能にインスピレーションを得たオペラを日本で皆さんと体験したいのです
取材・文:柴辻純子
フィンランド出身の現代作曲家カイヤ・サーリアホのオペラ《Only the Sound Remains −余韻−》(2016)が、新演出でまもなく日本初演される。ミレニアム以降、オペラの創作に力を注ぎ、《遙かなる愛》(2000)は、2017年に日本でもMETのライブビューイングで上映され、それまで現代オペラに触れたことのない聴衆も魅了した。サーリアホにとって4作目のオペラとなる本作は、日本の能を題材とし、アメリカの詩人、エズラ・パウンドの英訳集から『経正』と『羽衣』の2作品が選ばれた。
今回、サーリアホ自身の来日が実現。コロナ禍にあって世界的作曲家が日本を訪れたのは初めてのケースでワールドワイドなニュースでもある。
上演を間近に控え、日本滞在中のサーリアホにオンラインインタビューを行った。
「私は以前から日本の素晴らしい文化と伝統に心から敬意を抱いてきました。今回の能のテキストも、他の翻訳で読んだことがありましたが、パウンドの翻訳を読んだとき、彼の芸術的な素晴らしい言葉にインスパイアされ、第一印象でオペラを書きたいと思いました。『経正』と『羽衣』は、演出家のピーター・セラーズとディスカッションを重ね、最終的に2人で選んでいます。暗く重々しい『経正』と、明るい光に満ちた軽やかな『羽衣』との対比に惹かれ、物語的にも音楽的にもコントラストがつけられると思ったからです。新しい作品を作るとき、いつもこれまでとは違うことに挑戦したいと考えますが、こうしてまったく異なる2つのものをひとつの作品にまとめるのは、難しかったですね。音楽においても、オーケストラは大好きですが、今回は、弦楽四重奏、フルートとカンテレ(フィンランドの伝統楽器)、打楽器による小編成(+4人の合唱)とし、ソリストは2人だけです。これも非常に難しく、私にとって挑戦でした」
ソリストは、カウンターテナーとバスバリトン。異界の人物は、羽衣を纏う天女もソプラノではなく、カウンターテナーが務める。これは、新世代のカウンターテナー、フランスのフィリップ・ジャルスキーの存在が創作に影響を与えたと語る。
「(亡霊や天女を描くには)普通の声域を超えた歌手でなければと考え、身体と声が必ずしも一致しない、カウンターテナーを起用することにしました。。ジャルスキーほど高い声が出るカウンターテナーはなかなかいません。最初は『経正』だけのつもりでしたが、ジャルスキーの方から、残り半分、僕は何もしないの?と聞かれ、『羽衣』も彼が歌うことになったのです。
それが結果的に良かったと思っています。彼とはこれまでたくさん仕事をしてきてその声を熟知しているので、彼の一番高い声の音は『羽衣』のために残しておき、『経正』では使わないようにしました。今回のミハウ・スワヴェツキさんも、高音域まで出せる素晴らしいカウンターテナーなので、とても楽しみです」
サーリアホの音楽は、洗練された響きと色彩豊かな音色で作られ、エレクトロニクスを活用して響きの奥行きや可能性を広げる。本作でも様々な場面でエレクトロニクスが用いられるが、その表現においては彼女のこだわりをみせる。
「人間の声が好きですし、言葉が聞こえなくなるのが嫌なので、あまりいじりたくないのですが、今回は、人間ではない存在を描きたかったので、声については、カウンターテナーのみ、エレクトロニクスを重ねました。『経正』は、声が空間を旅していくような感覚、『羽衣』では、鐘の音(bell sound)を模すことによって、現実ではない、あちらの世界を音で醸し出しています」
今回は、《シモーヌの受難》の室内楽版初演(2013)も担当した若手演出家アレクシ・バリエールと新世代の指揮者クレマン・マオ・タカスが再びコンビを組み、日本を代表するダンサー、森山開次(振付・ダンス)が加わる。刺激的な舞台を作り出す、彼らたちにも大きな期待を寄せている。
「私はディレクターや演出家に注文を出さない主義です。自分のヴィジョンをしっかり持っている人に任せて、彼らの考えで描いてもらいたい。それによって作品はより豊かになり、若い演出家が手がけることで、この作品は次世代においても生き残っていくと考えています。森山さんとの仕事は初めてですが、ヨーロッパと日本のアーティストが一緒に作り上げていくのは、とてもファンタスティックなことだと思います。リハーサルの段階からワクワクしています」
そして最後にタイトルについて。サーリアホの作品は、《光の弧》《秘密の花園》《遥かなる愛》など、いつも洗練されたタイトルで音楽のイメージを膨らませてくれるが、この《Remains》も、イマジネーションが広がる美しいタイトルだ。
「タイトルを付けるのはすごく難しく、作曲をしながら同時に考えていきます。それが作品のアイデンティティーに合うか考え、様々な言語を行き来することもあります。でも大抵は、これだというタイトルに行き着きますね」
コロナ禍にありながら、サーリアホの来日が実現しオペラの上演が実現したことについて彼女は次のように語った。
「コロナ禍だからこそ、文化は大切だと信じています。多くのアーティストが厳しい時期を迎え、私自身もキャンセルの山と延期で、次の日程が決まらないものがたくさんあります。悲劇的とも言える状況のなかで、今回公演が実現することに感嘆の気持ちを持っております。私は日本の文化から多くのインスピレーションを得てきました。だからこそ日本に来て、みなさんと一緒に体験することが大切だと思い、来日しました。何百年も前に作られた作品が、外国人である(アーネスト・)フェノロサに伝わり、未亡人からエズラ・パウンドに受け継がれ、そして私のところへと、多くの人の手を経て伝わってきました。この作品が、日本のみなさんにどのように伝わるのか、好奇心をもちつつ、こうして上演されることを何よりも嬉しく思っています」
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★能『経正』『羽衣』あらすじとエズラ・パウンドについて
第1部『経正』:平家物語の後日譚。僧侶の行慶が、琵琶の名手だった平経正を弔っていると、経正の亡霊が現れる。琵琶「青山」を奏で、昔を懐かしむが、修羅の道に落ちた姿を恥ずかしく思った経正は、自ら灯火の中に消えていく。
第2部『羽衣』:三保の松原に住む漁師の白龍は、天女の羽衣を見つけ、家宝にしようとするが、天女から返してほしいと嘆願される。白龍は、天女の舞を見せてもらうことと引き換えに羽衣を返すと、天女は舞い、富士の峰へと昇っていく。
エズラ・パウンド Ezra Pound(1885〜1972):アメリカの詩人。東洋美術史家アーネスト・フェノロサ(1853〜1908)が英訳した能の遺稿を受け継ぎ、日本の古典芸能である能を優れた文学として西洋に広く紹介した。台本は、2人の共著『The Classic Noh Theatre of Japan』に基づく。
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【関連記事】
●「サーリアホの音楽の特徴は美しいこと、そして非常にハードにコントラストの激しい表現が好きです」
〜クレマン・マオ・タカス(指揮)インタビュー
●「サーリアホさんは空気に色付けする魔術師ですね」
〜成田逹輝(ヴァイオリン、東京文化会館チェンバーオーケストラ第一ヴァイオリン)インタビュー
●「お客さんにとっての肌感覚がより鮮明に見えてくるようなことができたらいいなと思います」
〜森山開次(ダンス・振付)インタビュー
【information】
東京文化会館 舞台芸術創造事業〈国際共同制作〉
カイヤ・サーリアホ作曲:オペラ《Only the Sound Remais −余韻−》
2021.6/6(日)15:00 東京文化会館 大ホール
第1部:Always Strong 原作:能『経正』
第2部:Feather Mantle 原作:能『羽衣』
上演時間:約2時間(休憩1回含む)
指揮:クレマン・マオ・タカス
演出:美術・衣装・映像:アレクシ・バリエール
美術:照明・衣装:エディエンヌ・エクスブライア
音響:クリストフ・レブトレン
舞台監督:山田ゆか
出演:
ミハウ・スワヴェツキ(カウンターテナー)(第1部:経正/第2部:天女)
ブライアン・マリー(バリトン)(第1部:行慶/第2部:白龍)
演奏:東京文化会館チェンバーオーケストラ
(第1ヴァイオリン:成田逹輝、第2ヴァイオリン:瀧村依里、ヴィオラ:原裕子、チェロ:笹沼樹、カンテレ:エイヤ・カンカーンランタ、フルート:カミラ・ホイテンガ、打楽器:神戸光徳)
コーラス:新国立劇場合唱団
(ソプラノ:渡邊仁美、アルト:北村典子、テノール:長谷川公、バス:山本竜介)
問:東京文化会館チケットサービス03-5685-0650
https://www.t-bunka.jp
【関連イベント】
ワークショップ「カイヤ・サーリアホが描く音風景」
2021.6/1(火)18:30 東京文化会館 小ホール
第1部:サーリアホ作品を熟知した奏者によるフルートとカンテレのコンサート
第2部:オペラ「Only the Sound Remmans」についての解説)
出演:
サイヤ・サーリアホ(作曲家)、カミラ・ホイテンガ(フルート)、エイヤ・カンカーンランタ(カンテレ)、クレマン・マオ・タカス(指揮者)、アレクシ・バリエール(演出家)
司会進行:柴辻純子
問:東京文化会館チケットサービス03-5685-0650
https://www.t-bunka.jp