
「幻のピアニスト」という呼称の成立条件は、「その実力に比して来日公演の機会に恵まれてこなかった」となろうが、今年で80歳のフランスのピアニスト、アリス・アデールはそれにふさわしい。1980年代からディスクを発表してきたが、フランス・ピアニズムの華やいだ印象とは異なり、硬質な造型の中に生命の炎を立ち昇らせる強い個性を刻印してきた。近作は後期リストと現代フランスのフィリップ・エルサンを組み合わせた『シメール』だが、黙想と詩情が一体となった孤高の境地だ。こうした個性ゆえ一般認知が遅れたのか、初来日公演はようやく昨年。J.S.バッハの「フーガの技法」全曲や近代フランス音楽とエルサン「エフェメール」全24曲といった妥協なきプログラムでピアノ音楽ファンの話題を呼んだ。
その時の聴衆の歓待を喜んだアデールが早くも再来日を決めたのは朗報だ。今回は2ヵ所で演奏会が行われ、フィリアホールでのバッハ&シューベルトも注目だが、王子ホールのリサイタルはショパンとモンポウ。それもモンポウの「ひそやかな音楽」28曲全曲演奏が核で、それに合わせショパンの夜想曲を6曲選んだという恐るべきプログラム。モンポウの同曲集は2017年の録音があるが、静けさや民族性で語られることが多いこの20世紀スペインの作曲家から、哲学的警句とも評すべき高密度の音楽を引き出していた。王子ホールの空間で両作曲家がアデールのピアノによっていかなる出会いを果たすか。もはや「幻」にあらず!
文:矢澤孝樹
(ぶらあぼ2025年12月号より)
アリス・アデール(ピアノ)
2026.2/10(火)19:00 王子ホール
問:王子ホールチケットセンター03-3567-9990
https://www.ojihall.jp
他公演
2026.2/14(土) フィリアホール(オフィス山根 contact@officeyamane.net)

矢澤孝樹 Takaki Yazawa
1969年山梨県塩山市(現・甲州市)生。慶應義塾大学文学部卒。水戸芸術館音楽部門主任学芸員を経て現在ニューロン製菓(株)及び(株)アンデ代表取締役社長。並行して音楽評論活動を行い、『レコード芸術online』『音楽の友』『モーストリークラシック』『ぶらあぼ』『CDジャーナル』にレギュラー執筆。朝日新聞クラシックCD評選者および執筆者。CD及び演奏会解説多数。著書に『マタイ受難曲』(音楽之友社)。ほか共著多数。

