【GPレポート】日本オペラ協会《咲く~もう一度、生まれ変わるために~》

自分がいつまでも輝くために~最高に力をあたえてくれるオペラ

 FIFAワールドカップで日本は強豪ドイツを破り、全国が歓喜に湧いた。もちろん選手たちには最大の賛辞を贈りたいが、その陰では、期待されながら選ばれなかった選手から、ケガで断念した人、頑張っても結果が出なかった人まで、幾多の涙が流れている。むしろ、世の中はそんな人が大半だが、勝ち負けなどいったん忘れて走り続ければ、必ずまた、そしていつまでも「咲く」ことができる――。スポーツがテーマのオペラ《咲く》は、そんな生きる力を授けてくれる。筆者も大いに授けてもらった。公演日は11月25日14時、18時、26日13時。25日14時と26日の組の最終総稽古(ゲネラルプロ―ベ)を取材したが、軽やかでいて、じつに力強い舞台だった。
(2022.11/24 としま区民センター多目的ホール 取材・文:香原斗志 撮影:寺司正彦)

中央:丹呉由利子(飯田聡子)
左より:芝野遥香(桜)、佐藤みほ(飯田貴美子)、立花敏弘(飯田俊幸)

 短い序奏をへて、メゾソプラノ、ソプラノ、テノール、バリトンと声が重なる。メロディに抒情性があふれ、現代の音楽にありがちなてらいがないのが心地いい。その心地よさは終幕まで途絶えなかった。この《咲く》(作曲は竹内一樹、台本は宇吹萌)は文化庁委託「日本のオペラ作品をつくる~オペラ創作人材育成事業」で選出されて高い評価を受け、一昨年にコンサート形式で演奏されたが、本格的な舞台上演はこれがはじめてである。

 都内にある飯田家。国体で優勝したランナーの聡子は、父の俊幸もめざしたオリンピック出場が目標だったが、激しいトレーニングの末に足を痛め、引退に追い込まれていた。舞台は、俊幸が病死した2018年からはじまる。

 聡子らはあと3カ月で、生まれ育った家を庭の桜の木も一緒に売却し、立ち退かなければならない。そこで場面は10年前の夏に切り替わる。聡子は仲間たちから国体優勝を讃えられ、自己ベスト更新をめざして練習を重ねている。彼女は独唱で「走っていると無心になれる」と歌う。

左:渡辺康(タロー)

 このオペラはこうして要所にアリアが置かれている。それぞれメロディはクラシカルに抒情的だが、いずれの人物が歌うのもその時点における本気の感情で、歌われる必然性が感じられる。だから聴いていて、アリアのたびに感情移入を強いられる。

 そのころ飯田家の庭の桜が病気になり、聡子の母の貴美子は伐ろうと提案するが、俊幸が枝を上手に切って枯れずにすんだ。桜も擬人化され、切実なアリアを歌うのも効果的だ。そのころ聡子は足が慢性的な肉離れを引き起こし、休養を余儀なくされる。桜と聡子の境遇が重ねられているのだ。

 そんな聡子を励ますのが友人のタローであり、父の俊幸だ。俊幸の「自分に優しく勝てばいい、優しく勝つと書いて優勝だ」という言葉が心に刺さる。しかし、母の貴美子は、聡子が陸上競技に関わること自体をやめさせたい。かつての夫の葛藤が忘れられないのだが、そうした感情の一つひとつにリアリティがある。

適材適所の自然で心地よい歌唱

 休憩をはさんで演奏された間奏曲は、不安な状況を暗示する。案の定、10年をへて俊幸はすでに車椅子で、聡子は競技を捨て、ツアーコンダクターになっている。

 そこにタローが現れ、「一緒に走ってみない?」と誘うが、聡子は「もう散りたくない」のだ。切実な心境だろう。しかし、仲間たちもやってきて「走っていると景色が変わる」と促し、天国に発った父も「勝つとか負けるとかいったん忘れて、走り続けてほしい」と訴える。かつては娘を陸上から遠ざけようとした母の貴美子も、俊幸の思い出のシューズを聡子に授ける

 聡子の気持ちもようやく前を向き、「立ち止まっていても景色はなにも変わらない」と独唱を歌う。その感情が抒情的なオーケストレーションで盛り上げられ、感動を呼ぶ。

 そして2019年早春、いよいよ思い出の家が解体される日だ。桜が「私は姿を失うけれど、日向となってあなたを照らす」と歌う。聡子も「また咲くために」走り続けることを決心し、合唱もふくめた全員のアンサンブルで「ここに咲く」と歌われる。背景のLEDの画面から、桜の花が迫ってくる(演出は齊藤理恵子)。

 筆者も昨年、自分が育った家を庭木ごと売却せざるをえず、苦しい思いをした。いまも家のこと、木々のこと、両親のことを、喪失感とともに思い出さない日はない。それでも前を向かざるをえないが、失われたのではなく、日向になって照らしてくれているんだ。だから咲けるんだ――。音楽に包まれながらそんな気持ちになり、涙があふれ出した。

 丹呉由利子(メゾソプラノ)は、力みがない自然な歌唱だからこそ、聡子の葛藤にも気づきにも深い説得力が与えられた。タロー役の渡辺康(テノール)はイタリア仕込みの輝かしい声で、聴いていて常に心地よい。芝野遥香(ソプラノ)も桜の木になりきった。俊幸役の立花敏弘(バリトン)と貴美子役の佐藤みほも、なにより役に合っていた。平野桂子指揮のSAKU室内オーケストラも、やわらかく、力強く盛り上げた。

 このオペラには、われわれに身近で、だれもが大切にしたいと願いながら、時に忘れかねない感情が詰まっている。それらがこうして自然体で表出されるから、なおさら心に刺さるのである。

Information

日本オペラ協会公演 室内オペラシリーズNo.2
《咲く ~もう一度、生まれ変わるために~》ニュープロダクション オペラ全1幕

2022.11/25(金)14:00 18:00、11/26(土)13:00
としま区民センター 多目的ホール

総監督:郡 愛子
作曲:竹内一樹
台本:宇吹 萌

指揮:平野桂子
演出:齊藤理恵子

出演
飯田聡子:丹呉由利子(11/25 14:00,11/26) 長島由佳(11/25 18:00)
桜:芝野遥香(11/25 14:00,11/26) 相樂和子(11/25 18:00)
タロー:渡辺 康(11/25 14:00,11/26) 黄木 透(11/25 18:00)
飯田俊幸:立花敏弘(11/25 14:00,11/26) 大塚雄太(11/25 18:00)
飯田貴美子:佐藤みほ(11/25 14:00,11/26) 吉田郁恵(11/25 18:00)

合唱:日本オペラ協会アンサンブル
管弦楽:SAKU 室内オーケストラ

問:日本オペラ振興会チケットセンター03-6721-0874
https://www.jof.or.jp
https://www.jof.or.jp/performance/2211_saku/