瀧井敬子(企画/監修)

夏目漱石と音楽—日本の洋楽黎明期に生きた文豪

 「楽(がく)という一種の美しい世界には丸で足を踏み込まないで死んで仕舞わなくつちゃならない。僕から云わせると、是程憐れな無経験はないと思ふ」——夏目漱石は、小説『それから』で主人公代助にそう語らせている。それは、漱石自身の思いでもあったのだろうか? そして、彼は実際にどんな音楽を耳にしていたのだろうか?

この秋、東京文化会館で行われる「漱石が上野で聴いた『ハイカラの音楽会』」は、まさに往時のプログラムを甦らせようという試みだ。明治期の文豪たちの洋楽受容に関する研究の第一人者で、この公演の総監督を務める瀧井敬子は「漱石は音楽界の事情通だった」と語る。日記や手紙の内容から、少なくとも十数回以上のコンサートに出かけていることが、瀧井の研究により明らかになっている。

今回再現されるのは、漱石も訪れた、明治45(1912)年6月9日に東京音楽学校(現・東京芸術大学)の奏楽堂で行われた同校第26回定期演奏会の演目。ウェーバーの《魔弾の射手》序曲に始まり、メンデルスゾーン「ピアノ協奏曲第1番」、シューマン「流浪の民」、サン=サーンス「チェロ協奏曲第1番」など実に盛りだくさんだ。
「年に2回の定期演奏会は、学校が総力を挙げて社会に向けて発信する大事な行事。管弦楽の充実に尽力してきたドイツ人教師アウグスト・ユンケルは、任期の最終年に、苦心して育て上げたオーケストラと共に、集大成としてこの公演に臨みました。定期演奏会の番号は、現在の芸大フィルハーモニア管弦楽団定期演奏会にもずっと引き継がれているんですよ」
漱石が「ハイカラの会」と評したこの音楽会は、日本の洋楽史という観点からも重要な一日だったのだ。
「漱石はフロックコートを誂えるたびにコンサートに出かけているんです。人に見せて自慢したいから(笑)。でも、音楽会は単に正装して出かける社交の場であっただけではないと思うのです。彼にとっては、もっと深い部分で、精神のバランスをとるのに音楽が必要だったのではないかと私は考えています」

出演は、山田和樹(指揮)率いる横浜シンフォニエッタ。ソリストに、ピアノの川崎翔子、チェロの遠藤真理を迎え、さらに漱石が一時滞在した岡山県真庭市の合唱団が東京混声合唱団と合同で参加する。案内役は大久保光哉(バリトン)。
「西洋音楽を取り入れた過渡期の人々の努力があってこそ、いま、山田さんのように世界で活躍する音楽家が輩出される時代になった。過去を知り、現代を見つめる。それが未来への道標にもなるのではないでしょうか」

明治45年の演奏会から100年余り。漱石と同じ上野の地で再現コンサートを聴くことは、文豪の足跡をたどる上で意義深いだけでなく、日本のクラシック音楽界の歴史を紡いできた先人たちに想いを馳せる良い機会にもなりそうだ。
取材・文:杉村泉
(ぶらあぼ2017年10月号より)

夏目漱石生誕150年記念 漱石が上野で聴いた「ハイカラの音楽会」
2017.10/15(日)14:00 東京文化会館
問:ミリオンコンサート協会03-3501-5638
http://www.millionconcert.co.jp/