INTERVIEW コハーン・イシュトヴァーン

クラリネットの無限の可能性を探求する長い旅

文:八木宏之

 ハンガリー出身のクラリネット奏者、コハーン・イシュトヴァーンが日本での演奏活動をスタートして来年で10年となる。2013年に来日したコハーンは、東京音楽コンクール、日本木管コンクール、日本音楽コンクールで次々と優勝を果たし、衝撃的な日本デビューを飾った。以来クラリネットのソリストとしてはもちろんのこと、作曲家、編曲家、教育者、プロデューサーとしても幅広く活躍し、写真や映像の領域でもその才能を発揮している。類まれな才能に恵まれたコハーンだが、既存のレールに沿って王道的キャリアを重ねることは選ばず、今の時代に音楽家が求められていることはなにかを常に考え、新しいことにチャレンジし続けてきた。

 そんなコハーンの新たなビッグ・プロジェクト「クラリネット・アンソロジー」が今年8月に始動した。2ヵ月に1度のペースで、1時間のリサイタルを続けるこのシリーズでは、今後数年をかけてクラリネット・ソロのためのすべてのオリジナル作品を取り上げていくという。クラリネット奏者の父の背中を見て楽器を手にした幼少期から今日まで、コハーンが演奏してきた多種多様なクラリネット作品を広く人々に知ってもらいたいというのがこのプロジェクトのコンセプトだ。

 「クラリネットは人間の声のような楽器で、私は幼い頃からこの楽器に夢中になり、クラリネットの持つ力をずっと信じてきました。『クラリネット・アンソロジー』を通して、この楽器でなにができるのかを、ひとりでも多くの人に知ってもらいたいのです。世界にはたくさんの素晴らしいクラリネット作品があり、作曲家たちは一人ひとり違ったアイディアで、この楽器の魅力を引き出しています。私はさまざまな役を演じる俳優のように、作品ごとに異なるキャラクターを皆さまにお伝えしていきます。このコンサートに来てくださる方が、クラリネット音楽と恋に落ちることを願っています」(コハーン・イシュトヴァーン、以下同)

 私は10月16日に行われた「クラリネット・アンソロジー」の第2回を聴いたのだが、そのリサイタルはコハーンの言葉通り、ひとりの俳優が何役も演じわける舞台を鑑賞しているかのような体験だった。その日演奏されたのはすべて、パリ音楽院の試験課題曲として作曲された作品で、プログラムにはドビュッシー、ピエルネ、ショーソンからラボー、メサジェ、ヴィドール、ルフェーヴルまで、19世紀、20世紀のフランスの作曲家たちの名前が並んだ。試験の課題曲ゆえ、どれも奏者の演奏技術に主眼が置かれた作品だが、コハーンは研ぎ澄まされたテクニックを土台としながら、超絶技巧の披露にはとどまらない色彩豊かな演奏を聴かせた。クラリネット吹きではない自分にも楽しめるだろうかという不安は杞憂だった。ドビュッシーの「ラプソディ」第1番以外は知らない作品ばかりだったが、奏者の実力をあぶり出す試験課題曲の数々から、コハーンは作曲家たちの個性を浮かび上がらせていった。コハーンの手にかかると、シンプルなスケールの連続から、いろいろな物語が聞こえてくる。課題曲を書いた作曲家たちも、作品がこれほど音楽的に演奏されることは想像していなかったのではないか。そう思わせるほどの千両役者ぶりを発揮したパフォーマンスだった。コハーンがその才能を絶賛する俊英、嘉屋翔太の饒舌なピアノもリサイタルにさらなる奥行きを与えていた。

 私が夢中になったように、「クラリネット・アンソロジー」はクラリネット愛好家でなくとも、音楽好きなら誰もが楽しめるコンサートだ。コハーンのリサイタルがいつもそうであるように、曲間にはコハーンのユーモアに満ちたトークが挟まれ、60分の間、日常から切り離された楽しい時間を過ごすことができる。会場のドルチェ楽器のアーティスト・サロンは座席数100の贅沢な空間なので、普段のコンサートより演奏家との距離が近いことも魅力である。

 そんな「クラリネット・アンソロジー」の第3回は12月11日に開催される。テーマはコハーンの故郷「ハンガリー」だ。

 「ハンガリーの音楽は世界中のあらゆる音楽のなかでもっともエキサイティングなもののひとつです。ハンガリーの人々の間で何世代にもわたって受け継がれてきたハンガリー音楽は、情熱的で、叙情的で、ときに快活で、リズミカルです。ハイドン、ブラームス、リスト、ラヴェル、バルトークがハンガリーの民謡に感動し、自作で用いたのには理由があるのです。20世紀の素晴らしいハンガリー音楽をぜひ聴きに来てください」

 自身のアイデンティティというべきハンガリーの音楽で、コハーンはどんな演奏を披露するのか。きっと身体の芯まで熱くなるような音楽を聴かせてくれるに違いない。「クラリネット・アンソロジー」の旅路はまだまだ続く。あなたもコハーンのクラリネットと共に、様々な国や時代を旅してみてはいかがだろうか。

クラリネット アンソロジー
2ヵ月に一度の日曜ランチタイムコンサート
各日12:30開演(12:00開場)アーティストサロン“Dolce”東京
チケット 2,000円


クラリネット:コハーン・イシュトヴァーン
ピアノ:嘉屋翔太

12/11(日)「Vol.3 ハンガリー作品」

ヴェイネル/ハンガリー舞曲
ヴェイネル/バラッド Op.8
ヴェイネル/『2つの楽章』
バルトーク/ルーマニア舞曲
バルトーク/3つのチーク県の民謡
コーカイ/4つのハンガリー踊り
ヒダシュ/幻想曲

2023.2/19(日)「Vol.3 ウェーバーと同世代作品」

ウェーバー/グランド・デュオ・コンチェルタント
ウェーバー/「ジルヴァ―ナ」の主題による変奏曲 op.33
ウェーバー/小協奏曲(コンチェルティーノ)Op.26
ブルグミュラー/クラリネットとピアノのための二重奏曲

問:ドルチェ楽器 管楽器アヴェニュー東京03-5909-1771
tokyo-wood@dolce.co.jp
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