2023年秋 高坂はる香のワルシャワ日記3
ショパン研究所が所蔵するプレイエル(1842年)とエラール(1838年)の調律を担当する、シュルト・ハイダ Sjoerd Heijda さん。ファイナルのリハーサル中、調律タイムが始まるのを待っている間、コンクールでの調律の難しさや楽器の特徴についてお聞きしました。 調律師さん目線で審査員の心情まで想像してくれました。調律師さんには、ピアノへの愛があっておもしろい方が多いですね。
—— コンクールのためにフォルテピアノの調律をするにあたって、どんなところが大変でしたか?
まずは、時間と静けさの確保ですね。調律をするという作業自体は私の専門の仕事ですからいいのですが、限られた時間しかない静かなうちに、2台を調律しなくてはいけないのが大変でした。たくさんショパンが演奏されると、すぐに調律も狂ってしまいますし。 しかも室内楽ホールは照明がLEDではなく、昔ながらのライトだったので、熱でピアノの状態が変化してしまいます。一方の大ホールはLEDだったのでそこは良いのですが、楽器が地下のピアノ庫に保管されているので、ステージ上と湿度が違って大変なんです。フォルテピアノは繊細ですから。
—— コンクールということで、時にはフォルテピアノにあまり慣れていないピアニストが弾くこともあったと思います。彼らが弾いているときのお気持ちは…。
心が痛いよね! 演奏が終わったあと、弦は大丈夫かな、全部のハンマーがちゃんと残っているかな…ってピアノをおそるおそる見てしまいましたよね(笑)。
腕や肘を大きく動かして弾くモダンピアノとは違い、フォルテピアノでは、手のひらや指を動かし、やさしく弾くものです。そうでなくては適切な音は鳴らせません。私はピアノ奏者ではないけれど、フォルテピアノを長く扱っていますから、どうやるのかはわかっています…自分ではできないけれど!
ある審査員がおっしゃっていたのは、「多くのコンテスタントは、フォルテピアノはどう扱うべきか頭ではわかっているんだけど、いざ舞台に上がって12人の審査員が聴いていると思ったら、すべてのことをすっかり忘れ、なぜかモダンピアノのように弾いてしまうみたいだね」と。緊張の中で思い通りの弾くのは、なかなか難しいのでしょうね。
—— ファイナルで演奏されている2台のフォルテピアノのキャラクターは?
とても異なります。音の違いを説明するのはむずかしいですが、エラールのほうが比較的扱いやすいかもしれません。モダンピアノに近いとはいえませんが、プレイエルよりはモダンピアノ寄りだといえます。高音のオクターヴはとても輝かしく、音量も大きいです。
それに対してプレイエルの音は、とても柔らかい。あるコンテスタントがプレイエルについて、少し恥ずかしがり屋だと言っていましたが、すごくきれいな表現ですよね。だから、心を開いてあげないといけません。
音以外の違いでいうと、エラールはレペティション機構(ダブルエスケープメント)の発明者で、このピアノにはすでにそれが導入されているので、より素速い連打ができます。第2ステージでエラールを弾いていた人が、とても素早く連打できていたのに気付いたと思いますが、プレイエルで同じようにするのはとても難しいことです。
その意味では逆に、プレイエルを選ぶと有利なんじゃないかなと思ったりもします。審査員の多くは、ショパン研究所の演奏会や録音でこれらの楽器を弾いたことがあり、このプレイエルの心を開き、うまく扱うのがいかに大変か、よく知っていますから。プレイエルを見事に弾きこなしていたら、より評価されるのではないかと思いますよ(笑)。
International Chopin Competition on Period Instruments
https://iccpi.pl/en/
♪ 高坂はる香 Haruka Kosaka ♪
大学院でインドのスラムの自立支援プロジェクトを研究。その後、2005年からピアノ専門誌の編集者として国内外でピアニストの取材を行なう。2011年よりフリーランスで活動。雑誌やCDブックレット、コンクール公式サイトやWeb媒体で記事を執筆。また、ポーランド、ロシア、アメリカなどで国際ピアノコンクールの現地取材を行い、ウェブサイトなどで現地レポートを配信している。
現在も定期的にインドを訪れ、西洋クラシック音楽とインドを結びつけたプロジェクトを計画中。
著書に「キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶」(集英社刊)。
HP「ピアノの惑星ジャーナル」http://www.piano-planet.com/