が配された贅沢な布陣だ。
オペラのもつ音楽の素晴らしさを伝えたい
「セミステージ形式」は演奏会形式に多少の演出を加えた上演形態だが、演出要素をどの程度加えるかは千差万別だ。
「今回は多少の照明を入れる予定。歌手には暗譜で歌ってもらわなければと思っています。ただ衣裳はつけません。結局どこまでやるかという話なのですが、衣裳をつけたら今度はサロメが脱がなければいけなくなってくるし(笑)」
1998年に新国立劇場が開場して、本格的なオペラ上演も以前より身近になったが、セミステージ形式や演奏会形式には意義があると説く。
「日本は全国各地に劇場があるわけではないですが、それでもオペラの音楽の良さを伝えたい。装置も衣裳もメイクも、となれば莫大な予算を組まなければなりませんから。
それに無名のオペラなんて、いきなり舞台形式で上演するのは非常にリスクが高いですけど、この形式なら少し低リスクでできるということもあります。たとえばプッチーニだって、《トスカ》《ボエーム》《蝶々夫人》《トゥーランドット》だけじゃないですからね。そういう作品を演奏会形式で取り上げることで、こんなに良いオペラがあったんだ!と盛り上がって、次はステージでやるなんてこともできるかもしれませんよね」
そんな次回以降の展開も注目の神奈川フィルの“Dramatic Series”。今回は京都市交響楽団、九州交響楽団との共同制作で、それぞれの定期演奏会でも沼尻が指揮して上演される。全国のオーケストラや劇場との連携も、今後さらに広がるかもしれない。新たなシリーズのスタートに大いに期待したい。
ドラマでも活躍した神奈川フィル
今年1~3月に放映されたTVドラマ『リバーサルオーケストラ』(日本テレビ系列/門脇麦主演)。ドラマ全体の主役ともいえる「児玉交響楽団」として、神奈川フィルが毎回出演していたことはご存知だろう。反響は絶大だった。
「Twitterのトレンド入りしてましたからね。オーケストラがトレンド入りってなかなかないですよ。コンサートのお客さんが全員ツイートしてくれても2,000件。テレビの力は絶大ですね。神奈川フィルを身近な存在として感じてくれた方もいらっしゃるので、これでお客さんが増えるといいなと思っています」
最終回には「オケ対決」の審査員役で自らも出演した。
「実は僕は学生時代、ドラマのアルバイトをいくつもやってまして。指揮の指導とか、ピアノの手の吹き替えとか。たのきんトリオの野村義男さんが小澤征爾さん役を演じた時も(1982年、ドラマ『ボクの音楽武者修行』)、僕が指揮指導したんです。でもドラマの現場が当時とはだいぶ様変わりしていて。待ち時間も少なくて、楽しかったですよ。
出演したオーケストラのメンバーも楽しんでいたみたいです。神奈川フィルのいいところですね。劇中の児玉交響楽団みたいな、もともと家族的なオーケストラですから、適役だったと思います。オーケストラって、現代のドライな社会と違って、連帯感とか、もうすこし濃い人間関係があるんです。そういうところが自然に、うまく作ってあるドラマだなと思って見ていました。
いっそ神奈川フィルも『玉響』に改名したら、お客様がもっと増えるかもしれません(笑)」
神奈川フィルハーモニー管弦楽団
Dramatic Series
R.シュトラウス/歌劇《サロメ》 セミステージ形式
2023.6/24(土)17:00 横浜みなとみらいホール
指揮:沼尻竜典(音楽監督)
サロメ:田崎尚美
ヘロデ:福井敬
へロディアス:谷口睦美
ナラボート:清水徹太郎
ヨハナーン:大沼徹
小姓:山下裕賀
ユダヤ人1:小堀勇介
ユダヤ人2:新海康仁
ユダヤ人3:山本康寛
ユダヤ人4:澤武紀行
ユダヤ人5:加藤宏隆
ナザレ人1/カッパドキア人:大山大輔
ナザレ人2:大川信之
兵士1:大塚博章
兵士2:斉木健詞
奴隷:松下美奈子
S席¥8000 A席¥6000円 B席¥4000円
問:神奈川フィル・チケットサービス045-226-5107
https://www.kanaphil.or.jp