「トッパンチャリティーコンサート」にレジェンド前橋汀子が14年ぶりに出演

文:池田卓夫(音楽ジャーナリスト)

 凸版印刷は2006年9月に、国連が提唱する「グローバル・コンパクト」への参加・支持を表明した。グローバルな視点に立った社会貢献活動の重要性を改めて認識、国際社会の課題である「識字能力の向上」を支援する社会貢献活動として「トッパンチャリティーコンサート」を2008年から継続開催してきた。2022年11月22日の第14回は前橋汀子(ヴァイオリン)、松本和将(ピアノ)が出演。前橋は2008年2月8日の第1回も担っており、14年ぶり2度目の登場となる。

(c)篠山紀信

 音楽史上初のチャリティー・コンサートは1838年。作曲家&ピアニストのフランツ・リスト(1811-1886)がブダペスト大洪水からの早期復興を願い、ファンドレイジング(資金調達)の演奏会を開いたのが起源とされる。以来、200年近くに及ぶチャリティー・コンサートの歴史で、最も多く演奏されてきた作曲家がベートーヴェン(1770-1827)だ。耳の病の悪化で一度は自死も考えたが「私にはまだ、神から与えられた音楽の使命がある」と立ち直り、私たちが今も頻繁に聴く中期、後期の傑作群の作曲に邁進した。力強さと繊細さ、人の心にしみる歌心に溢れたベートーヴェンの旋律は、大切な人&物を失い、傷ついた人々を慰めるだけでなく、再起への強い力を与える。

 前橋汀子は今年でデビュー60周年を迎え、すでにレジェンド(伝説)の域に到達した偉大なヴァイオリニスト。少女時代にロシア人の小野アンナからヴァイオリンを教わり、ダヴィッド・オイストラフ来日公演を聴いて衝撃を受け、独学でロシア語を学んだ。17歳で日本人初の留学生として潮田益子とともに旧ソ連レニングラード(現在のサンクトペテルブルク)音楽院に招かれ、ミハイル・ヴァイマンに師事した。さらにジュリアード弦楽四重奏団のロバート・マンの指導を受けるため、ニューヨークのジュリアード音楽院へ進み、最後はスイスでヨーゼフ・シゲティ、ナタン・ミルシテインの薫陶を受けた。スイス時代には画家のオスカー・ココシュカ、俳優のチャーリー・チャップリンとも遭遇。ニューヨークではオーケストラの魔術師、レオポルド・ストコフスキーの指揮でパガニーニのヴァイオリン協奏曲を独奏、前衛作曲家のジョン・ケージとも交流があった。別の主催者にデビュー60周年の原稿を頼まれた時、私は「世界を渡り歩く中で、前橋自身が一つの世界になった」と記した。

 美しく気品に溢れ、音楽の核心へと一直線に突き進む姿からはあまり想像できないが、オフステージの前橋はなかなか、ユーモアのセンスにも長けている。「レニングラードでイダ・ヘンデルの演奏会を聴いて、日本の母に『私も、あんなお婆さんになるまでヴァイオリンを弾いているのかしら?』と手紙を出したのよ。あの時のイダは40歳にもなっていない。私、とっくに超えてしまったわ」と、豪快に笑ったこともある。ヘンデルと同じカール・フレッシュ門下で98歳の天寿を全うしたイヴリー・ギトリスが共演ピアニスト、ヴァハン・マルディロシアンの「東京都内初の単独リサイタル」に華を添え、小品を何曲か演奏する企画が、ギトリスの来日中止で暗礁に乗り上げた時、「東京・春・音楽祭」でヴァハンと初共演し、意気投合した前橋が代役を引き受け、ギトリスに負けず劣らずの「濃い」演奏で急場を救った場面にも私は立ち会った。音楽の狭い枠にとどまらず、世界を見続けてきた前橋の「生きる姿勢」には、強い芯が一本通っている。

 2011年の東日本大震災直後、前橋はピアノの中村紘子に電話をかけ、チャリティーコンサートの開催を持ちかけた。2011年6月3日のサントリーホール、「前橋汀子、中村紘子、堤剛と仲間たちによるピースフル・コンサート」のトークで、中村は「前橋さんからお電話をいただくのは今世紀初めてで、びっくりしました」と打ち明けた。桐朋学園「子供のための音楽教室」の同窓でもある3人の大家が奏でたメンデルスゾーンのピアノ三重奏曲第1番 第1楽章もまた、心に深く落ち、長く記憶に残る音楽だった。

 今回のトッパンホールでは前半にモーツァルトのト長調 K.301 (293a)、ベートーヴェンの第9番イ長調「クロイツェル」作品47と大きなソナタ2曲を置き、後半は得意の小品集、最後を十八番のサラサーテ「ツィゴイネルワイゼン」で締める。ピアノの松本和将との共演歴は長く、ぐうっと速度を落として見栄を切ったり、急激に追い込んだり…と予測不可能で、スリル満点の「汀子ワールド」にもぴたりと息を合わせていく。

 トッパンはチャリティーコンサートを通じて識字能力の向上を目指して支援してきた。世界では識字能力を身につけていない成人(15歳以上)が7億7,200万人、その3人に2人以上が女性という(UNESCO 2018年調査)。今回のコンサート収益金も途上国の女性、特に幼い子どもを育てる母親や妊産婦の識字能力の向上を支援するため、公益財団法人ユネスコ・アジア文化センター(ACCU)が、カンボジアで実施している「SMILE ASIAプロジェクト」の活動資金に寄附する予定。世界を体現した前橋の熱い音楽に触れながら、チャリティーで社会貢献の一端も担えること自体が、特別の体験といえる。


Message from Teiko Maehashi

2022年11月22日第14回トッパンチャリティーコンサートで演奏できますこと大変嬉しく思っております。私、今年で演奏活動60周年を迎えました。トッパンホールでは14年前の第1回目のこのチャリティーコンサートをはじめ、いろいろな形でたくさんのコンサートを弾かせていただきました。ホールの響きはもちろん、佇まい、熱心に聴いてくださるお客様、どれもすばらしく、トッパンホールで演奏するのは毎回本当に楽しみです。

今回のプログラムは前半にモーツァルトとベートーヴェンのソナタ。後半は私の好きな小品集です。様々な国、時代の作曲家たちのヴァイオリンの名曲の数々です。皆様にはぜひ、ひとときを楽しんでいただけましたら幸いです。


第14回トッパンチャリティーコンサート
2022.11/22(火)19:00 トッパンホール

前橋汀子(ヴァイオリン)
松本和将(ピアノ)

モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ ト長調 K301 (293a)
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第9番 イ長調 Op.47《クロイツェル》
(休憩)
ヴィエニャフスキ:モスクワの思い出 Op.6
クライスラー:ウィーン奇想曲 Op.2
パガニーニ(クライスラー編):ラ・カンパネラ
マスネ:タイスの瞑想曲
ドビュッシー(ハイフェッツ編):美しき夕暮れ
ファリャ(クライスラー編):スペイン舞曲第1番
サラサーテ:ツィゴイネルワイゼン Op.20

トッパンホールWEBチケット
https://www.toppanhall.com
トッパンホールチケットセンター
03-5840-2222(10:00~18:00 土日祝休)

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Biography

前橋汀子(ヴァイオリン)
2022年演奏活動60周年を迎えた日本を代表するヴァイオリニスト。5歳からヴァイオリンを学び、小野アンナ、斎藤秀雄、ジャンヌ・イスナールらに師事。17歳で旧ソ連に留学、ミハイル・ヴァイマンのもとで学ぶ。その後、ジュリアード音楽院でロバート・マン、ドロシー・ディレイらの指導を受け、さらにスイスでヨーゼフ・シゲティ、ナタン・ミルシテインの薫陶を受けた。ニューヨーク・カーネギーホールでの演奏会デビューを皮切りに、国内外で多彩なプログラムによる演奏会を多数開催。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団をはじめ世界各国の代表的なオーケストラと、多彩なマエストロのもと数多く共演。室内楽でも、ピアノのイェルク・デームスやクリストフ・エッシェンバッハ、アナトール・ウゴルスキら名手たちと、数多く共演している。録音も多く、文化庁芸術作品賞を受けた「バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ&パルティータ全曲」など数多くリリース。2011年春の紫綬褒章、17年春の旭日小綬章受章。使用楽器は1736年製作のデル・ジェス・グァルネリウス。
https://teikomaehashi-violin.com

(c)篠山紀信

松本和将(ピアノ)
東京芸術大学在学中にベルリン芸術大学に留学、ドイツで5年間の研鑽を積む。1998年第67回日本音楽コンクール優勝、併せて増沢賞をはじめすべての副賞を受賞。2001年ブゾーニ国際ピアノコンクール第4位、03年エリーザベト王妃国際音楽コンクール第5位など、国内外のコンクールでの入賞多数。
これまでにプラハ交響楽団、プラハ・フィルハーモニー管弦楽団、ベルギー国立管弦楽団、読売日本交響楽団、日本フィルハーモニー交響楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団、東京交響楽団、東京フィルハーモニー交響楽団など、数多くの著名オーケストラと共演。09年から3年連続でオールショパンプログラムによる全国ツアーを行ったほか、16年より「松本和将の世界音楽遺産」と名付けたリサイタルシリーズを開始。
室内楽にも積極的に取り組み、イザベル・ファウスト、前橋汀子、宮本文昭など多くの名演奏家と共演。2010年に上里はな子、向井航と結成したピアノトリオでも精力的に活動している。これまでに2枚のレコード芸術特選盤(「展覧会の絵」「後期ロマン派名曲集」)を含む21枚のCDをリリースし、いずれも好評を博している。
https://www.kaz-matsumoto.com