ガエタノ・デスピノーサ(指揮)

ショスタコーヴィチに深い繋がりと魅力を感じます

 イタリア出身の若きマエストロ、ガエタノ・デスピノーサが新日本フィルに客演し、ショスタコーヴィチの交響曲第15番とチェロ協奏曲第1番(独奏:マット・ハイモヴィッツ)、そしてロッシーニの《ウィリアム・テル》序曲を取り上げる。
 作曲も手掛けるマエストロにとって、ショスタコーヴィチは特別な存在である。
「私はショスタコーヴィチに深い繋がりと魅力を感じます。まず、彼の音楽から感じ取れるのは、彼が思考や計画などの抽象的な方法よりも、実際の上演や即興によって芸術表現の“秘密”を獲得しようとしていたということです。彼は、まさに実践的な作曲家でした。特に彼の晩年の作品は、新古典主義とアヴァンギャルドとの狭間にあって、明確な定義には適さない独自の立場をとり、ある意味、彼の時代よりも現代に通じます。作曲家として、私はショスタコーヴィチに強い恩を感じていまして、『ドミートリーのためのアンダンテ』と題したオマージュも書きました。彼の現代芸術へのスタンスは、反動主義と非難されました。しかし、彼はストラヴィンスキーやシェーンベルク以上に人間の魂のなかに隠されたものを掘り起こした、と私は思います。作曲においてはスタイルよりもアイディアが重要なのです!」
 交響曲第15番は、ショスタコーヴィチ特有の皮肉や毒舌的な表現が多用されている。
「彼の主要作品の要約である一方で、謎めいた数々の音楽的引用もある作品です。また、“乾いた”和声法なども用いられ、新しい要素も見られます。つまり、彼のそれまでの創作を整理するものではなく、それらをさらに誇張し、不条理音楽へと足を踏み入れつつ、同時に調性と古典形式を放棄することなくまとめたもの、といえるでしょう」
 《ウィリアム・テル》序曲を取り上げるのは、交響曲第15番に引用があるだけでなく、イタリア人指揮者にとって大切なレパートリーでもあるからだろう。
「ロッシーニのことは大好きです。ご存じのとおり彼はイタリア・オペラの父として捉えられています。私は彼の序曲のほとんどと、すばらしい『スターバト・マーテル』を指揮する機会がありました。《ウィリアム・テル》序曲はとても古典的な個性を持って書かれていながら、形式と調和への感覚と芸術の真髄を深く重んじる感性によって後々のロマン派時代を見つめています」
 デスピノーサは既にいくつもの日本のオーケストラに客演しているが、新日本フィルとは初共演である。
「日本のオーケストラは集団というものに対する敬意や強い意識を持っているという点で、指揮者にとって夢のような存在です。この国に来て失望させられたことは一度もありません。今回の新日本フィルとの共演はとりわけ面白いものになると期待しています」
取材・文:山田治生
(ぶらあぼ 2016年11月号から)

新日本フィルハーモニー交響楽団 第566回 トパーズ〈トリフォニー・シリーズ〉
11/18(金)19:00、11/19(土)14:00 すみだトリフォニーホール
問:新日本フィル・チケットボックス03-5610-3815
http://www.njp.or.jp