Interview 本堂竣哉(ピアノ)

ここにあるものは誰にも奪えないもの、
それを生業にしているのだから。

本堂竣哉

取材・文:青澤隆明
撮影:藤本史昭 写真提供:TOPPANホール

 やわらかな雨が降っていた。「僕、雨男なんですよ」と本堂竣哉は控えめに笑った。「横須賀で“ゴルトベルク”を弾いたときも雨だったし、紀尾井で“ハンマークラヴィーア”を弾いたときも雨だったし」。

 昨年6月、武満徹の「雨の樹 素描」と「雨の樹素描 Ⅱ」をTOPPANホールで弾いたときはどうだったか? 天気のことはさておき、シューマン、バッハをはさんだシンメトリックな構成と彼のピアノ演奏のことはよく覚えている。大江健三郎の短篇連作に象徴的なイメージ、夜のうちに降る雨をためておく「頭のいい『雨の木』」は表現や創造にも深く関わってくる暗喩だろう。

「『雨の木』の小説群のなかに、フォークナーの引用で、『悲嘆と何もないことの間で、人は常に悲嘆を選ぶ』という大事な言葉がある。グリーフということを大江さんはよく書かれますけれど、まさにためこんで、そこから一滴の水がしたたり落ちる、それがどれほどの涙をためこんでいるか? 僕の好きな『M/Tと森のフシギの物語』では、“森のフシギ”という怪物がいて、人間の言葉を研究している。で、言葉をぜんぶ研究しおえてみると、結局どういうことになるんだろう? 一滴の大きな涙ということかも知れない、そういうイメージですね」

 つまり、一滴が落ちてくるためには、水がたまった深さが必要で、そこにいたるすべてがひとつひとつの表現の奥行として、音の響きを、音楽を支えているのだろう。

 さて、“ゴルトベルク変奏曲”である。それは本堂竣哉が湛える音楽の深層にあって、際限なく雨粒をためこんできた曲だろう。作品を演奏すると、思考や観念や心のかたちが肉体をもってくる。つまり、具体的な楽器から出てくる響きで、具体的なその瞬間に束の間生成する。それは、ひとたびひとたびが作品の理想のイメージの似姿や写し絵のようなものなのではないか?

「それは本当に僕の考えている本質と通い合うことで、これも大江さんの孫引きですが、たとえばイェーツが“Vacillation(揺れ動く)”という詩を書いたときに、これは自分がみたヴィジョンの燃え滓のようなものだと言った。僕でいうピアノが、詩人にとっての言葉であって、その言葉を通して一所懸命書く。できたものはヴィジョンにとっては燃え滓のようなものかもしれないけれど、そういうふうにして人に伝わっていく。受け取る人もそこから自分の想像力を使って、ヴィジョンをつくり上げるわけですから、そこでヴィジョンの伝搬がある。
 その意味で言うと僕は、それこそピアノのほうがたまたま握手してくれたというだけで。途中でチェンバロに転向したかった時期もあったけれど、ピアノというのがとにかく自分が舞台に立てる場を提供してくれるものだった。結局、詩人が言葉で仕事するように、僕はピアノで仕事をしているのだと思う。ピアノで仕事したいと思ったことは一度もないし、自分の見ているヴィジョンや芸術のために、別にエレキギターだっていいんですけど、たまたまピアノが連れてってくれたので、いまもピアノを続けているというだけの話なんです」

 たまたま、と彼は言うが、それを幸福という側面からみると、どのように思えるのか?

「ひとつピアノのいいところで、自分に合っていたのは、自分の楽器ではなく、ホールの楽器を弾くところです。新たに出会った楽器と、必ずなにか対話しなくちゃいけない。そこでしか生まれないものがある。ここにあるものというのは誰にも奪えないもので、それを生業にしているのだから。それが失敗だったとしても、なにも伝えないゼロより、燃え滓が伝わる1のほうが絶対にいいし、そこからなにか受け取ってくださる人は必ずいるということはわかっている」

 さて、“ゴルトベルク変奏曲”は、生地の北見で5歳のときにグレン・グールド、1955年のデビュー盤を買い求めて以来、ずっと彼の心のなかに鳴り響いているアリアとなった。

「ずっとこの曲と育ってきて、なかなか“グールドのゴルトベルク”というところが抜けず、むかしはなに弾いてもグールドみたいだった(笑)。それが大学で抜けるようになって、小林道夫先生との出会いもあっていろいろ教わって、さらに古楽の知識が増えて、歴史の前のほうからバッハを見られるようになった。で、ピアノでバッハをどう弾いていいかわからなくなった。いまもわからないけれど、ピアノで弾くのは編曲みたいなものだから、なんでもいいのだとも思う。結局、“ゴルトベルク”のほうからの握手というのがあって、横須賀でコンクールを取れたこともそうだし、優勝記念公演が“ゴルトベルク”だったこともそうだし」

1909年製のベーゼンドルファー Model 250とともに

 ベルリン留学前のこの夏に、TOPPANホールでのリサイタルが急遽起ち上がり、ホールが昨年迎えた1909年製のベーゼンドルファー Model 250で、長く愛するこの変奏曲を弾く。

「僕がピアノメーカーのなかでいちばん好きなのがベーゼンドルファーで、しかもTOPPANホールのこのピアノに初めて触れたときに、なんかこう、震えるものがあった。こんなに良い楽器が弾けて、いま大学を卒業した段階でなにをやるかといったときに、僕は“ゴルトベルク”以外ありえないと思った。それはやっぱり、人生の曲がり角にずっと“ゴルトベルク”がいて、魂が共通するもの、共鳴するものがあった、としか言えない。小林先生は50年“ゴルトベルク”を弾かれたけど、僕が50年弾いたら100年になるなと思うし(笑)」

 この大曲はアリアで始まり、30の多様な変奏の果てに、アリアが帰ってくる。あるいは、アリアに還ってくる。

「アリアが帰ってきて、たとえ同じ曲でも違うものだというのがすごく大事なところだと僕も思います。大江さんの『新しい人よ眼ざめよ』でも、小説の始まりと最後で状況はまったく変わっていない、でも変わっている、ウィリアム・ブレイクの詩を読むことを経て。そこがいちばん大事なところだと思うし、それが人生だし。どれだけ準備しても、音楽って結局即興だし、1時間20分先がどうなるかなんてわからない。その日しか行けない場所に、曲に連れて行ってもらう。楽器がいろいろ知っていて、音楽に協力してくれる。どうやって弾こうとかは、そのときここにきたらわかるんだろうなと思う」

【Information】
本堂竣哉(ピアノ) × ベーゼンドルファー Model 250
2026.7/23(木)19:00 TOPPANホール


出演/本堂竣哉(ピアノ)
曲目/J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲 BWV988

問:TOPPANホールチケットセンター03-5840-2222
https://www.toppanhall.com


青澤隆明 Takaakira Aosawa

書いているのは音楽をめぐること。考えることはいろいろ。東京生まれ、鎌倉に育つ。東京外国語大学英米語学科卒。音楽評論家。主な著書に『現代のピアニスト30—アリアと変奏』(ちくま新書)、ヴァレリー・アファナシエフとの『ピアニストは語る』(講談社現代新書)、『ピアニストを生きる-清水和音の思想』(音楽之友社)。『ショスタコーヴィチを語る』(青土社)で、亀山郁夫氏と対談。そろそろ次の本、仕上げます。ぶらあぼONLINEで「Aからの眺望」連載中。好きな番組はInside Anfield。
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