文:宮本明
桜の開花とともにやってくる東京・春・音楽祭。フェスティバルの大看板ともいえるのが、7月に84歳になる巨匠指揮者リッカルド・ムーティだ。今年はオール・イタリア・プログラムによるオーケストラ・コンサートを振る。管弦楽は中堅・若手の精鋭メンバーによる「東京春祭オーケストラ」。ムーティにとって、もはや日本における頼もしい手兵という存在になっている。
東京春祭へのムーティ初登場は2006年。前身の「東京のオペラの森」2年目のヴェルディ「レクイエム」だった。それ以来出演を重ね、今年21年目を迎える東京春祭のうち、なんと過半数の11年も来日していることになる。誰もが認める現代の巨匠が、日本の音楽祭に準レギュラーのように頻繁に出ているのはすごいことだ。
しかも、ただの常連出演者という立場を超えて、ムーティは音楽祭の精神的支柱のような特別な存在だ。東京春祭の実行委員長・鈴木幸一氏はことあるごとに、手探りで音楽祭を始めた音楽事業の門外漢の自分に、ムーティは「大切なのは続けること」という、シンプルかつ芯を食ったアドバイスを与えてくれ、その言葉を糧に頑張って続けられたと、感謝の意を表している。
とくに2019年から、ムーティのライフワークである、若い音楽家のための「イタリア・オペラ・アカデミー in 東京」をこの東京春祭の枠内で開催するようになってから※、巨匠と音楽祭の関係がいっそう密になっているのは、傍目から見ても明らか。
※2024年は秋に開催
共演を重ね深まる東京春祭オーケストラとの絆
その毎回の「イタリア・オペラ・アカデミー」でも演奏しているのが東京春祭オーケストラ。実質的にムーティのためのスペシャル・オーケストラだ。メンバーは年ごとに入れ替わりもあるものの、すでに私たち音楽ファンがよく知っているソリストや各オーケストラの首席奏者がずらり。
ムーティの信頼も厚い。たとえば2021年。「イタリア・オペラ・アカデミー」期間終了後にオーケストラ・コンサートも行なわれて、モーツァルトの「ハフナー」と「ジュピター」を演奏したのだが、それはムーティからオーケストラへの感謝の印だった。すでに音楽祭のプログラム全容が決まっていた時期に突然、ムーティ本人から、「いつもオペラで演奏してくれる彼らと直接向き合いたい」と、オーケストラ公演追加の申し入れがあったのだ。その時点ではもうホームグラウンドの東京文化会館は埋まっていたため、上野を離れて、ミューザ川崎シンフォニーホールと紀尾井ホールでの開催となった。奏者たちの中には、決まっていた仕事の予定をやりくりしてこっちを選んだメンバーもいただろう。ムーティとオーケストラ、主催者のそれぞれが、少しずつの無理を乗り越えて、気持ちがひとつになったからこそ実現したコンサートだったと思う。
といって、ただニコニコとやさしい好好爺では、けっしてない。むしろその逆。アカデミーのリハーサルは緊張感に満ちており、ムーティは厳しく、シニカルでおっかない。でも愛がある。そしてなにより、そこでどんな音が必要なのか、じつに的確に指摘して、瞬時にふさわしい音楽を引き出してくれる。まるで魔法のようなのだが、その指示自体はとても明快で、誤解を恐れずにいえば、当たり前のことしか言わない。「ピアニッシモ!」「よく聴いて揃えて!」……。なのにそれが“魔法の言葉”に化ける凄み。演奏者たちがそこに惹かれ、信頼を寄せている一体感をひしひしと感じる。
今年のオーケストラ・メンバーは現時点でまだ発表されていないが、コンサートマスターは長原幸太。2016年以降、このオーケストラのコンマスを務めている(昨春の《アイーダ》のみ不参加)。ムーティを熱烈に支持するオーケストラのメンバーのなかでも、その筆頭格がまちがいなく彼だ。
上述の2021年のモーツァルト公演のカーテンコールで、ムーティに引っ張られるように出てきて号泣したのは語り草。長原によれば、「ジュピター」を弾き終えてステージからはけてくると、舞台袖でムーティが待っていて、
「素晴らしかった。コータは良い音楽家だ。本当のリーダーだ。ありがとう!」
と言って肩を抱かれた瞬間に涙が溢れてきたのだそう。いい話。こちらもちょっともらい泣きしそうになる。長原は以前、次のようにも語っていた。
「もしもこのオーケストラで1年間ずっとムーティとできるのなら、音楽家としてはそれだけで満足。他の仕事は一生しなくても悔いはない。生活できるぎりぎりの収入があればいい」
熱い! 昨年秋、10年間コンサートマスターを務めた読売日本交響楽団を退団した長原。さすがに1年を春祭オケだけで暮らすというわけにはいかないのだろうけれども……。
脈々と受け継がれるイタリア音楽の魂――要注目、カタラーニの「コンテンプラツィオーネ」!
今回のオーケストラ公演は、《カヴァレリア・ルスティカーナ》や《運命の力》などのオペラ序曲・間奏曲集とレスピーギ「ローマの松」という、オール・イタリア・プログラム。
なかに、ややなじみのない曲が一曲。カタラーニの「コンテンプラツィオーネ(瞑想)」(1878)。悠然と歌う格調高いリリシズムが、静かな感動を誘う小品。ムーティが「この機会にぜひ!」とプッシュした選曲だそうで、彼自身は30年近く前にスカラ座フィルとこの曲を録音もしている。
アルフレード・カタラーニ(1854~1893)は、オペラ《ワリー》で成功を手にしたおよそ2年後、これからいよいよその力量を十分に示そうというときに、まだ39歳で生涯を閉じた。しかし大指揮者トスカニーニはカタラーニを敬愛しており、自分の長女を「ワリー」と名付けたほど(ホロヴィッツ夫人ワンダの姉)。ムーティは師のアントニーノ・ヴォットーを介してそのトスカニーニの孫弟子に当たる。そんな1.5世紀におよぶ巨大な連関も、このわずか10分ほどの管弦楽曲に凝縮されるのだろう。
“イタリア”というキーワードで、ムーティが何度か披露している定番の“ぼやきネタ”がある。彼はテノール歌手が高い音を勝手に延ばしてひけらかすことや、それに喝采する聴衆に苦言を呈する。みんな、それが“イタリア”だと誤解しているのではないか、と。
「そうやってグロテスクに叫ぶことが“イタリア”を思い起こさせるのでしょう。降りそそぐ太陽、青い海、モッツァレッラ、トマト、ピザ、スパゲッティ……。それがイタリア? ノー! ダンテもラファエロもミケランジェロもイタリア。それが本当の“イタリア”なのです」
“イタリア”をもうひとつ。彼がアカデミーのレッスン中にしつこいぐらいに指摘するポイントのひとつが「レガート」。
「ヴェルディの音楽は言葉と密接に関連し、言葉に忠実に書かれています。イタリア語は世界で最もレガートな言葉です。つねにレガートで演奏しなければなりません」
真の“イタリア”が聴けるはずだ。
東京・春・音楽祭2025
リッカルド・ムーティ指揮 東京春祭オーケストラ
2025.4/11(金)19:00、4/12(土)15:00 東京文化会館
●出演
指揮:リッカルド・ムーティ
管弦楽:東京春祭オーケストラ
●曲目
ヴェルディ:歌劇《ナブッコ》序曲
マスカーニ:歌劇《カヴァレリア・ルスティカーナ》間奏曲
レオンカヴァッロ:歌劇《道化師》間奏曲
ジョルダーノ:歌劇《フェドーラ》間奏曲
プッチーニ:歌劇《マノン・レスコー》間奏曲
ヴェルディ:歌劇《運命の力》序曲
カタラーニ:コンテンプラツィオーネ
レスピーギ:交響詩「ローマの松」
●料金(税込)
S¥19,000 A¥16,000 B¥13,000 C¥11,000 D¥9,000 E¥7,000
U-25 ¥3,000
※U-25チケットは2/14(金)発売
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