演出家・田尾下哲が主宰する「田尾下哲シアターカンパニー」が4月から開催している「OPERA ART ACADEMIA 2018(以下、OAA)」。本企画の目玉となる実践篇「3人の演出家によるクリエーション」の第3弾が9月16日に開催された。
「3人の演出家によるクリエーション」は、岩田達宗、菅尾友、田尾下哲の3人の演出家が、まったく同じオペラの1シーンを別々に演出したらどうなるか?を、公開稽古を通して検証するもの。
演出作品は、オペラ《フィガロの結婚》の「Nr.7・“Cosa sento!Tostoandate”」。第3弾を演出したのは菅尾友。腰越満美(スザンナ役)、黒田博(伯爵役)、大槻孝志(バジリオ役)、そして青木エマ(ケルビーノ役)が参加した。
(取材・文:WEBぶらあぼ編集部 Photo:寺司正彦)
「Nr.7・“Cosa sento! Tosto andate”」の場面は、ケルビーノが「ぼくは愛のことを話すんだ、自分自身に」とアリアを歌ったあとに続く場面。ケルビーノをどうやって隠すかが見どころとなる場面だ。
菅尾は稽古に際し、「どれだけ面白いものが作れるか。会場の使い方も、(シェイクスピアをやっていたので)アリーナのようなのが好きでやっているので、このようにした」と舞台設定を説明、「通常のプロセスなら、このシーンだけに1日に5時間も使うことはない。一回2時間ほど稽古したら、また日を改めてさらに膨らます、という具合。今回はいっぺんに5時間である程度のことを作るというタスク。なので、実験的なことをやってみたい」と語る。
稽古は、先の二人と同じく、まず音楽稽古。そのあと、対訳を歌手が音読してみることを試した。これについて菅尾は「2008年〜12年ベルリン・コーミッシェ・オーパーにいた際に、すべてのオペラがドイツ語訳で上演された。演じる側にとっても観客にとっても身近な言語で上演される現場に身をおくことで、テキストと音楽のニュアンスの密接な関係と、その効果がよくわかった。それを追体験してみたい。日本語は、性差や立場の上下などの関係性において、翻訳者の解釈が強く入る言語。対訳としては親切だが、その関係性自体は上演ごとに演者や演出家が解釈し直すという作業が必要」と説明した。
【舞台設定】
●会場を円形で使用
●会場入口、階段に扉がある
●部屋の先にも扉がある(ホワイトボード)
●円形だから、いろんな方向に演技が見えるように動く
【人物設定】
演じる歌手のキャラクターと登場人物のキャラクターを近づけたい。そういうやり方があると思う。
●自分たちに、実感として人間関係が納得いく、直接的にわかる形でやりたい(やるほうが多い)
●たとえばドラマ『半沢直樹』の大和田暁(香川照之)に半沢花(上戸彩)がセクハラされているとか、そういった身近なところで実感できるやりかたがあるのでは?(このやり方が絶対ではない)
【伯爵の設定】
●スザンナのおじさんに庭師アントニオがいる。けっこう長いこと庭師をやっているだろうから、スザンナは伯爵のことをかなり前から知っているのではないか?黒田さんと腰越さんのお歳が近いということから考えると、小さいころからお互いに顔見知りなんじゃないか、というのをバックグランドにしたい。
(例:オペラ《ラ・ボエーム》を背景にしたミュージカル『レント』で、オペラでは家主のブノアがおじいさんの設定だが、レントでは家主が若い人物(元ルームメイトのベニー)に設定されている)
●年上のおじさんが迫ってくるのでなく、以前の関係と現在の立場がちょっと変わってきている
●イーサン・ホークの映画『ハムレット(監督・脚本:マイケル・アルメレイダ、2000年アメリカ)』でハムレットの父が対外的には「キング(会社の社長)」という呼称になっているのと同じように「伯爵」というのは単なる「記号」として使っている
【バジリオの設定】
SP、スパイ、調査係?
ケヴィン・スペイシーの映画『ハウス・オブ・カード野望の階段』でのフランシス・アンダーウッド(通称:フランク)のボディガード、エドワード・ミーチャムのような、カッコイイけど、ちょっと抜けてる、というコミカルな役。思いっきりコミカルにするのでなく、でも自分ではしっかりしていると思っているけど、たまにマヌケなことをしちゃう、そんな役。
●(前史に当たる)「セビリアの理髪師」においてはバルトロ側についていて、伯爵とは敵対していた。そのフィナーレで、伯爵側に乗り換えて以来、長く仕えている
【スザンナの設定】
●幼い頃から伯爵とは馴染みだが、いまとなっては、(伯爵と一般市民という間柄ゆえ)あからさまにそれを公然とできない立場。
●スザンナ自身もよもや伯爵が普通に接してくるとは思っていない
第6場
ケルビーノ、スザンナ、伯爵<レチタティーヴォ>
部屋に来る伯爵に気づいたケルビーノとスザンナが困り果てたあげく、ケルビーノをテーブルの下に隠す。
伯爵は(普通に友だちのような感じで気軽に)扉をあけながら、部屋に入ってくる
(※普通に日本人としての演技で。朗々と歌うのでなく、自然にレンジの低いところで)
スザンナはちょっと嫌がっている(好きにさせるのでなく。伯爵がち ょっとスネ夫のような感じで生理的にイヤ)でも伯爵だし、無下にもできない、という感じを出して
第7場
バジリオ、スザンナ、伯爵<レチタティーヴォ>
バジリオが部屋にやってくる。
慌てた伯爵は椅子の後ろに隠れる
バジリオは伯爵がいることは知っている。だから、「Susanna, il ciel vi salvi. スザンナこんにちは」というところは、わざとらしく大げさにベルカントのアリアを歌うように登場。客席を壁や本棚に見立てて「伯爵はどこかなあ〜」と客いじり。スザンナはそれを「オペラを歌ってる場合じゃないでしょ」という感じで追い払う。
「フィガロが彼に会いたいって」というバジリオに対して、スザンナは「(何ですって!)探してるんですって?自分(フィガロ)を嫌ってる人(伯爵)を?」と、伯爵に聞こえるようにチクッと言ってる感じにしたい。けれども、伯爵はそれを理解できず「(見届けてやろう どのような働きぶりをするか)」というところで「何?何を言ってるんだ?」というニュアンスを出したい。
ケルビーノと伯爵がバジリオに見つからないようにスザンナが隠そうとする、伯爵も隠れようとする、それをバジリオが探そうとする・・・こんな隠れん坊的なことは、図形であらかじめ示すこともできるが、いろいろ試しながら偶然出てくるもので試したい
(※ただ、ルールとして、伯爵を見つけた!というのはお客にわかるようにしたい)
※このシーンの前提として「情報の認識度の差、思惑の違いが面白くなってくる」
伯爵はバジリオがいることはもちろん知っている。けれども、バジリオに見つかったとは思っていない。
●バジリオは、伯爵が気づかれていないと思っていることは知っていて、でも、そこに伯爵がいることを知っている。
●ケルビーノがいることは、スザンナしか知らない
●スザンナは、もちろんケルビーノと伯爵の存在は知っているけど、バジリオには知られたくないと思っている
→結果として、置き椅子でなく、回転椅子にした
バジリオ「恋人を選ぶのなら寛大で 慎重で 思慮深い男」というのを、伯爵に聞こえるように(伯爵のことを言ってるかのようにして点数稼ぎ)「寛大で」「慎重で」「思慮深い」を大げさにファンファーレのように歌う。
それを聞いて伯爵はいい気分になっているが、ケルビーノのことを語りはじめるのを聞いて(Nr7の音楽で出てくるように)、「またあいつか!」というのを先取りしているのを示したい。
バジリオはスザンナに話しかけながら、伯爵がいるのを知ってるかのような振りをして「伯爵に聞こえちゃっていいのかなあ」という感じの演技を見せたい。
Nr.7・“Cosa sento! Tosto andate”
伯爵「何と言った!すぐに出て行け!」
バジリオ「とんでもないときにやって来てしまった!」
スザンナ「何てこと!破滅だわ」・・・
伯爵「Cosa sento! Tosto andate, e scacciate il seduttor. 何と言った!すぐにその女たらしを叩き出せ」のところは、音楽のリズムにあわせて一語一語を発するように。
「とんでもないときにやって来てしまった!」と言うバジリオを追い払いたい伯爵だが、「お許しください」と言いながら「(お金もらえれば行きますけど?・・・)」とバジリオ。仕方なく伯爵は金を払う・・・
スザンナは過呼吸(気絶)になりながら、でも、ケルビーノの椅子から避けさせるために違う方に行く。
伯爵「Da tua cugina l’uscio ier trovai rinchiuso; picchio, m’apre Barbarinapaurosa fuor dell’uso. お前の従姉妹のところで 珍しくドアに鍵がかかっていたのだ ノックしたらバルバリーナが開けてはくれたが 」のところ。音楽は普通に進むけれども、ボーマルシェの原作だとスザンナが「なんでバルバリーナのところに?」とかツッコミを入れる。なので、音楽で間を取ることで(かつ、伯爵はちょっとごまかしながら)表現したい。
★一番今日やりたかったのはこのシーン
伯爵「ed alzando pian pianino il tappetto al tavolino vedo il paggio … テーブルクロスを持ち上げてみるとそこにあの小姓めが隠れていたのだ」のところ。
vedo il paggio … のところで徐々に楽器が増えて行くのは、ケルビーノが隠れているのをお客さんに知らせるため。
お客さんには気づかせておきながら、でも伯爵は(まだ)気づいていない、という解釈。つまり、ここではまだ布は外されていない、「●● だったんだぜ」と単に伯爵は語っているだけとも設定できる。
だから、「Ah! cosa veggio!おっ!何だこいつは?」と伯爵が語るところではまだ伯爵は気づいてなく、バジリオのAh! meglio ancora!のあとのフェルマータのあと、ようやく気づく、としたい。しかも、驚きは大きくしたい。
(例:ここは再現VTRではあるけれども《ボエーム》の最後、ミミが死んだことをロドルフォ以外はみんな知ってる、お客も知ってる、けれども、「●●」なんだぜ、とロドルフォがそれぞれに語りかける、そして、「なんでそんな目で見るんだ!」と、そこでようやくわかる、シーンと同じ)
バジリオは、ケルビーノいるのに伯爵は気づいてない、馬鹿だよね、というような感じをお客さんにわかるようにしたい。
ケルビーノがいるのがバレたあとは、4人がそれぞれ回転椅子を旨く使って面白く見せたい。バジリオは伯爵を軸に、伯爵の鏡のように動いて、お客さんに「こうなんですよ!」というのをアピールする。
菅尾は全体に、現代の若者的感覚(実感としてわかる設定)で演出。音楽に対する要望も多く、(音楽は、あまり分散和音を使わず、必要なところだけ和音をガンと出したい。和音の進行だけを気にしたい。分散和音を聞くとそっちに気が取られてしまう。これは個人的な趣味。cosa sento〜音楽を使った間の取り方、など)、また、ワークショップということを意識して、歌手と意見を交わしながら人物像を作り、実験的に演技を作って行く。
最近のオペラ演出(2015ドン・ジョヴァンニ、2015ジューリオ・チ ェーザレ、2018ニクソン・イン・チャイナなど)でも廻り舞台を駆使しているように、根っからの円形劇場好きと見受けられた。
稽古時間はおよそ4時間。10月2日(火)に行われた《映像発表&ディスカッション》に向けての収録の最終的な演奏収録時間は8分30秒。指揮者なしでの稽古で、それぞれの演出家によって演奏時間が変わるのかどうかも注目点となった。
稽古と収録に続き、歌手全員と菅尾が稽古について思い思いに語った。
10月2日には本クリエーションのまとめとして、公開稽古初回の演出を担当した岩田達宗(演出家)、各回に伯爵役で出演した黒田博をゲストに迎え、3人のクリエーションを今一度映像で振り返り、演出意図やオペラ演出が果たす役割をディスカッションしながら考えた。
■動画【公開稽古】菅尾友演出《フィガロの結婚》「Nr.7・“Cosa sento! Tosto andate”」
『オペラ演出論/3人の演出家によるクリエーション《菅尾友 篇》』
2018年9月16日(日)15:00〜21:00 G-ROKSスタジオ(下高井戸)STUDIO1
ナビゲーター:菅尾 友(演出家)
ゲスト出演者:腰越満美(歌手/スザンナ役)
黒田 博(歌手/伯爵役)
大槻孝志(歌手/バジリオ役)
青木エマ(歌手/ケルビーノ役)
ピアノ演奏:矢崎貴子
【OPERA ART ACADEMIA 2018】
オペラ演出論/トークセッション
3人の演出家によるクリエーション《映像発表&ディスカッション》
10月2日(火)19:00〜21:00
桜美林大学 四谷キャンパス(千駄ヶ谷)1階ホール
ゲスト:岩田 達宗(演出家)、黒田 博(声楽家)
ナビゲーター:田尾下 哲(演出家/TTTC主宰/桜美林大学芸術文化学群 准教授)
問:田尾下哲シアターカンパニー03-6419-7302(ノート株式会社内)
info@tttc.jp
03-6419-7302(ノート株式会社内)
●田尾下哲シアターカンパニー
http://tttc.jp/