田尾下 哲(演出)

「この時代だからこその表現を探究したいと思います」
─《ルチア》特別版への挑戦─

C)Toru Hiraiwa

 11月、日生劇場のNISSAY OPERA 2020《ランメルモールのルチア》は、予定されていた新演出プロダクションを急遽変更。新型コロナウイルス感染症対策を施した全1幕の特別編《ルチア あるいはある花嫁の悲劇》に「翻案」して上演される。どんな舞台なのか。演出の田尾下哲に聞いた。

「感染予防の観点から守るべき条件のなかで、主人公ルチアの一人芝居にして、すべてが彼女の部屋で演じられる、ルチアの悲劇に絞って描くことにしました。しかし制約のためにスケールダウンしたものをお届けするつもりはありません。この時代だからこその表現を探究したいと思っています」

 歌手同士の「密」を回避する一人芝居。といっても登場人物が一人という意味ではない。エドガルドやエンリーコはじめ、通常と同様の配役がキャスティングされているが(合唱なし)、舞台上で演じるのがルチアだけなのだ。ほかの歌手たちは舞台のサイドで歌い、おそらく客席には姿を見せないという。
「ルチアは出ずっぱりです。泉に行く場面も、エンリーコの部屋に行く場面も、結婚式の場面も、すべてがルチアの部屋で描かれます。エンリーコたちのたくらみが行われるときも、エンリーコとエドガルドが決闘しようとする場面も、ルチアは舞台上にいます。ルチアの芝居は、外部から聞こえてくる彼らの言葉と響き合い、シンクロするものになる予定です」

 われわれ観客は終始ルチアを見つめ、彼女が何を考え、どう感じていたか、その心情にいっそう寄り添うことになる。
 観客同士の接触機会を減らすために休憩なし。スコアを90分に抜粋・縮小する。エドガルドとの密会のときめきから、ルチアが絶命する狂乱の場までが一気に描かれるが、ルチアの歌唱場面はほぼカットしないという。つまり、歌唱の難易度は変わらないのに歌と歌の間はどんどん短くなるということ。しかも歌わない場面も芝居を続けなければならないから、演じる側は休む間がない。そのルチアを演じるのは高橋維と森谷真理のダブルキャスト。田尾下が、歌唱技術だけでなく演技面でも厚い信頼を寄せる二人だ。
「これまでのどのルチア歌いにも課されなかったシビアな要求を課すことになりますが、お二人ならばそれぞれの表現でそれを実現してくれるはず。彼女たちにとって非常に要求の多い舞台だからこそ、観客の皆様にも伝わる物語があると思っています」

 今だからこそ生まれた特別版ではあるが、田尾下はこうした上演が新しい表現形態になりうると提言する。
「現代シェイクスピア上演においては、台本のカットなく上演されることがないように、2020年を境にオペラが再構成されることが普通になるかもしれません。作品のエッセンスを取り出して再編成するという作業が、本来の姿を見ていただくためにも必要なステップ、オペラ普及の一助になるのかもしれないとも感じています」

 制約に気を落とすのは最初の3ヵ月で終わったという田尾下。すでに前を向いて踏み出したクリエイターの視線は、コロナ禍でのオペラ上演に新たな光を灯してくれるにちがいない。
取材・文:宮本 明
(ぶらあぼ2020年9月号より)

NISSAY OPERA 2020 特別編 《ルチア あるいはある花嫁の悲劇》全1幕
2020.11/14(土)、11/15(日)各日14:00 日生劇場 
9/1(火)発売
問:日生劇場03-3503-3111 
https://www.nissaytheatre.or.jp