彩の国に初登場!ジャン・チャクムルが語る、シューベルトから広がる響きの旅路

©Muhsin Akgun

 ジャン・チャクムルが、シューベルトとリストのさすらう魂とともに、彩の国さいたま芸術劇場を初めて訪れる。パンデミックによる二度の延期を経て5年越しの実現となるが、トルコ出身の俊英ピアニストもこの間に28歳になり、ドイツの市民権も得た。

 シューベルトとリストを核に、ラッヘンマンやショパンも組み合わせた独自のプログラムは熟慮の賜物だろう。

 「『オーベルマンの谷』はリストのなかでも私がいちばん好きな曲なのに、これまでずっと演奏の機会が見出せなかった。幕開けに弾くシューベルト=リストの『ウィーンの夜会』も、CDに録音してはいますが、コンサートは初めてです」

 現代から選ばれたラッヘンマン初期の変奏曲は、シューベルトのドイツ舞曲を主題とするヴィルトゥオーゾ的な作品だ。「じつに興味深く、しかもとても聴きやすい曲です。終わりはとても美しいし」とチャクムルは言う。

 「『オーベルマンの谷』と歌曲〈さすらい人〉には主題的な関連があるし、感情的にも通じている。セナンクールの小説に沿えば、『自然にとって自分とは何者なのか? なぜここにいて、このようなことをしているのか?』という深く本質的な問いかけがある。いっぽうで音楽的には終結に向かって驚くべき瞬間が訪れます。まさに魔法そのもので、もっとも悲劇的で美しく、同時に心を高揚させる。その結末は、〈さすらい人〉の終わり、『おまえのいないところに、しあわせはあるのだ』というのと文学的にみて同じ意味あいです」

 その問いを自分自身に投げかけるとしたら、あなたはどう答えますか?

 「しあわせをつかもうとするなら、しあわせにはなれません。花を摘んで、自分のものにすると、花は枯れてしまう。だから、美しさ、花、しあわせといったものは、そのまま在るにまかせましょう」

 プログラムの第2部には、シューベルトの「4つの即興曲」op.90を構える。没後200年に向けた全12作のCDプロジェクト「Schubert+」も終盤に差しかかってきた。チャクムルはそこでも鋭い知性と柔らかな感性で、欧州各地の音楽の鉱脈と結びつけながら、偉才の多面的な魅力を探り出している。

 「『4つの即興曲』op.90は長らく弾いていますが、日本では演奏していないので採り上げたかった。なにを組み合わせるかは悩みましたが、ショパンの『アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ』でハッピーにプログラムを結ぶことに決めました。そうして、プログラム前半は舞曲ではじまり、明るいところから人生や自然の意味を問いかける暗いところへ。後半では逆に、暗さから明るさへと到ります」

 「シューベルトは孤独ではなかったが、孤独を感じていた」とチャクムルはみる。「op.90の第2曲のようにヴィルトゥオーゾ的な性格」もあれば、〈さすらい人〉などでの「音楽を通じた哲学思索」もあり、シューベルトの重要な両面として共存している。

 「ただ陽気で、ただ悲しく、ただヴィルトゥオーゾ的なのではなく、より深いもの、いつも混ざり合った感情がシューベルトにはある。こうしたプログラムを通じて、なにか考えるのに良いことを人々に与えられたらと思います、花を贈るのが世界にとって善いことであるように。正気を失っていくと言わざるを得ないこの世界のなかで、ただそれだけが私がもつことのできるちっぽけな信念なのです」

取材・文:青澤隆明

(ぶらあぼ2026年8月号より)

ジャン・チャクムル ピアノ・リサイタル
2026.9/5(土)14:00 彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール
問 SAFチケットセンター0570-064-939
https://www.saf.or.jp/arthall/

他公演
9/6(日) りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館(025-224-5521)


青澤隆明 Takaakira Aosawa

書いているのは音楽をめぐること。考えることはいろいろ。東京生まれ、鎌倉に育つ。東京外国語大学英米語学科卒。音楽評論家。主な著書に『現代のピアニスト30—アリアと変奏』(ちくま新書)、ヴァレリー・アファナシエフとの『ピアニストは語る』(講談社現代新書)、『ピアニストを生きる-清水和音の思想』(音楽之友社)。『ショスタコーヴィチを語る』(青土社)で、亀山郁夫氏と対談。そろそろ次の本、仕上げます。ぶらあぼONLINEで「Aからの眺望」連載中。好きな番組はInside Anfield。
https://x.com/TakaakiraAosawa