文:林昌英
2025年は、個人的には弦楽四重奏等の室内楽をはじめ、弦楽器の公演を中心に聴いた1年だった。
筆頭に挙げたいのが、エリザベート国際コンクール優勝のウクライナのヴァイオリニスト、ドミトロ・ウドヴィチェンコと、フィンランドのピアニスト・指揮者、ミカエル・ロポネンのデュオ。細いが強靭な糸が張りつめたような無二の音色のヴァイオリン、清らかな美音で残響の最後の一瞬までコントロールされたピアノ。初共演ながら音色と弱音のこだわりの方向性が完璧に合致し、これまで聴いたことがない水準で一体化。ヤナーチェクに秘められた温かい感動、真に対等に両者が奏でたブラームスの深き美、どちらの音か全くわからぬほど溶け合う静謐なシルヴェストロフの衝撃、あえて冷静に音楽的に臨むことで構造美を明らかにしたショスタコーヴィチ。いずれもデュオの理想形のひとつにして“極北”というべき音楽体験だった。継続して世界を驚かせるデュオになってほしい。

写真提供:MCS Young Artists
10月に連続して来日したヴィジョン弦楽四重奏団とドーリック弦楽四重奏団は、いずれも現在のトップ団体というにふさわしい、別格のパフォーマンスだった。ヴィジョンQは立奏・暗譜で、その場で生まれたかのようなライヴ感で隙のない完成度の構築が実現していく。グリーグの佳品では風格も加わり、楽曲の魅力を余すところなく明らかにした。ドーリックQは“4人の一体化”が最高度に達成され、同じ呼吸感で表現が動いていく。ヤナーチェク第1番は圧巻で、原作となるトルストイ「クロイツェル・ソナタ」の不倫や殺害のシーンが目の前に浮かぶような生々しさ。4人の強烈なうねりが完全に同期し、あまりの壮絶さに恐怖すら覚えたほど。

6月「サントリーホール チェンバーミュージック・ガーデン(CMG)」恒例の「ベートーヴェン・サイクル」を担当したドイツのシューマン・クァルテットは、世界的ソリストのエリック・シューマンらシューマン3兄弟とヴィオラの名手ファイト・ヘルテンシュタインの4人。第1ヴァイオリンのエリックの名技が柱になるが、第2ヴァイオリンのケンが室内楽の喜びを全身で表し、ときに流れを崩す攻めの表現も厭わない。それをエリックは笑顔で受け止め、チェロのマークは冷静に頑丈な土台を作り、ヘルテンシュタインは穏やかにバランスをとる。4人のキャラクターが愛着を呼ぶうえに、演奏は疑いなくトップの水準で、豊かな響きに一体感もあり、かつスリリング。ベートーヴェン初期の交歓、中期の情熱と好相性で、その面白さを存分に伝えてくれた。

撮影:池上直哉 提供:サントリーホール
日本の若手室内楽団体で進境著しいのが、葵トリオとクァルテット・インテグラ。25年は彼らの充実を端的に示す年となった。
葵トリオは、24年12月のシュニトケやヴァインベルクから、25年6月CMGではショスタコーヴィチ第2番、9月はチャイコフスキー「偉大なる芸術家の思い出に」と、時代をさかのぼってソヴィエトとロシアの傑作トリオに取り組み、隙のない仕上がりでその真髄に迫った。名演となったチャイコフスキーの大作は、秋元孝介のピアノの美音と要所での迫力が格別で、コーダの壮絶なクライマックスには圧倒された。

撮影:池上直哉 提供:サントリーホール
チェリストの交代、25年にはロサンゼルスからミュンヘンに拠点を移すなど、変化の時にあるクァルテット・インテグラは、ブラームスで新境地をみせた。1月に難曲の第3番、6月CMGの練木繁夫とのピアノ五重奏で、いずれも清新だが深みと情熱も十分な快演。12月にはシューベルト第15番で、作曲者晩年の底知れぬ闇と純粋な音楽の喜びを同居させる、懐の深い演奏を堂々と聴かせた。

撮影:飯田耕治 提供:サントリーホール
2025年は弦楽八重奏曲を聴ける機会も多かった。東京で6組のオクテット公演を聴けたが、その代表作であるメンデルスゾーンは5組、エネスコは3組が取り上げ、いずれも個性的かつ高水準だった。以下、オクテットに焦点を当てて振り返りたい。
3月のクァルテット・エクセルシオ&ほのカルテットのエネスコは、岸本萌乃加の集中力ある技巧を中心にベテランと若手が融合し、熱気も完成度も高かった。話題を呼んだベルチャ弦楽四重奏団&エベーヌ弦楽四重奏団のジョイントは、個の能力の高さと熱いドライヴ感が興奮を誘い、メンデルスゾーンは個のアピールが曲への敬意をこえてしまうきらいがあったが、エネスコは各人の個性と作品の魅力が合致して圧巻の剛演に。

提供:TOPPANホール
東京フィル定期に客演したピンカス・ズーカーマンは、プレ・コンサートで楽員7人と共にメンデルスゾーン第1楽章を演奏。豊潤な音色と歌心、雄大な表現で20世紀のヴァイオリン芸術を伝える、幸福なプレゼントになった。
結成12年、若手のスタープレイヤー8人が圧巻のパフォーマンスを継続する、ラ・ルーチェ弦楽八重奏団。第10回を迎えた記念回はメンデルスゾーンとエネスコを取り上げ、数年前の切れ味抜群の快演から、今回は余裕すら感じさせて豊かさを増し、各人の経験と成長を見守るようなよろこびも加わる快演だった。

11月には現在モンテカルロ・フィルに所属するヴァイオリニスト、福田廉之介が主宰する「THE MOST」がメンデルスゾーンを取り上げた。戸澤采紀や近衛剛大ら同世代の仲間たちにコントラバス黒木岩寿も加わった9人で、前向きで切れのよい、低音の威力もあるオクテットの魅力を体験できた。
12月はソリストや首席・次席奏者の女性8人によるNADESHIKO弦楽八重奏団が、ショスタコーヴィチとメンデルスゾーンを。各人が夢中でおしゃべりするかのように前のめりに主張しつつ、要所でしっかりまとまる、楽しくも華やかなオクテットを披露して会場を盛り上げた。
他には、3月の若きヴァイオリニスト2人が印象的。期待の俊才、外村理紗はイザイの無伴奏ソナタ全6曲の瑞々しくも完璧な快演を実現し、この世代の第一人者である辻彩奈はエマニュエル・シュトロッセとルクーのソナタ等で濃密な名演を聴かせた。11月にはスターヴァイオリニストのジャニーヌ・ヤンセンが、デニス・コジュヒンとのブラームスのソナタで、音色の引き出しの別格の多彩さ、ピアノと溶け合った弱音の美しさで聴衆を陶酔させた。
また、弦楽三重奏では、5月の石上真由子&中恵菜&佐藤晴真と、11月の小川響子&鈴木康浩&辻本玲、いずれ劣らぬ高水準で好対照の持ち味をもつ2組が、Hakuju Hallですばらしい演奏を聴かせた。弦楽トリオというジャンルの再評価も進みそう。
他にも、The 4 Players Tokyoによるパヴェル・ハースの打楽器付きの「猿山より」、カルテット・アマービレと阪田知樹によるタネーエフのピアノ五重奏曲、「おおたかの森スーパー・アンサンブル」によるメンデルスゾーンのピアノ六重奏曲など、実演の貴重な楽曲の好演が多かったことも特筆しておきたい。

提供:Hakuju Hall

林 昌英 Masahide Hayashi
出版社勤務を経て、音楽誌制作と執筆に携わり、現在はフリーライターとして活動。「ぶらあぼ」等の音楽誌、Webメディア、コンサートプログラム等に記事を寄稿。オーケストラと室内楽(主に弦楽四重奏)を中心に執筆・取材を重ねる。40代で桐朋学園大学カレッジ・ディプロマ・コース音楽学専攻に学び、2020年修了、研究テーマはショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲。アマチュア弦楽器奏者として、ショスタコーヴィチの交響曲と弦楽四重奏曲の両全曲演奏を達成。
