クレマン・マオ・タカス(指揮) 
サーリアホ:オペラ《Only the Sound Remains −余韻−》日本初演直前インタビュー

サーリアホの音楽の特徴は美しいこと、
そして非常にハードにコントラストの激しい表現が好きです

クレマン・マオ・タカス

取材・文:宮本明
写真:編集部

 オペラ《Only the Sound Remains ー余韻ー》を指揮するのは、1985年生まれ36歳のフランス人指揮者クレマン・マオ・タカス。日本での知名度はまだこれからだけれど、拠点のパリや北欧を中心にめきめきと頭角を現している注目株で、とくにサーリアホ作品のスペシャリストとして知られている存在だ。これが日本デビュー。カミュ全集を片手に颯爽と現れたクレマンは、入国後14日間の隔離期間もあって自由に行動できなかったというものの、ずっと憧れていた日本を訪れる夢が叶ってとてもうれしいと、ちょっと特殊な初来日を、できる範囲で楽しんでいる様子だった。

「カイヤ(・サーリアホ)の作品はたくさん指揮しています。このオペラの制作にも関わっていますし、アムステルダムでの世界初演(2016年)はじめ、ニューヨーク、パリ、ヘルシンキの公演も観ているので、作品をよく理解しているつもりです。

 ただ、自分が指揮することは想像していなかったでですし、日本文化を象徴する能を題材にした作品を日本で上演するということに、大いに興奮しています。というのも、かねてから、作品とそれが上演される場所とのリンクに非常に留意してやってきたのです。この作品が日本で上演されることには非常に深い意味を感じています。

 今回の演出家で、カイヤの息子でもあるアレクシ(・バリエール)とは10年来の付き合いで、現在パリでラ・シャンブル・オゼコー(La Chambre aux échos)というカンパニーを作って一緒に活動しています。じつは9年前に彼とマーラーの『亡き子をしのぶ歌』を演出付きで上演した時にも能楽師を起用したのですが、その頃すでにカイヤがこの《Only the Sound Remains》の構想を練っていることを知りました。10年経って、その3人がこの作品で、しかも日本で一緒に仕事をできるのですから、余計に感慨深いのです」

 《Only the Sound Remains ー余韻ー》の出演者は独唱者2人、合唱4人に室内アンサンブル7人という小編成オペラ。
「指揮者にとってはとても難しい作品です。少ない出演者ですが、それぞれの存在感が非常に強い。演技やドラマの進行を補いながら一人ひとりを注意深く導いていかなければなりません。それは非常にデリケートな作業です」

 彼はこのオペラを「境界線」という言葉で象徴した。
「カイヤ自身が自分の奥底にある概念を形にした作品です。それが『境界線』という概念。たとえば生と死。光と影。その境い目はじつは曖昧です。たとえば光はどのタイミングからが影なのか。そんな世界観を見事に表現しています。人間はそれぞれの人生のなかで感性の美しさを感じる瞬間を必ず体験すると思いますが、それは幻なのか、あるいは実体なのか。たとえば前半の《経正》に登場する幽霊という存在しない存在、あるいは後半の《羽衣》で描かれる美というものは、実際に形として存在しているわけではなく、われわれはそれを感性で感じていますよね。そんな曖昧であることの美しさを、カイヤは見事に音楽にしている。私にとってそれがとても衝撃的でした。

 彼女はまた、沈黙も見事に描いています。日本的にいうと『間』(ま)でしょうか。空気のようなもの。観客はおそらく、劇場に流れている空気、それはフルートの音であったりヴァイオリンのヴィブラートであったりするのですが、それが自分の呼吸と一体となってひとつの間を描いていくのを感じるはずです。これは本当に素晴らしいことだと思っています」

 曖昧な境界や沈黙、間の概念は、きわめて日本的だとも言える。しかし《Only the Sound Remains ー余韻ー》は、能を題材にしてはいるものの、能や日本文化のコピーではないのだと、強い口調で語る。

「ソリスト、合唱、ミュージシャン、あるいは音響装置も含めて、そのすべてが総合的に能のエスプリを表現していますが、能そのものや能のまねごとではありません。これがあくまでもオペラ作品であることは忘れないでください。たしかにフルートが尺八を彷彿とさせたり、カンテレのサウンドが日本の箏を思わせるかもしれませんが、能の謡の発声を用いたりすることはありません。非常に計算し尽くしたやり方で、能のエッセンスだけを取り出している。それが登場人物の強い存在感を示し、静けさや間、あるいは時間という要素を表現していると思います。

 一方で、現代の私たちを考えさせる要素をたくさん含んでいます。私は能というのは『出会い』が重要な要だと理解しています。ポール・クローデルが言っていますね。『劇、それは何事かの到来であり、能、 それは何者かの到来である』。人とのつながりが非常に密な私たちの世界では、能に学ぶべきことが少なくないのではないでしょうか。たとえば時間をかけて相手の話を理解すること、時間をかけて自己表現をすること。
 また、出会いがあれば別れがあります。亡くなった人が戻ってくる。能は、人生のなかでそんなスピリチュアルな想像をすることも教えてくれるでしょう。
 さらに、能はもともと自然のなかで演技されていたものなので、自然との関わりが密接です。現代の自然破壊の状況の中なかで私たちが考えるべき要素もたくさん詰まっていると思います」

 サーリアホの音楽の特徴は何かと尋ねると、「美しさだね」とひとことで言い切った。
「美しいこと。そして非常にハードに、コントラストのはっきりした表現をしているのが、私はとても好きです。カイヤとは日常的にコミュニケーションをとっていて、この関係で作品を演奏できるということは、アーティストとしてこれ以上の幸せはありません。

 じつはこの作品を指揮するにあたっては20個ほどの質問を用意していたのですが、いざ彼女と話をしたら、まったく違う話題ばかりで終わってしまい、『大丈夫! あなたを信頼しているから!』のひとことで流されてしまいました(笑)。でもそれは本当に私を理解してくれているということで、彼女の作品を、コンテンポラリーな作品のように淡々と指揮をするのではなく、モーツァルトやブラームスやドビュッシーの音楽のように、深く表現しようとしていることを信頼してくれているのだと思います」

 常日頃からともに活動している演出のアレクシとも深い信頼で結ばれている。
「アレクシさん(「-san」と日本語で敬称をつけて)は天才です。彼と仕事をするのは大好きです。われわれは同じ方向性を持っていて、音楽に対する愛、作品に対するリスペクトを共有しています。彼は音楽を非常に大事にしていますし、私も演出をしっかり見ていきたいと考えるタイプなので、作品作りの最初の段階から、彼とは密に話し合ってきました。

 われわれのコラボレーションは非常に独特だと思います。通常、多くのオペラ主催者は有名なシェフや演出家を連れてきて、歌手をセレクトし、それをミキサーにズズーっとかけて舞台を作り上げる。もちろんそれで良い作品はできます。でも、私たちはやり方が違うんです。

 われわれは、とにかく出発点からお互いに密に話し合って作り上げていく。互いに疑問があれば対話しながら解決していく。今日の通常のオペラの作り方とは少し違うアプローチかもしれませんが、たとえばかつてマーラーとアルフレート・ロラーが、ブーレーズとパトリス・シェローがそうだったように、二人で作り上げることによって新しいものが生まれる、必ずしも良いものとは限らないかもしれませんが、少なくとも現在のオペラの世界に、新しい刺激、新しい視点をもたらすと信じています。私はこのやり方が好きです」

 一方、日本人の器楽奏者たちや合唱はもちろん、二人のソリストとも今回が初めての共演だが、稽古期間を通じて、すでに互いに信頼できるワンチームになっている様子。

「非常に幸せです。二人の歌手はしっかり譜面を読み解く力がありますし、演出家や私のアドバイスを聞く耳を持ってくれています。そして素晴らしいミュージシャンたち。日本の演奏家もとヨーロッパの演奏家もしっかりと準備をしてくれたことに感動しました。またこの作品において、合唱(4人の声楽アンサンブル)はとても重要な存在なのですが、彼らの能力も本当に素晴らしい。合唱がソリストと絡むシーンは非常に重要なキーポイントになるところで、そこでドラマツルギーが展開しますし、一方で、作品に人間味を与えているという点で非常に注目しています。さらに今回の演出では映像や煙などが使われますが、カイヤが描き上げた能のエスプリを、より強調して表現できると思います」

 最後に、上演をより楽しむための注目ポイントを3つ教えてほしいとリクエストすると、「3つ!?」と笑いながら、以下のように答えてくれた。
「まず1つ目。東京文化会館は60周年ですが、カイヤは年末に70歳になります。高齢の彼女が、劇場に4日間滞在するためだけに14日間の隔離生活を受け入れて来日したことを、ぜひリスペクトしていただきたいです。音楽を愛する皆さん全員に駆けつけていただいて、彼女を讃えていただきたいと思います!

 2つ目。このオペラは、誰もが何かを感じることができる作品だと思います。異国の人間が見た能という文化。もちろん私たちが、日本の皆さんに、能はこういうものですよと説くつもりはありません。ただ能の素材の一つ一つを、もしかしたら日本人が感じてきたのと違う形で表現しているところがあるかもしれません。その意味では、日本の方々に、能の異なる角度をお見せすることができると思います。《経正》は非常に官能的ですし、《羽衣》は、日本独特の、美しさを感じる感性に非常に強く訴えていると思います。興奮する要素、心がかき乱されるような要素が、この作品にはたくさんあります。黒澤監督や小津監督の描く日本独特の感性を彷彿とさせるようなシーンもある一方で、じつはいまの若い皆さんが好きそうな、ゾンビやヴァンパイアやゴーストの要素も含まれています。多くの皆さんに楽しんでいただけると思います。
 
 そして3つ目は素晴らしい音楽チームの存在です。そしてそれを、日本食が大好きで、日本の芸術が大好きで、日本の洋服が大好きな、他にはないぐらいに日本が大好きな指揮者が指揮するるわけですから。昨日も無印良品に行って、本番で着る衣装を買ったぐらい、日本の製品が大好きなんです(笑)。能は出会いの場だと申し上げましたが、私自身、この日本デビューを、日本のお客さんと出会える素晴らしい時間にしたいと思います」

 作曲も手がけるクレマン。14日間の待機期間中には、日本の詩を題材にした曲も完成させたそう。ちなみに姓の前半のマオ(Mao)はブルターニュの名前で、「幸せな若者」という意味なのだそう(「中国の由来ではないよ」と釘を刺された)。後半のタカス(Takacs)はハンガリーの名前(タカーチュ、タカーチ)で、曽祖母の名前を継いでいるとのこと。頭の回転の速さを感じさせる、いかにも聡明な語り口のナイスガイ。日本でその手腕を発揮してくれる機会も今後すぐに、どんどん増えるに違いない。その始まりとなる、現代の美しいオペラ。見逃すわけにはいかない!


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【information】
東京文化会館 舞台芸術創造事業〈国際共同制作〉
カイヤ・サーリアホ作曲:オペラ《Only the Sound Remais −余韻−》


2021.6/6(日)15:00 東京文化会館 大ホール

第1部:Always Strong 原作:能『経正』
第2部:Feather Mantle 原作:能『羽衣』
上演時間:約2時間(休憩1回含む)

指揮:クレマン・マオ・タカス
演出:美術・衣装・映像:アレクシ・バリエール
美術:照明・衣装:エディエンヌ・エクスブライア
音響:クリストフ・レブトレン
舞台監督:山田ゆか

出演:
ミハウ・スワヴェツキ(カウンターテナー)(第1部:経正/第2部:天女)
ブライアン・マリー(バリトン)(第1部:行慶/第2部:白龍)
演奏:東京文化会館チェンバーオーケストラ
(第1ヴァイオリン:成田逹輝、第2ヴァイオリン:瀧村依里、ヴィオラ:原裕子、チェロ:笹沼樹、カンテレ:エイヤ・カンカーンランタ、フルート:カミラ・ホイテンガ、打楽器:神戸光徳)
コーラス:新国立劇場合唱団
 (ソプラノ:渡邊仁美、アルト:北村典子、テノール:長谷川公、バス:山本竜介)

問:東京文化会館チケットサービス03-5685-0650
https://www.t-bunka.jp