外山啓介(ピアノ)

10年ぶりにオール・ベートーヴェンでのリサイタル・ツアーを決行

(C)Yuji Hori

コンサートが開けない間、
僕は自己を見つめ直していた

「ほぼ毎年のようにリサイタルやツアーを行ってきましたが、それがまったく『当たり前ではない』ということ、コンサートとは『非日常の空間である』ということを、あらためて実感した1年でした」

 サントリーホールを満席にした2007年のデビュー以来、全国規模でのコンサートを精力的にこなし、たえず走り続けてきた外山啓介。そんな彼にも大きな衝撃を与えたのが昨年のコロナ禍だった。満を持して臨んだベートーヴェンのソナタアルバムのレコーディング前日に、政府によるイベント自粛要請が発出された。二日後に迫っていたコンサートの延期も決まった。

「もう、何をどうしたらいいのか、かなり戸惑いましたね。振り返ればデビュー以来、ありがたいことにずっとコンスタントにコンサートやレコーディングをしてきたので、これだけまとまった自分の時間がポッカリできたのは初めてだったのです。コロナの状況には不安がありました。でも、自分のキャリアでいえば、あのまま進んでいかなくて良かったと思えるくらい、いろいろなことを考えました。ピアニストという僕の仕事は形のないものだし、ゴールもない。答えが一つというわけでもない。だからこそ、一度立ち止まって、本当にじっくりといろいろなことを考えることができたのは良かった」
 
 もっとも痛感したのは、コンサートという空間への思いだった。
「久しぶりに一つだけ、大きなホールに少数のお客様を入れたコンサートがあったときに、『コンサートとは、こういうものだったんだ、日常化しすぎてはいけないものだったんだ』と心から感じたのです。ツアーで25回分のコンサートがあれば、僕にとっては25分の1だけど、お客様にとっては1分の1。その一回に対して、自分はどう準備してどう臨みたいのか、心から考え直すきっかけと時間をもらえました。本当にかけがえのない経験でした」

「月光」「ワルトシュタイン」「悲愴」「熱情」
〜ベートーヴェンが与えてくれるエネルギーの凄まじさ

 8月29日にサントリーホールで行うオール・ベートーヴェン・プログラムのリサイタルは、昨年9月からの延期公演。7月28日リリースのアルバムにも収録した第21番「ワルトシュタイン」、第8番「悲愴」、第23番「熱情」に加え、冒頭で第14番「月光」を披露する。磨き上げる時間ができた。

「じゃあこれも勉強しよう、この文献も読もう、とやっているうちに、ベートーヴェンについて知っているつもりになっていたことや、いつの間にか自分の中で勝手に理解をすり替えていたこともあったのに気づきました」
 
 いまだ終息の見えない不安を抱えた今の時代にこそ、ベートーヴェンの音楽が与えてくれるエネルギーは凄まじいと、外山は捉えている。
「ベートーヴェンは、つねに何かに立ち向かう人生を送った人。人間の力ではどうしようもないことに、ただ抗うのではなく、それを受け入れた上でどうするかを考えましょう、という姿勢を持った芸術家です。
 『悲愴』というタイトルは、ベートーヴェンが付けたものではないとはいえ、そこから連想される重々しさのある曲調ですが、一方で軽快なところもあって、前を向いて決然と立ち向かうエネルギーを感じます」

「『ワルトシュタイン』は、当時登場した新しいピアノがベートーヴェンのもとに届けられ、鍵盤数や性能がまるで異なる楽器に向かって作られた作品です。新しいものへの喜びは大きかったでしょうが、すごく戸惑った面もあったのではないでしょうか。その中で彼は、テクニックや響きの面で新しい表現を開拓していった。あえてハ長調という調合を付けない調を選び、目の前の扉を開けていこうという、瞬発力のある音楽を生んだのです」

(C)Yuji Hori

ピアノ・ソナタにみる革新の軌跡

「ベートーヴェンは32曲のソナタを生涯にわたって書いていますが、『熱情』を作曲したあとは4年ほどブランクがあります。スランプとする見方もあるけれど、僕はベートーヴェンが『熱情』で何か一つ完成させたというか、ある種のゴール、節目を迎えたのではないかと捉えています。ヘ短調という、非常に厳しく、受難を示す調性を選んだソナタでもあり、何か大きなものを書き上げる意図があったのではないかと思うのです。今このタイミングで『熱情』を演奏できるというのは、とても大事なことだと感じています」

 ベートーヴェンのソナタに対してきちんと向き合いたいと感じるようになったのは、古典派からロマン派への橋渡しをした音楽家であると認識してからだった。
「『月光』がゆったりとした第1楽章で開始したのは、当時とても斬新で、第3楽章のフィナーレに向かって盛り上げていくのは非常にロマン派的です。今回取り上げる4つのソナタは、初期から中期にかけてのもので、大きく時代は離れていないにもかかわらず、まったく異なる特性を持っています。ベートーヴェンは、モーツァルトに影響を受け、ショパンへと音楽をつなげた存在。32曲のソナタがこれほどまでに変化に富み、1曲ずつ試行錯誤と革新の軌跡が見える作曲家は他にいません。知れば知るほど弾いていきたくなりますね。今後は後期ソナタにも研究を進めていきたいと思っています」
 
 自粛期間中もジムでの筋トレを欠かさず、体の鍛え方も分析的に行わなければ意味がないのは「演奏と同じ」だという。
「デビューの頃は本当に細かったので、今は体重が増えてピアノを弾くのが楽な体になりました。運動すると、メンタル面でもリセットされますね」
 演奏にも言葉にも重厚な説得力を増している外山。決然と前進する彼のベートーヴェンをしっかりと堪能したい。
取材・文:飯田有抄

【Information】
外山啓介 オール・ベートーヴェン ピアノ・リサイタル

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第14番 嬰ハ短調 op.27-2「月光」/同:第21番 ハ長調 op.53「ワルトシュタイン」/同:第8番 ハ短調 op.13「悲愴」/同:第23番 へ短調 op.57「熱情」

2021.7/31(土)14:00 岡山/岡山県立美術館ホール 
問:岡山音協086-224-6066 http://www.okayama-onkyo.gr.jp
8/8(日)15 :00 静岡/沼津市民文化センター(小)

問:イーストン055-931-8999 http://easttone.jp
8/29(日)14:00 東京/サントリーホール

問:チケットスペース03-3234-9999 https://www.ints.co.jp
9/12(日)14:00 大阪/ザ・シンフォニーホール

問:ABCチケットインフォメーション06-6453-6000 https://www.asahi.co.jp/symphony/
9/17(金)19:00 北海道/札幌コンサートホールKitara

問:オフィス・ワン011-612-8696 http://www.officeone.co.jp
10/3(日)13:30 愛知/三井住友海上しらかわホール
  7/30(金)発売
問:中京テレビ事業052-588-4477 https://cte.jp
10/16(土)15:00 埼玉/越谷市中央市民会館(完売)
問:サンシティホール048-985-1112 http://www.suncityhall.jp

外山啓介オフィシャルウェブサイト 
https://www.keisuke-toyama.com 

【CD】
『《ワルトシュタイン》《悲愴》《熱情》
〜ベートーヴェン・ピアノソナタ集』

エイベックス・クラシックス
AVCL-84122 ¥3300(税込)
2021.7/28(水)発売