
森麻季の歌には、人の心を支える力がある。東日本大震災後にはじめた「愛と平和への祈りをこめて」と題するリサイタルが、毎年続けられて今年で16回目というのも、そういう力があるからだろう。
世界を見渡せば、この瞬間にも紛争が絶えず、国内では災害が後を絶たない。だから「被災した人たちに寄り添いたい」という思いがこもった森の歌には、特別な意味がある。
「はじめたきっかけとして大きいのは、2001年の9.11テロのとき、真っただ中のワシントンで歌っていたことです。事件3日後なのに劇場はほぼ満席で、オペラ終演後、『芸術が平和を呼ぶように』というかけ声がたくさんかかり、いま思い出しても涙が出ます。その後、広島や長崎の平和記念式典で泣きながら《レクイエム》を歌うといった経験を重ね、2011年の3.11から半年ほどの時期に、第1回を開催しました。被災された方々の思いに寄り添いたい、という気持ちでした。このリサイタルでは、いま平和でいられることや無事に日々を送れていることは、とてもありがたいことだ、ということを、音楽を通して気づいてもらいたいのです」
聴く楽しみを超えて、困難を乗り越える力になれる——。このコンサートを通して森は、そんな音楽を届けようとしており、「心が救われた」という感想を寄せる人は多い。
「以前は、難しい歌を完璧に歌えるようにしよう、ということばかり考えていましたが、9.11のとき、歌には聴いた人の気持ちを前に向ける力があるんだ、と気づきました。あのとき舞台に立つこと、演奏することの意味合いが、自分のなかで変わりました」
そしていま、聴く人の心に歌を、言葉を、以前よりもっと直接、届ける術が身についたと語る。
「以前は自分の声が細くて頼りないと感じていましたが、最近は丸みや深みが加わり、理想に近づいてきたようです。それとともに、以前のような技巧的な歌に加え、言葉や情景をそのまま届けられ、聴いてくださる方々の心に直接響く日本歌曲も、歌えるようになってきました。ベートーヴェンやモーツァルトも歌いますが、今回は中田喜直、木下牧子、武満徹……と、これまで歌ったことがない日本歌曲をたくさん選びました。私の成長やこれまでの学びを総動員して歌いたいと思います」
ピアノは、森が「私がどう表現したいか、私以上に理解している」と語る山岸茂人。日本を見ても世界を見回しても、「愛と平和への祈り」が強く希求されているいま。森麻季の歌の価値は、ますます高まっていると思う。
取材・文:香原斗志
(ぶらあぼ2026年9月号より)
森 麻季 ソプラノ・リサイタル 愛と平和への祈りをこめて Vol.16
2026.9/19(土)14:00 東京オペラシティ コンサートホール
問 ジャパン・アーツぴあ0570-00-1212
https://www.japanarts.co.jp
他公演
9/27(日) 大阪/住友生命いずみホール(大阪新音06-6926-4888)

香原斗志 Toshi Kahara
音楽評論家。神奈川県生まれ。早稲田大学卒業、専攻は歴史学。イタリア・オペラなどの声楽作品を中心にクラシック音楽全般について執筆。歌声の正確な分析に定評がある。日本ロッシーニ協会運営委員。著書に『イタリア・オペラを疑え!』『魅惑の歌手50 歌声のカタログ』(共にアルテスパブリッシング)など。歴史評論家の顔もあり、近著に『お城の値打ち』(新潮文庫)。
