実力派プレーヤーが個性豊かに芽吹かせる室内楽の花々
東京文化会館を中心に、美術館や博物館、歴史的建造物など、上野の杜にあるさまざまな会場で演奏を楽しむ——それも「東京・春・音楽祭」ならではの魅力だ。なかでも、日本の西洋音楽の歩みを見守り続けてきた「旧東京音楽学校奏楽堂」での公演には、格別の趣がある。
上野駅から上野恩賜公園内を歩いて東京藝術大学へと向かうと、ちょうど公園を抜ける手前に旧東京音楽学校奏楽堂がある。現存する日本最古の木造洋式音楽ホールとして、国の重要文化財に指定されているこの建物は、1890年(明治23年)に藝大の前身である東京音楽学校の施設の一部として完成した。当時の知恵と技術を結集し、理想の音響を追求して建てられたこの空間では、かつて瀧廉太郎がピアノを奏で、山田耕筰が歌曲を歌い、日本初のプリマドンナとして活躍した三浦環がオペラを披露した。日本の洋楽受容の窓口として、明治の面影を色濃く残すこの旧奏楽堂で、木の温もりに包まれた響きに身を委ねれば、往時の音楽家たちの息吹がよみがえってくるようだ。座席数310の瀟洒なホールは、室内楽を楽しむのにはうってつけである。

東京・春・音楽祭2026では、期間中の土曜日にこの空間を会場として、若手トップ・プレーヤーたちによる室内楽公演を5つ用意している。
3月14日は、「角野未来(ピアノ)と仲間たち」の公演。角野は東京藝術大学を経て、現在はフランス・リヨンの音楽院で研鑽を積む。国内外のコンクールで優勝・上位入賞を果たし、その確かな技巧と瑞々しい感性が高く評価されている(兄は角野隼斗)。共演するチェロの中木健二は近現代作品の攻めたプログラムで数々の室内楽公演も成功させている。ヴァイオリンの毛利文香も国内外のオーケストラと協奏曲共演を続ける注目株。春めく上野の杜で、若き才能が紡ぐドビュッシーやショーソンのピアノ三重奏曲は、音楽祭のスタートにふさわしい芳しい世界を作り上げることだろう。

次の週末3月21日には、驚異的なヴィルトゥオジティと歌心で聴衆を魅了するハンガリー出身・東京在住のクラリネット奏者、コハーンが登場する。テーマは、2026年に没後200年を迎えるドイツ・ロマン派の巨匠、カール・マリア・フォン・ウェーバー。ウェーバーはオペラ作曲家として名高いが、実はクラリネットのための重要な作品を多く残しており、いずれも楽器の魅力を最大限に引き出す名曲ばかりだ。欧州でも活躍を続けるピアニスト、兼重稔宏との共演による協奏的大二重奏曲や、緻密なアンサンブルを聴かせるカルテット風雅と共演するクラリネット五重奏曲では、コハーンの変幻自在な音色が木造ホール特有の柔らかく澄んだ残響と溶け合い、ロマン派音楽の情熱と優美さを鮮やかに蘇らせるに違いない。クラリネット・ファンならずとも聴き逃せない、アニバーサリー・イヤーならではの公演である。


アニバーサリーで言えば、2026年は作曲家・武満徹の没後30年にあたる。4月4日に登場するカウンターテナーの村松稔之は「武満徹 歌曲集 没後30年に寄せて」と題し、この作曲家の繊細で美しい歌曲の世界を届ける。〈死んだ男の残したものは〉〈小さな空〉〈翼〉など、武満作品の「言葉」と「音」のあわいに漂う独特の静謐と情感は、村松の透明感あふれる歌声と響き合い、聴き手の心の奥底に染み渡ることだろう。ジャズ・アレンジのレコーディングで息を合わせてきた、コントラバスの安ヵ川大樹とピアノの高田ひろ子が、旧奏楽堂のステージ上で共演する。現代の古典となりつつある武満の「うた」がこの会場で響くこと——それは、日本の音楽史の過去と現在をつなぐ深い意義を持つ。

4月11日には、ルツェルン、ザルツブルクなど世界の主要音楽祭で活躍し、クレーメルら名手との共演も多いヴィオラ奏者の赤坂智子と、ミュンヘン国際音楽コンクール・チェロ部門で日本人初の優勝という快挙を成し遂げた若手チェリスト佐藤晴真の共演が実現する。弦楽器の中でも深く豊かな中低音域を担う2つの楽器による、稀有なデュオ・コンサートである。J.S.バッハからルトスワフスキまで、それぞれの楽器の無伴奏作品や二重奏作品を取り上げる。渋みと底知れぬ深みを湛えたヴィオラとチェロの対話が、旧奏楽堂のヴォールト(かまぼこ型)天井の下で朗々と響き渡ることだろう。弦楽器の深淵なる魅力に浸る至福の時間を。

音楽祭の最終日前日、4月18日は指揮者として存在感を示す大井駿がフォルテピアノを演奏する。共演は時代楽器奏者としても目覚ましい活動を展開するヴァイオリンの原田陽、チェロの新倉瞳という気鋭の演奏家たち。ハイドンのピアノ三重奏曲(第12・25・27・29番)を軸とした、古典派の響きを当時の楽器で堪能するプログラムだ。「幻想曲」ハ長調や、ユーモラスな標題で知られる「豚の去勢にゃ8人がかり」といった大井のソロも聴きものだ。「明治の洋館」の古き良き空間と古楽器の幸福な出会いを、ぜひその耳で確かめてほしい。

文:飯田有抄
東京・春・音楽祭2026 旧東京音楽学校奏楽堂公演 【ライブ配信あり】
●出演
ヴァイオリン:毛利文香
チェロ:中木健二
ピアノ:角野未来
●曲目
ドビュッシー:ヴァイオリン・ソナタ ト短調、チェロ・ソナタ ニ短調、ピアノ三重奏曲 ト長調
ショーソン:ピアノ三重奏曲 ト短調 op.3
●料金(税込)
¥4,500(全席指定)
¥2,000(U-25)
●出演
クラリネット:コハーン
カルテット風雅
ヴァイオリン:落合真子、小西健太郎
ヴィオラ:川邉宗一郎
チェロ:松谷壮一郎
ピアノ:兼重稔宏
●曲目
ウェーバー:歌劇《魔弾の射手》序曲、歌劇《ジルヴァーナ》の主題による変奏曲 op.33、協奏的大二重奏曲 変ホ長調 op.48、舞踏への勧誘 op.65、クラリネット五重奏曲 変ロ長調 op.34
他
●料金(税込)
¥4,500(全席指定)
¥2,000(U-25)
●出演
カウンターテナー:村松稔之
コントラバス:安ヵ川大樹
ピアノ:高田ひろ子
●曲目
武満徹:明日ハ晴レカナ 曇リカナ、めぐり逢い、見えないこども、『他人の顔』よりワルツ、恋のかくれんぼ、島へ、MI・YO・TA、死んだ男の残したものは、小さな空、雪、翼、三月のうた、どですかでん、うたうだけ、○と△の歌
●料金(税込)
¥4,500(全席指定)
¥2,000(U-25)
●出演
ヴィオラ:赤坂智子
チェロ:佐藤晴真
●曲目
ベートーヴェン:ヴィオラとチェロのための二重奏曲 変ホ長調 WoO.32「2つのオブリガート眼鏡付き」
ルトスワフスキ:牧歌集
R.クラーク:ヴィオラとチェロのための2つの小品「子守歌とグロテスク」
J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第2番 ニ短調 BWV1008
ヒンデミット:二重奏曲断章
レーガー:無伴奏ヴィオラ組曲第2番 ニ長調 op.131d-2
T. デメンガ:Duo? o, Du…(デュオ、オ、ドゥ?)
モーツァルト:ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲 ハ長調 K.423(ヴィオラ、チェロ版)
●料金(税込)
¥4,500(全席指定)
¥2,000(U-25)
●出演
ヴァイオリン:原田陽
チェロ:新倉瞳
フォルテピアノ:大井駿
●曲目
ハイドン:ピアノ三重奏曲 第12番 ホ短調 Hob.XV:12
モーツァルト(J.トレーグ編):ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲 K.423より第2楽章、第3楽章
ハイドン:カプリッチョ ト長調 Hob.XVII:1「豚の去勢にゃ8人がかり」、ピアノ三重奏曲第25番 ト長調 Hob.XV:25「ジプシー・ロンド」、ピアノ三重奏曲第27番 ハ長調 Hob.XV:27、幻想曲(カプリッチョ) ハ長調 Hob.XVII:4、ピアノ三重奏曲第29番 変ホ長調 Hob.XV:29
●料金(税込)
¥4,500(全席指定)
¥2,000(U-25)
【来場チケットご購入はこちら】
●東京・春・音楽祭オンライン・チケットサービス(web)要会員登録(無料)
●東京文化会館チケットサービス(電話・窓口)
TEL:03-5685-0650(オペレーター)
●チケットぴあ(web)
【お問い合わせ】
東京・春・音楽祭サポートデスク050-3496-0202
営業時間:月・水・金、チケット発売日(10:00~14:00)
※音楽祭開催期間中は、土・日・祝日も含め全日営業
※サポートデスクではチケットのご予約は承りません。公演に関するお問合せにお答えいたします。

飯田有抄 Arisa Iida(クラシック音楽ファシリテーター)
音楽専門誌、書籍、楽譜、CD、コンサートプログラム、ウェブマガジン等に執筆、市民講座講師、音楽イベントの司会等に従事する。著書に「ブルクミュラー25の不思議〜なぜこんなにも愛されるのか」「クラシック音楽への招待 子どものための50のとびら」(音楽之友社)等がある。公益財団法人福田靖子賞基金理事。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学院修士課程修了。Macquarie University(シドニー)通訳翻訳修士課程修了。


