クリスティアン・アルミンク(指揮)

すみだの街に集い、平和への思いを共有する

(C)ShumpeiOhsugi

 第二次世界大戦中の1945年3月10日未明、東京上空に米軍のB29爆撃機約300機が飛来した。そこから落とされた焼夷弾による無差別爆撃で、東京の下町は焦土と化した。

 東京大空襲があった3月に毎年開かれる「すみだ平和祈念音楽祭」。今年の演奏会には、指揮者クリスティアン・アルミンクと新日本フィルハーモニー交響楽団が登場する。

 アルミンクは1971年にオーストリアのウィーンで生まれ、父の仕事の関係で幼少の一時期を東京で過ごした。戦後世代の彼にとって、多くの日本人と同様、戦争は遠い国の出来事だったという。

 通常兵器による無差別爆撃として欧州で知られているのは、ドイツ東部ドレスデンへの空爆である。被害を比べることは単純ではないが、死者数で見ると、ドレスデンの約2万5千人に対し、東京大空襲は約10万人に上る。

 「実を言えば、東京大空襲について、日本で仕事をするまでよく知らなかったのです。(欧米では)ドレスデン、ヒロシマに比べて、全くといっていいほど知られていません」

 彼の祖国オーストリアにとって、3月はもう一つの意味を持つ。ナチス・ドイツによって併合されたのは1938年3月だった。オーストリアは、ナチス・ドイツの独裁者ヒトラーを生んだ国だ。ユダヤ人弾圧にオーストリア人が加担した「負の歴史」を問い直す動きもある。アルミンクの父も、まだ15、6歳だった大戦末期のころ、ナチス・ドイツに徴用され、対空砲を運ばされる仕事をしたことがあるという。

 そんな彼が「平和」について最初に考えたのは、まだ10代前半だった80年代の冷戦時代。壁に隔てられた東西ベルリンを訪問したときだった。東側(共産圏)なら楽譜が安いと聞き、父とともに歩いて境界を越えたのだ。そこには別世界があった。

 「すべてが灰色で人々に笑顔はありませんでした。子ども心に何かが違うと、すぐにわかりました」

 アルミンクは、東京大空襲の被災地・墨田区にある「すみだトリフォニーホール」を本拠地とする新日本フィルの音楽監督を2003年から13年まで務めた。在任中の演奏会では、平和や戦争に関する曲を積極的に取り上げてきた。「自分なりの人道主義的な信念をプログラムに込める試みだった」と振り返る。

 その試みは、現在も続いている。2022年夏には、 原爆投下の前日に当たる8月5日に広島交響楽団と「平和の夕べ」コンサートを開き、マーラーの交響曲第3番を演奏した。広響とは24年度から音楽監督として密接な関係を築くことになる。

 3月の演奏会では、フランス、ベルギーの作曲家の作品を取り上げる。ラヴェル「左手のためのピアノ協奏曲」は、第一次世界大戦で右手を失ったピアニストのために書いた曲である。ピアノ独奏を務める萩原麻未は広島の出身。2020年には被爆ピアノをテーマにした藤倉大の協奏曲「Akiko’s Piano」をアルゲリッチの代演で広響と世界初演した。後半は、サン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」(オルガン:室住素子)。サン=サーンスは、ナポレオン3世の時代にフランスとプロイセン(今のドイツ)との間で起きた普仏戦争(1870〜71)に従軍するなど戦乱の中で作曲活動を続けた。

 東京大空襲から78年目の春を迎えた世界では、ロシアによるウクライナ侵攻、コロナ禍など、不安が広がる。いま、これらの曲から何を引き出し、聴衆に伝えるのか——。東京大空襲、原爆という20世紀の惨禍を経験した二つの都市との関わりを深めるアルミンク自身、模索を続けている。彼はこれまで、平和祈念コンサートであっても特段の発言をせず、ストレートに指揮台に向かってきた。その理由について、「音楽家として、メッセージを伝えるのは音楽を通じてという思いがあります」と語る。

 今回は、演奏会に先立って、墨田区の小学校を訪れ、新日本フィルのメンバーによる演奏とともに、彼自身の言葉で、児童らに「平和」の意味を伝える。惨禍の歴史と体験をオーケストラ、そして地元の人々と共有するなかで、彼が抱いてきた平和への思いは、さらに説得力を増すものになっていくに違いない。
取材・文:石合 力
(ぶらあぼ2023年2月号より)

Profile
ウィーン生まれ。レオポルト・ハーガーや小澤征爾のもとで研鑽を積み、ヤナーチェク・フィルの首席指揮者、ルツェルン歌劇場の音楽監督などを経て、2003〜13年に新日本フィル、2011〜19年にベルギー王立リエージュ・フィルの音楽監督として活躍した。17年から広響の首席客演指揮者を務め、24年からは同楽団の音楽監督に就任予定。チェコ・フィル、ウィーン響、ベルリン・ドイツ響、ボストン響、N響などに招かれ、オペラではフランクフルトやストラスブールの歌劇場、新日本フィルなどで《サロメ》《ホフマン物語》《フィレンツェの悲劇》などを指揮している。19年には小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトで小澤征爾とともに《カルメン》全4公演を指揮した。

Information】
すみだ平和祈念音楽祭2023 アルミンク & 新日本フィルハーモニー交響楽団
2023.3/11(土)15:00 すみだトリフォニーホール

出演/クリスティアン・アルミンク(指揮)、萩原麻未(ピアノ)、室住素子(オルガン)、新日本フィルハーモニー交響楽団
曲目/ルクー:弦楽のためのアダージョ ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲
   サン=サーンス:交響曲第3番ハ短調 op.78「オルガン付き」
問:トリフォニーホールチケットセンター03-5608-1212 
https://www.triphony.com