能声楽家・青木涼子が示すヨーロッパ現代音楽のいま

コンテンポラリーシーン最前線で“謡”が拓くあらたな地平

文:江藤光紀

 独特な抑揚を持った能の謡(うたい)を現代音楽に接続し、作曲家たちの想像力を刺激して新しいシーンを切り開いている青木涼子。その活動は世界の注目を集め、今やロイヤル・コンセルトヘボウ管をはじめとするトップオーケストラや有名国際音楽祭にひきもきらさず招かれている。
 そんな各地を飛び回る大忙しの日々を過ごす青木が、自ら主宰するコンサートシリーズで、現在、欧州の最前線に立つ、あるいは今後を嘱望される作曲家たちの創造を展望する。「ヨーロッパ現代音楽の潮流と能声楽」と題されたこのコンサート、もちろん青木自身がかかわる初演・再演作を含んではいるが、ミュージック・アドヴァイザーに細川俊夫を迎えることで、より幅の広い、聴きごたえのあるラインナップが組まれた。

青木涼子(c)Ryo Hanabusa

 今回、青木が世界初演するのは女性作曲家による2曲。謡とヴィオラの二重奏を作曲するクリスティーナ・スザークは1996年生まれの若手だが、作品が各地で演奏されているだけでなく、コンセプチュアル・パフォーマンス・アーティスト、音楽学者としても活躍し、めきめきと頭角を現している。今回の作品も青木の身体性をヴィオラと共鳴させる、驚くべきアイディアを披露してくれるのではないか。
 謡と室内オーケストラが協奏する新作「般若」を寄せたのは、ルーマニアの音楽シーンで要職を担うディアナ・ロタル。般若は嫉妬や恨みを持つ女性の怨霊だが、ロタルには半覚醒状態や夢、女性心理をテーマにした作品もあるというから、このテーマにどんなふうにせまるのか、たいへん興味深い。
 青木はもう一つ、ミラノ生まれのフェデリコ・ガルデッラが2017年から翌年にかけて作曲した「二つの魂」も再演する。この作品は死んだ男女の霊が僧侶の弔いによって恋を成就させるという世阿弥の謡曲「錦木」に基づくもので、神秘的な物語を鮮やかなオーケストレーションで彩っている。青木は本作を2018年にフィレンツェ五月音楽祭管と初演し、さらに翌年、室内オケ用に編みなおしたバージョンを広響と演奏した。今回は室内オケ版。

左より:クリスティーナ・スザーク、ディアナ・ロタル(c)Florin Ghenade、フェデリコ・ガルデッラ

 さて、残りは欧州現代音楽界の現在と今後を映し出す3曲だ。スロヴェニア出身でマティアス・ピンチャーらに学んだニーナ・シェンクは1982年生まれで、近年はオペラにオーケストラにと精力的に作品を発表している。フルート、ハープ、クラリネット、弦楽四重奏のための「Baca」は、ベルリン・フィルのメンバーによって2018年にBBC Promsで初演された。透明感のあるテクスチュア、デリケートな響きの綾を編んでいるが、タイトルは古代に作られたガラスのビーズを指すラテン語で、強さと壊れやすさという相反する性質を表しているという。
 フランチェスコ・フィリデイの「アナーキスト・セランティーニの葬儀」(2006)は、1972年5月に起こった反ファシストデモに参加して命を落としたフランコ・セランティーニへのオマージュ。6人の奏者が机に両手をつき、小さな身振りや呼吸で静かにコミュニケートしながら始まるが、やがて絶叫しながら激しく机を叩くパフォーマンスへとエスカレートする。そこには不条理、理不尽さへの抵抗のようなものが感じられる。フェリデイは2019年にパリのオペラ=コミック座で初演されたオペラ《L’inondation》が大成功をおさめるなど、すでに現代音楽シーンで確固たる地位を占めている重要な作曲家だ。

左:ニーナ・シェンク 右:フランチェスコ・フィリデイ

 今回、ミュージック・アドヴァイザーとしてコミットしている細川俊夫からは、ヴァイオリン独奏曲「エクスタシス」。表題は「脱自」、つまり自分の枠、エゴを超えて存在のカオスへと至る衝動的な欲望を表しているという。強いエネルギーを内に秘めたヴァイオリンが、空間を狂おしく駆ける。庄司紗矢香の委嘱で2016年に初演されたが、今回は2020年に改定されたバージョンだ。(ただし曲順はガルデッラ→シェンク→スザーク→フィリデイ→細川→ロタル)

細川俊夫(c)Kaz Ishikawa

 青木は細川のオペラ《二人静-海から来た少女-》をパリで初演しており、この作品は昨年のサントリーホール サマーフェスティバルでも再演されたから、記憶に新しい方も多いだろう。能を題材にすることで細川の創作はより情念的なものを孕むようになったが、「エクスタシス」にも、そうしたものが現れているのかもしれない。

 さて、今回の演奏会の見どころとして、もう一つ、豪華な演奏陣にも注目したい。細川作品などでヴァイオリンを弾く成田達輝は、その名を世界に知らしめたエリザベート王妃国際音楽コンクール(2012年)で酒井健治のコンチェルトを鮮やかに演奏してみせた。最近も一柳慧の遺作となった協奏曲を熱演するなど、現代物の評価も高い。
 スザーク作品他でヴィオラを弾く原裕子は、古楽から現代音楽まであらゆる様式に精通し、フェスティバル・イロンデルの芸術監督を務めるなど、ヨーロッパの音楽シーンで存在感を増している。成田と原はフィリデイ作品では他のメンバーとともに、楽器を置いてパフォーマンスも披露する。
 優れた演奏者が結集した特別編成室内オーケストラを指揮するのはキハラ良尚。パワーあふれる元気な指揮姿が、10月に行われた《浜辺のアインシュタイン》(フィリップ・グラス)の30年ぶりの本邦再演を成功に導いた。

左より:成田達輝(c)Marco Borggreve、原裕子(c)Franziska Strauss、キハラ良尚

 能と現代音楽の接点に生まれた作品を中心に、若手や女性作曲家にも目配りした欧州最前線の創作の広がりを、今を時めくプレイヤーたちの演奏で楽しみたい。

能声楽家・青木涼子コンサートシリーズ「ヨーロッパ現代音楽の潮流と能声楽」
2022.12/21(水)19:00 紀尾井ホール

フェデリコ・ガルデッラ:「二つの魂/Two Souls」謡と室内オーケストラのための(2017/18)
ニーナ・シェンク:「Baca」フルート、ハープ、クラリネット、弦楽四重奏のための(2018・日本初演)
クリスティーナ・スザーク(1996-):「新曲」謡とヴィオラのための(委嘱・世界初演)
フランチェスコ・フィリデイ:「アナーキスト・セランティーニの葬儀/I Funerali dell’ Anarchico Serantini」6人の奏者のための(2006)
細川俊夫:「エクスタシス(脱自)/Extasis」ヴァイオリンのための(2016/20)
ディアナ・ロタル:「般若/Hannya」謡と室内オーケストラのための(委嘱・世界初演)

青木涼子(能声楽)
成田達輝(ヴァイオリン)
原裕子(ヴィオラ)
キハラ良尚(指揮)
特別編成室内オーケストラ

ミュージック・アドヴァイザー:細川俊夫

問:AMATI03-3560-3010
https://www.amati-tokyo.com