ロン=ティボー国際音楽コンクール ピアノ部門 予選を振り返る

2022秋 高坂はる香の欧州ピアノコンクールめぐり旅日記 5

 ロン=ティボー国際音楽コンクールピアノ部門、3日間にわたり31名が演奏した予選が終了し、10名のファイナリストが発表されました。

上段左より:DAVIDMAN Michael、LECOCQ Paul、GUO Yiming、BURNON Valère、亀井聖矢
下段左より:NOH Hee Seong、SUN Youl、重森光太郎、WEI Zijian、LEE Hyuk
DAVIDMAN Michael(アメリカ・25歳)🇺🇸
LECOCQ Paul(フランス・17歳)🇫🇷
GUO Yiming(中国・20歳)🇨🇳
BURNON Valère(ベルギー・24歳)🇧🇪
亀井聖矢/KAMEI Masaya(日本・20歳)🇯🇵
NOH Hee Seong(韓国・24歳)🇰🇷
SUN Youl(韓国・22歳)🇰🇷
重森光太郎/SHIGEMORI Kotaro(日本・22歳)🇯🇵
WEI Zijian(中国・24歳)🇨🇳
LEE Hyuk(韓国・22歳)🇰🇷

 日本からは、重森光太郎さん、亀井聖矢さんがセミファイナルに進出! セミファイナルは日にちを開けず、現地時間11月10日の朝10時(日本時間18時)からスタートし、1日で10名全員が演奏。そしてすぐにファイナリストが発表されます。
 セミファイナルを前に、さまざまな個性を聴くことができた予選の演奏を振り返ってみたいと思います。

エコール・ノルマル音楽院 ©Haruka Kosaka

 まず、今回のコンクールを取り巻く状況を少々説明しておきましょう。
 審査員には11人のお名前がありますが、審査委員長のブルーノ・レオナルド・ゲルバーさん、そして直前にコロナの関係で来られなくなったパヴェル・ギリロフさんとプラメナ・マンゴーヴァさんは、オンラインでの審査ということになりました。つまり3票はオンラインでの印象に基づいて投票されているということになります。

 また演奏順については、コンクール事務局で決定してコンテスタントに報告されたそうです。どういうふうに決定したのかはコンテスタントもよくわからない模様。さらにセミファイナルでもまた演奏順が入れ替わっていて、その理由はまだ確認していないのでわかりません。いろいろと、普通のコンクールの状況とは違うことが多い……。

 そして課題曲について。コンクールの聴きどころの記事で書いた通り、予選から課題曲が特殊です。ショパンのソナタ第2番から第1、4楽章と、プーランクの「プレスト」が、必ず入れなくてはならない固定プログラム。他にも、2曲から1曲選択という課題が二つもあるので、コンテスタントの演目にはかなりかぶりが生じます。

 そこで各自が“得意技”や“強み”を十分見せるには、残りの10分の自由曲をうまく活用する必要があります。指定曲に小品が多いので、みなさん残りの時間に1曲をはめ込むケースが多かったです。10分くらいの中規模の作品の構成力も見せよう、ということでしょう。

 この予選の課題でまずクセモノだったのが、ショパンの「葬送」ソナタの第1、4楽章という曲目だと思います。マルグリット・ロンの遺志による課題とはいえ、1楽章から一気に終楽章にワープするというのは、音楽の構成やつながりを大切に演奏しているピアニストにとっては、正直きもちわるいに違いありません。リサイタルではなくコンクールですから、仕方ないことなのかもしれませんが。亀井聖矢さんは、1楽章を弾き終えて4楽章に入る前に「3楽章の終わりを思い浮かべてから4楽章を弾き始めた」と話していました。

亀井聖矢 ©Haruka Kosaka

 そんな亀井さんは、残りの10分でバラキレフの「イスラメイ」を演奏。以前クライバーンコンクールで聴いたときにも書いたことですが、この作品を弾いていると多くの人が、難しい超絶技巧作品を完璧に弾けてすごい!という感じになりがちなのですが、亀井さんはその先の表現までたどりついています。「『イスラメイ』ってすごい良い曲だったんだな、オリエンタルの香り…」みたいな気持ちにさせてくれるという。何度も重要な場面で弾いている曲だそうで、彼にとっての勝負曲なのでしょう。

 この曲も含め、華やかで確かな実力を見せつけ、セミファイナル進出を果たしました。ちなみに結果発表のあと亀井さん、コンクールの事務局長から「Congratulations, Islamey!!」って声かけられてました!

 また、もう一人の日本からのセミファイナリスト、重森光太郎さん。自由曲ではブラームスの「創作主題による変奏曲」op.21-1を選び、重厚かつロマンティックな音楽をのびのびと演奏して、鮮明な印象を残しました。かっちりとした音楽を聴かせつつ、小回りもきく、そんなオールマイティな音楽性が魅力的です。

 一方で、セミファイナル進出を果たせずとも、素晴らしい演奏はたくさんありました。
 尾城杏奈さんも、自由曲のスクリャービンのピアノ・ソナタ第6番で印象を残したコンテスタント。繊細かつ柔らかいピアノの音で、会場を幻想的な空気で満たします。フランス音楽が大好きで、先月からエコール・ノルマル音楽院に留学し始めたとのこと。これからますますその音楽性を変化させていくことでしょう。楽しみ!

尾城杏奈 ©Haruka Kosaka

 さて、再び課題曲について。
 固定レパートリーからは、もともとフランスもの、さらにフランス・バロックものに親しんでいるかどうかが演奏から見える場面もあります。指が回るのは当然で、その先の表現で楽しませてくれる人もいるなか、人によっては、課題だからなんとか弾いている感がある人もいたというのが事実。

 そんな中で印象的だったのは、マルセル田所さんのラモー「鳥のさえずり」。多くが、可愛らしくさえずるか、しっとり歌うかという演奏の中、マルセルさんの演奏からは、暗い森の奥で何かを思いながら囀る、暗い色の羽を持つ鳥の姿が見えてくるよう。この曲、こんなに暗いイメージだったっけ…確かに短調の曲ですけれど。
 あとで聞いたところ、ヒッチコックの名作映画「鳥」のイメージで音楽を作っていたそうです。伝わりすぎていました…。それだけ自由が多いのが、バロック音楽のおもしろさ。自由選曲のシマノフスキ「変奏曲」op.3も、闇とロマンティックのコントラストが鮮やかな印象を残しました。

右:マルセル田所(務川慧悟さんとともに) ©Haruka Kosaka

 もうひとり、印象に残るステージを聴かせてくれた日本からのコンテスタントが、戸室玄さん。日本に生まれ、アメリカとフランスで育ったという経歴の持ち主。これまでコンクール向きでないと言われ続け、33歳の今、初めて国際コンクールに挑戦したそうです。きっかけはこの、多くの人が「準備が難しい!」と思うフランスもの縛りのレパートリーを、「好きな曲ばかり」と思ったからだそう。

 ミスタッチのないピアニストへの憧れはあるけれど、そうではない、音楽を楽しむ種類の演奏を目指すことに割り切ってコンクールの準備をしてきたといいます。実際、がっしりとした音楽の中に時折ほどよい遊びがあらわれて、聴いていて楽しい。また演奏を聴いてみたい、そう思えるピアニストに不意に出会えるのが、コンクールのいいところです。

戸室玄 ©Haruka Kosaka

 最終日に登場した藤澤亜里紗さんは、ラモー「鳥のさえずり」から始め、粒立ちのよい生き生きとした音をホールに響かせました。自由選曲はラヴェルの「夜のガスパール」より「スカルボ」。確信に満ち、堂々とした音楽を届けてくれました。

 一方、初日、しかもトップで演奏した、京増修史さん。このコンクール、今回から運営が変わったこともあって、初日から手探り状態(とはいえ、ちょっとずつ良くしていくという心意気は見られる)。譜面台がピアノの上に置かれたままだったり、ステージに出てお辞儀をして弾く体勢に入ろうとしたあとに名前をアナウンスされてその間手持ち無沙汰状態になったり、いろいろやりにくい状況だったのではないかと思います。
 しかし演奏が始まればしっかり集中を取り戻してピアノに向き合い、特に、得意とするショパンあたりからはしっかりと落ち着いて、美しい音を響かせていました。

サル・コルトー  ©Haruka Kosaka

 コンクールにハプニングはつきものですが、今回もいろいろなことがありました。まず1名のコンテスタント、クロアチアからの一人のコンテスタントがコロナ感染のため参加できなくなってしまったこと。わずか32名の参加承認者に選ばれ、このような独特のレパートリーを準備していたというのに、残念だったと思います。
 そして、2日目に演奏したブルガリアのあるコンテスタント。配信を聴いていて、何が起きたの?と思った方もいらしたかもしれないので説明したいと思います。彼は10分の自由選曲に、ドビュッシーの前奏曲集からの数曲を弾く予定だったそうですが、ショパンのソナタの1楽章を弾いたあと、なぜかそのまま課題にない2楽章へ…しかもずっと演奏の様子がおかしい。そこで2楽章が終わったところで審査員席から「このあと、ドビュッシーを弾きたいですか?」と声がかけられると、「ノー」と答えて舞台から去っていきました。

 緊張や精神的なプレッシャーを乗り越え、あれだけの数の音を暗譜し、さらに見事な演奏をして聴く人の心を波立たせ、ときには泣かせてくれるようなピアニストたち。日々、あまりにも当然のように触れ続けているせいで、忘れそうになります、それがどれほどの神業なのかということを。改めて、演奏家というのはすごい存在です。

 というわけで話が少しそれましたが、セミファイナルはこのあとすぐにスタート。次は45分間のリサイタル、ますます個性が際立つはず……楽しみに聴きましょう!

♪ 高坂はる香 Haruka Kosaka ♪
大学院でインドのスラムの自立支援プロジェクトを研究。その後、2005年からピアノ専門誌の編集者として国内外でピアニストの取材を行なう。2011年よりフリーランスで活動。雑誌やCDブックレット、コンクール公式サイトやWeb媒体で記事を執筆。また、ポーランド、ロシア、アメリカなどで国際ピアノコンクールの現地取材を行い、ウェブサイトなどで現地レポートを配信している。
現在も定期的にインドを訪れ、西洋クラシック音楽とインドを結びつけたプロジェクトを計画中。
著書に「キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶」(集英社刊)。
HP「ピアノの惑星ジャーナル」http://www.piano-planet.com/