
今年の「東京オペラシティの同時代音楽企画『コンポージアム』」は、クラリネット奏者、作曲家、指揮者として世界的に活躍するイェルク・ヴィトマン(1973〜 )をフィーチャー。7月9日の公演では、日本初演となる《バビロン組曲》を含め、それぞれ作風の異なる3つの管弦楽作品がヴィトマン自身の指揮で披露されます。マルチな才能をもつヴィトマンとは何者なのか? 音楽学者の沼野雄司さんと音楽ライターの小室敬幸さんが語り合いました。前後編2回に分けてお届けします。

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親しみやすいのに、安っちくない
小室 沼野さんは以前、2020年に「今や世界中でひっぱりだこのクラリネット奏者/作曲家であるイェルク・ヴィトマン。最初に曲に接した時には、どうしてそこまで人気が…?とやや不思議だったのだが、前回〔2018年1月14日〕のトッパンホールにおけるソロ・リサイタルを聴いて、深く納得した」と書かれていましたね。
沼野 あ、一応言っとくけど、それ以前も別にネガティブな評価だったわけじゃないんですよ(笑)。でも無伴奏のリサイタルを聴いて、ちょっと度肝を抜かれたんです。まずクラリネット奏者がソロで一晩やるっていうこと自体が驚異的ですよね。ピアノ、ヴァイオリン、チェロとかならよく見かけますけど、クラリネット1本で2時間のコンサートが成り立つのか? 正直にいえば「大丈夫かいな」と思っていたんだけれども、それが見事にひっくり返された。

小室 トッパンホールでは2015年にもハーゲン・クァルテットとともに出演しているんですけど、2018年はその無伴奏が1月にあって、自作以外の無伴奏作品も披露して演奏家としての圧倒的な実力と存在感を示した。そして8月にはサントリーホールのサマーフェスティバルのテーマ作曲家にもなっていたので、作品が日本でまとめて紹介されたタイミングでもありましたね。
沼野 彼の無伴奏クラリネット作品はもちろん、様々な特殊奏法が多用されているんだけど、もはやただの特殊奏法じゃないんですよ。僕は「特殊な特殊奏法」って呼んでいます(笑)。でも実をいえば、作曲家としてのヴィトマンが本当にすごいなと思ったのは、むしろヴァイオリンのソロなんです。
小室 それは2018年のサマーフェスティバルで演奏された《エチュード第1巻》(1995、2001、2002)のことですか。
沼野 そう。特別に優秀なクラリネット奏者だから、クラリネットで面白いものが書けるっていうのはある意味では自然だと思うのだけど、ひとつの楽器に秀でた人は、他の楽器でもこういうことができるのかと・・・。パガニーニ以降のヴァイオリン曲の系譜に、はっきりと残るような作品だと僕は思っています。
小室 その時に演奏をしていたヴァイオリニストのカロリン・ヴィトマンは、イェルクの実妹なんですよね。弦楽器の書法は妹から習ったと本人は語っています。

沼野 小室さんにとってヴィトマンはどんな存在ですか?
小室 録音で作品には触れていましたけど、実際に本人の演奏を聴いたのは少し遅くて2023年3月のトッパンホールでした。自作以上にカルテット・アマービレと共演したウェーバーのクラリネット五重奏曲が強く印象に残りましたね。クラリネット奏者にとってウェーバーは協奏曲を避けては通れないでしょうけど、あくまで奏者の名技を際立たせるヴィルトゥオーゾ的な音楽だと考えていたんですね。ところがヴィトマンとアマービレの演奏を聴いて、率直に「ウェーバーってこんな面白かったっけ?」と思いました。技巧性だけではないユニークなアイディアが散りばめられた、同時代の中期ベートーヴェンと並べても負けない個性的な音楽なのだと考えを改めました。そういえばアマービレとは初共演だったそうですけど、ヴィトマンに気に入られてベルリン公演にも帯同していました。ヴィトマン自身にとっても満足のいく演奏会だったんでしょうね。
ヴィトマンの自作でまず驚いたのは冒頭の弦楽六重奏曲《1分間に180拍》が、20歳の年に書かれた作品だったことです。50歳ぐらいで、30年前の作品を自分からプログラミングするって、もちろんポップスの世界ならいくらでもありますけど、現代音楽ではけっこう珍しいですよね。しかも若い頃の尖った作品というわけでもなくて、かなり親しみやすいのにそれでいて「安っちくない」のがすごい。

沼野 まさに小室さんがおっしゃった「安っちくない」っていうのがヴィトマンのすごいところだよね。《1分間に180拍》のようなアイディアを持っている人は他にいくらでもいると思うんだけど……。
小室 じゃあ巧みか?といえば全然そんなことはなくて、書法がすごく洗練されているわけでもないし、20歳相応だと思うんです。でも成熟したあとの作品にはない魅力がちゃんとある。
沼野 結論めいた言い方になるけれども、ヴィトマンっていう人は実はポピュラー音楽の枠組みからクラシック音楽を見ている気がします。現代音楽をどんどん摂取して、むしゃむしゃ食べて、自分の形にしてしまう。そういうスタンスはポピュラー音楽っぽい気がするんですよね。器用に色んな要素を取り入れられるタイプで、そこが彼が好きなウェーバーやメンデルスゾーンとも通じるんじゃないのかな。

小室 《1分間に180拍》の原題は《180 beats per minute》――つまり180 BPMというタイトルなんですよね。テンポを示すBPMってクラシック音楽でも全く使わないわけではないですけど、伝統的にいえば1拍の基準となる音価(四分音符など)を示すか、M. M.(Metronome Mark)という書き方をするじゃないですか。BPMという発想が既にポピュラー音楽寄りなのだと思います。
ヴィトマンとマイルス・デイヴィス
小室 1973年生まれのヴィトマンが青少年時代を振り返って、当時好んでいた音楽として挙げているのが、まずストラスブールの音楽祭で聴いたブーレーズの《二重の影の対話》と《レポン》なんですよ。彼自身は12歳ぐらいといっていますが、調べ直してみたら条件があてはまるのは1986年9月のフランス初演なので、ヴィトマンは当時13歳。《レポン》は実演ではなく、映像作品として上映されたようです。この2作について、「官能性」と「色彩の奔流」に衝撃を受けたと語っているんです。
同じく1986年にヴィトマンはミュンヘン音楽・演劇大学へ入学しているんですが、クラリネットを学びながら、バンドでシンセサイザーを弾くようになったといいます。当時好んでいたのはスティングの「イングリッシュマン・イン・ニューヨーク」(1988年2月1日発売)で、今も好きなのはジャズのマイルス・デイヴィスで、「シェーンベルク、ストラヴィンスキー、ピカソのような革新者です」と語っています。
沼野 でも、あんまりマイルスっていう感じはしないよね。全然、共通点が分からないんですけど、マイルス・デイヴィスの専門家である小室さんはどう思います?

小室 全体的なイメージとしてはその通りで、(一昨年にコンポージアムで招聘された)ターネジほど共通性は明確じゃないですよね。でも、共通性がないと言い切れるわけでもないのは、ヴィトマンが好きなマイルスのアルバムとして挙げているのが『デコイ』(1984)なんですよ。長年、プロデューサーを務めたテオ・マセロと縁を切ってセルフプロデュースされたアルバムで、マイルスがバンドに加入させたかったけど叶わなかったサクソフォーン奏者ブランフォード・マルサリス(「イングリッシュマン・イン・ニューヨーク」でも演奏)が数曲参加していることがジャズファンの間では有名だと思われます。

でも実際の音楽的なキーマンは、アルバム制作中にツアーのバンドにも加わったシンセサイザー奏者のロバート・アーヴィング3世なんです。1980年代に引退から復帰したマイルスがライヴに出演する際、鍵盤楽器はマイルス自身が少し弾くだけで専任の奏者が不在でした。そこに久々に加わったのがアーヴィング3世で、ここからマイルスの音楽におけるシンセサイザーの比重が増えていくんですよ。だからある意味『デコイ』は過渡期のアルバムで、1曲目の「デコイ」なんかシンセとギターでサウンドの方向性がまるで違っていて、異質なものが共存しているようにも聴こえる。そこはヴィトマンっぽいなとも思うんです。
沼野 ヴィトマンとマイルスってちょっと意外だな。で、きっと彼は、ブーレーズの《二重の影の対話》とか《レポン》についても、いわゆる現代音楽として聴いてないような気がする。どちらも80年代の作品ですけど、それ以前のブーレーズがどういう道を辿ってそこに辿り着いたのかを、多分、あまり気にしていないですよね。70年代生まれの世代っていうことは、世界中のポピュラー音楽を浴びるように聴いて育っているのは間違いなくて、仮に特定の誰かのファンということがなかったとしても、基本の感覚がポピュラー音楽的というのは当たり前でもあると思います。

沼野雄司 Yuji Numano
東京藝術大学大学院博士課程修了。現在、桐朋学園大学教授。主に20世紀音楽をテーマに幅広く活動中。近著『トーキョー・シンコペーション 音楽表現の現在』(音楽之友社)では、新しい音楽批評のかたちを模索。他の著書に『現代音楽史 闘争しつづける芸術のゆくえ』(中公新書、第34回ミュージック・ペンクラブ賞)、『孤独な射手の肖像 エドガー・ヴァレーズとその時代』(春秋社、第29回吉田秀和賞)、『音楽学への招待』(春秋社)など。
小室敬幸 Takayuki Komuro
東京音楽大学付属高校と同大学で作曲を学んだ後、同大学院では音楽学を専攻。現在はフリーランスの音楽ライターを営みながら、桐朋学園大学の非常勤講師も務めている。主にクラシック音楽、現代音楽、ジャズ、映画音楽に関する曲目解説やインタビュー記事などを執筆することが多い。単著に『マイルス・デイヴィス研究入門』(星海社)、共著に『聴かずぎらいのための吹奏楽入門』『ピアノへの旅』(アルテスパブリッシング)などがある。
東京オペラシティの同時代音楽企画 〈コンポージアム2026〉
イェルク・ヴィトマンを迎えて
イェルク・ヴィトマン トークセッション
2026.7/8(水)19:00 東京オペラシティ コンサートホール
出演/イェルク・ヴィトマン、長木誠司(聞き手) ※ドイツ語通訳あり
イェルク・ヴィトマンの音楽
7/9(木)19:00 東京オペラシティ コンサートホール
出演/イェルク・ヴィトマン(指揮)、クリスタ・シェーンフェルディンガー(グラスハーモニカ)*、大田智美(アコーディオン)*、セルゲイ・ナカリャコフ(トランペット)**、東京都交響楽団
曲目/アルモニカ(2006)*
アド・アブスルダム(不条理)〜トランペットと小オーケストラのためのコンツェルトシュテュック(2002)**
バビロン組曲(2014)[日本初演]
2026年度 武満徹作曲賞本選演奏会 審査員:イェルク・ヴィトマン
7/12(日)15:00 東京オペラシティ コンサートホール
出演/杉山洋一(指揮)、東京フィルハーモニー交響楽団
曲目/[ファイナリスト](演奏順)
松尾研志(日本):管弦楽のための変奏曲
ズーイー・タオ(アメリカ):If
ゾーホー・ツイ(中国):最後の賭け
ジェヒョク・チェ(韓国):超新星
問:東京オペラシティチケットセンター03-5353-9999
https://www.operacity.jp

