Aからの眺望 #13
パリのアメリカ人とアイルランド人

文:青澤隆明

セーヌ左岸にあるジョージ・ホイットマンの書店。シルヴィア・ビーチの精神を継ぐべく、彼女の死後『シェイクスピア・アンド・カンパニー』を襲名し、現在もユニークな活動を続けている

 ブルームズデイが巡ってきた。
 アイルランド生まれの作家ジェイムズ・ジョイスを祝う日だ。『ユリシーズ』は、1904年6月16日にダブリンで起こる出来事だ。その日の朝8時から翌日午前2時過ぎまでの18時間ほどに18のエピソードが展開する。この日はジョイスが後に妻となるノラと最初のデートをした記念日だという。今年がそれからちょうど120年目になる。
 それで、この春に文庫化されたシルヴィア・ビーチの回想録『シェイクスピア・アンド・カンパニイ書店』(中山末喜訳、河出文庫)のページを、もういちどぱらぱらと捲っている。シルヴィア・ビーチがパリのデュピュイトラン通り8番地に書店を開いたのは1919年11月19日、つまりは第一次大戦終戦の翌年だ。1921年にオデオン通り12番地に移る。彼女の書店の界隈では、いまからみても、おそらく当時としても、夢のような日々が広がっていく。

 これは、パリのアメリカ人の物語である。「物語たち」というべきか、「アメリカ人たち」というべきか、シェイクスピア・アンド・カンパニーという書店をめぐる本回想録に登場する面々は、それこそ当時のパリの創造的な熱気を、しかし親しくも慎ましい距離をもって映し出している。
 文学の人ばかりではなく、音楽家で言うと、ジョージ・アンタイル(アンティール)は開店当初から店主と親しく、「バレエ・メカニーク」の話題は初演の巻き起こした「大騒ぎ」を含めて、たびたび出てくる。サティもひょっこりと顔をみせる。ナディア・ブーランジェも。音楽も文学も美術もみな、お互いを刺激し合っていた熱き一時代のことである。
 店主ビーチとガートルード・スタインとは仲たがいもするが、ジィドはおなじみさんで、最後まで店の経営の力にもなる。もちろん、ヘミングウェイやフィッツジェラルドもやってくる。シャーウッド・アンダーソンも。トーマス・スターン・エリオットもエズラ・パウンドも。友人が友人を呼んでくる。そうして、友愛に満ち溢れた「シルヴィア・ビーチと仲間たち」の冒険は22年間続く。そこに、次なる戦争がひどい顔をしてやってくる。書店の姿はいったんなくなっても、人々と作品たちは生きる、作者と読者と、それぞれの物語は現在までも続く。

 しかし、なんと言っても、これは第一にジェイムズ・ジョイスと同書店が初めて出版した『ユリシーズ』をめぐる冒険の物語である。私がいちばん好きな場面も、歌が上手だったというジョイスが口癖のようにこう漏らすところだ。「歌手になっていたなら、もう少しましなことをしただろうに」。
 「『そうかもしれません、だけど、あなたは作家としてかなりお仕事をなさったのではありませんか』と、私はいつも答えていました。」とビーチは綴っているが、もちろんそれだけではないだろう。
 「いやいや、あなたは天性の音楽家に他ならないですよ」と、私も異を唱えたいところだ。トム・ウェイツは「おれの武器はボキャブラリーだ」と言っていた、「武器」ではなく「楽器」だったかな。ジェイムズ・ジョイスは音楽をアルファベットで記譜していた、ストーリーをそえて。意味はうまくつかめずとも、声に出してみれば、その快感はすぐにわかる。武満徹が憧れたわけだ。つまりは、音が存在なのである、聞こえてくるということが。

 ジョイスは目が弱かったから、それだけにより耳が研ぎ澄まされたのではないか、とビーチは近くでみているが、そういうこともあるだろう。存在はまず視覚でなく、聴覚で、響きで捉えられる。そういうことは、ジョイスを読むときに、心地よい語感のうちでいつも起こっている。
 「ジョイスは、時どき、彼の読者に誤読させるのを楽しんでいたと思います。彼は、歴史というものは、誰かがあることを隣の人に囁き、隣の人はそのまた隣に余り明確ではないがこれを繰り返し伝えて行き、最後に話を聞く人のところまでくると話がすっかり変わってしまっているという、例の応接間で行われるゲームのようなものだ、と私に話したことがありました。彼が私に説明するところによると、勿論『フィネガンズ・ウェイク』の意味は薄ぼんやりとしてはいるがこれはこの作品が『夜景画』であるためだということでした。私もまた著者の視力のように、この作品はたびたびぼーとかすんでしまうと思います」。

 もうひとつ、私がとても好きなところは、ガーシュインが『ユリシーズ』を買い求めに、シェイクスピア・アンド・カンパニー書店を訪れるシーンだ。1928年のことである。ということは、『パリのアメリカ人』がカーネギーホールで初演される年だ。彼の登場はわずか数行と短く、しかしそれだけに余韻ある、というか、余韻しかない。
 ガーシュインが好印象を運んできたことが、ある章の終わりになって、ぽそりと告げられるだけなのだが、それだけで、ああ、と思わず溜め息が漏れる。『ユリシーズ』を買うために立ち寄ったとしか綴られていないのに、その光景を頭に思い描いてわくわくするのだ。その後、ビーチは面識のないレディから、ガーシュインのためのパーティーに招待された。そこでは、兄のアイラが傍らにいて、ジョージは歌い、ピアノ曲も弾いた。妹のフランシスも歌った。

 美しい時代である。しかし、先に述べたとおり、続いて悲惨な戦争がやってくる。戦間期といわれる時期に、どうしてこれだけの傑物と傑作が芸術世界に生み落とされたのか、といつも驚かされるが、それはこういう時代の空気や活力、人々の国や民族を超えた結びつきや反発があったからなのだ。都市のもつ力でもある。人が拓く磁場である。
 しかし、そうしたしあわせはやがて苦みを帯びてくる。経済的なことはいつも時代の趨勢と関係があるが、シェイクスピア・アンド・カンパニー書店にも経営難に続けて戦禍が迫り、そうしてかたちを奪われていく。物語の幕切れはいささか唐突だ。銃を携えたヘミングウェイとシルヴィア・ビーチの再会が、じつに堅い人間の絆を象徴したところで、この回想録は途切れるように終わる。書店の通りに鳴り響く銃声が苦い味を残す。

 「シェイクスピア・アンド・カンパニー」と言えば、字義どおり仲間たちという感があるが、まさしく一座である。シルヴィア・ビーチ一座は、英語人たちにとってのパリを上演したのだ。そして、なによりパリジャンにとって、英米語文学の主舞台であった。ナチス・ドイツに阻まれるまでの22年の歳月が、どれだけの交友と啓発をもたらしたかについては、芸術家たちそれぞれの実作が暗に告げているだろう。『ユリシーズ』とジョイス一家を支えただけで栄えある大仕事だ。パリのアメリカ人は、真に重要な創造の心を繋いだのである。


『シェイクスピア・アンド・カンパニイ書店』
著:シルヴィア・ビーチ
翻訳:中山末喜
河出書房新社 ¥1430

【Profile】
青澤隆明 あおさわ・たかあきら

音楽評論家。1970年東京生まれ、鎌倉に育つ。東京外国語大学英米語学科卒。主な著書に『現代のピアニスト30—アリアと変奏』(ちくま新書)、ヴァレリー・アファナシエフとの『ピアニストは語る』(講談社現代新書)、『ピアニストを生きる—清水和音の思想』(音楽之友社)。