濱田芳通が語る「マタイ受難曲」――至高の宗教作品に息づく躍動とドラマ

 東京と埼玉を結ぶ音楽文化の拠点にあって首都圏屈指の音響を誇るコンサートホール、川口リリアのリオープン記念公演で、濱田芳通&アントネッロがバッハの「マタイ受難曲」(以下「マタイ」)を演奏する。ヨーロッパの音楽が本来もっていた即興性とダイナミズムで日本の音楽界に新風を巻き起こしてきた濱田らが同作を前回取り上げたのは3年前、やはり同ホールにおいてだった。「マタイ」の魅力や演奏解釈、同曲の想い出などについて話を訊いた。

 「マタイ」は音楽史上の至高の宗教曲で、日本でもコンサートのチケットが即座に売り切れるほどの人気だ。その理由については、もちろん「ヨハネ受難曲」もすばらしいとした上で、「僕も『マタイ』の方が好きですね。何が特別なのか正直分かりませんが、第2部後半の(イエスの磔刑後に合唱が歌う)〈まことにこの方は神の子であった〉だけでなく、終曲の前後など感動ポイントが至るところに鏤められているからではないでしょうか」と言う。

 3年前の公演は色彩感と躍動感に溢れると同時に、聴き終えた後に宗教的な感動が得られた本当に素晴らしい演奏だった。しかもアリアのバロック的な任意な装飾的パッセージや歌手たちの演劇的な身振り、歌詞や場面に則した音による表象などが、中世の典礼劇や18世紀のオペラとの繋がりを感じさせた。そう感想を述べると濱田は、「バッハにはオペラはないが、本当は書きたかったのではないか」としつつも、自身の解釈の主眼は別のところにあると言う。

 「具体的には3という数字へのこだわりです。記譜の上では4拍子で書かれているときでも、3拍子が内在しているように感じられる。深層部分まで掘り下げていくと、楽譜の中にいろいろなものが見えてくるのです。また、フレーズの伸び縮みやアッチェレランドなどのルバート(柔軟なテンポの収縮)は音楽表現において最も大事なもののひとつだと思います」

 確かに「3」は三位一体を象徴し、ルバートは近年古楽の演奏理論でますます重視されているものだ。また、濱田は「バッハが古代ユダヤの社会をどのようにイメージしていたか」を想像することもこの作品を理解する助けとなるという。

 「バッハも僕らと同じように古い時代のことを知らないわけですから、エキゾティックなものを思い浮かべ、クープランの異国情緒のようなものを想像して曲を書いていたと思うんです。そういう意味で、当時の人たちにとってのエキゾティックなイメージを表現しても良いのではないかと思っています」

 この大作の中のどの曲で、そうした要素が浮かび上がってくるのかは、聴いてのお楽しみだ。

 ご尊父の故・濱田徳昭氏は日本オラトリオ連盟の創立者で「マタイ」も盛んに指揮し、たびたび名福音史家エルンスト・ヘフリガーが来日して歌っていた。濱田は小さい頃にヘフリガーの福音史家を聴いて感動したと以前プログラムに書いていたので、そのことについて尋ねると、「感動も何も…」と頷いて、「子どもの頃からヘフリガーが歌う『マタイ』をレコードで聴いて育ち、自宅では父たちとヘフリガーのリハーサルにも立ち会いました。良い想い出です」。

 今回のキャストは福音史家の中嶋克彦やイエスの坂下忠弘ら約20名の歌手たちに、ヴァイオリンの天野寿彦、フルートの柴田俊幸、オルガンの上羽剛史ら日本を代表する器楽奏者たち。「マタイ」を愛する人々のみならず、今回初めて聴く人たちにも驚きと感動の体験となることだろう。

取材・文:那須田 務

(ぶらあぼ2026年9月号より)

濱田芳通 & アントネッロ J.S.バッハ「マタイ受難曲」
2026.10/3(土)、10/4(日)各日15:00
川口総合文化センター・リリア 山伸サステインホール(音楽ホール)
問 リリア・チケットセンター048-254-9900
https://www.lilia.or.jp