マスネ《ウェルテル》| 岸純信のオペラ名作早わかり 〜新時代のオペラ作品ガイド 第2回 

text:岸 純信(オペラ研究家)

【あらすじ】
青年ウェルテルは、訪問先の娘シャルロットに恋し、シャルロットの側も彼に惹かれるが、彼女には既に婚約者アルベールがおり、自分の妹ソフィーもウェルテルに好意を寄せていた。すれ違う心が互いを傷つけた結果、ウェルテルは命を絶ってしまう。

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「決まった相手がいる人を、知らずに好きになった」とき、人間はどこまで想いを抑えることが出来るだろう。“不倫”と一刀両断にしてよいものか?《ウェルテル》の主人公は23歳の青春真っ盛り。自然を愛し、子どもの笑顔に癒される好青年である。その彼が20歳の娘シャルロットを紹介されたことで悲劇の幕が開く。舞踏会に行き、すっかり打ち解けたウェルテルは素直に恋心を語る。でも、そこで彼女は告白「母が決めた婚約者がいます」。絶望した彼は叫ぶ「僕は、死ぬでしょう!」・・・やがて、その言葉が現実となってしまうのだ。

新国立劇場《ウェルテル》2019年公演より
ウェルテル(サイミール・ピルグ)とシャルロット(藤村実穂子)
撮影:寺司正彦

ドイツの文豪ゲーテの小説『若きウェルテルの悩み』を原作に、フランス人のマスネが作曲した《ウェルテル》(1892)は、初演から不動の人気を誇るオペラ。繊細な歌のメロディとオーケストラの雄々しい響きを通じて、愛情の行方をストレートに描いた名作である。

「一作ごとにテーマを変える」ことを是としたマスネは、婀娜っぽい美少女が転落する《マノン》(1884)やスペイン救国の英雄を描く《ル・シッド》(1885)など、華麗な作風で成功を収めてきた。その彼が、「純然たる人間性のドラマ un drame de pure humanitéのオペラ化」というアイディアに触れ、『若きウェルテルの悩み』の物語が、それまでの自分に無かった路線だと気付いたところから、本作の構想がスタートした。

しかし、書き上げたものの、パリのオペラ・コミック座からは上演を拒まれる羽目に。理由は「テーマが暗すぎる」からであった。家族ぐるみの客が多いコミック座は、《ウェルテル》に漲る悲愴感を、《カルメン》の野蛮さよりもさらに危ぶんだ。そこで、本作は5年近くもお蔵入りになったが、1890年にウィーンで称賛されたテノール、エルネスト・ヴァン・ダイクの瑞々しい美声が、作曲者の心に《ウェルテル》を呼び戻す。主人公の名アリア〈オシアンの歌〉もこの名歌手になら託せるとマスネが考えた結果、1892年2月16日、ウィーン宮廷歌劇場にて独語の訳詞で待望の世界初演が行われたのである。

爾来、《ウェルテル》は、世界中のテノーレ・リリコ(抒情性豊かなテノール)がこぞって歌う演目となり、かのドラマティック・テナー、デル・モナコや、軽やかな響きで超高音を得意としたマッテウッツィが「歌えなかったのは歌手人生最大の心残り」と吐露するほどの人気作になっている。日本でもつい先日、東京の新国立劇場で上演され、サイミール・ピルグの情熱的な歌いぶりが好評を博したが(2019年3月)、かくのごとく「想いを突き詰める、内省的な役柄」は、英雄性や華々しさとは違う角度から歌心をくすぐるものなのだろう。

ちなみに、本作に関して、マスネは一度とんでもないことを口にした。1886年、ワーグナーの《パルジファル》を観るべく、バイロイト音楽祭に詣でた折、彼は、音楽に感動するあまり終演後にこう漏らしたという。
「ああ、パリに戻って僕の《ウェルテル》を燃やしてしまいたい!」
それでも、《ウェルテル》は無事世に送られた。心優しい人々が傷つけあう哀しさは、時代も世相も超えて、いまなお人の心を揺さぶり続けている。

《ウェルテル》Werther(1892)
全4幕のDrame lyrique(抒情的ドラマ)
台本:フランス語
作曲者:ジュール・マスネ(1842-1912)
台本作者:エドゥアール・ブロー (1836-1906)、ポール・ミリエ(1848-1924)、ジョルジュ・アルトマン(1843-1900)
初演:1892年2月16日 ウィーン、宮廷歌劇場(独語訳詞にて)
仏語オリジナル版初演:1892年12月27日ジュネーヴにて
フランス初披露:1893年1月16日、パリ、オペラ・コミック座

推薦盤
DVD(2005年ウィーン):P.ジョルダン指揮/A.セルバン演出
*人の心を切り刻むような「作りこまれた演出プラン」が指揮者と歌手勢の力で濃く滲出

【見どころ&聴きどころ】
第1幕
ウェルテルのソロ〈おお自然よ、恵みに満ちて〉
アルベールのソロ〈彼女は私を愛している〉
間奏曲〈月の光〉
第2幕
ウェルテルのソロ〈僕は胸に抱きしめただろう〉
ソフィーのソロ〈明るい太陽〉
第3幕
シャルロットのソロ〈手紙の場〉
シャルロットのソロ〈涙を流させて〉*サクソフォンの音色も特徴的
ウェルテルのソロ〈春風よ何故我を目覚ますのか(〈オシアンの歌〉)
第4幕
間奏曲〈クリスマスの夜〉

Profile
岸 純信(Suminobu Kishi)

オペラ研究家。1963年生まれ。『音楽の友』『レコード芸術』『ぶらあぼ』『音楽現代』『モーストリー・クラシック』や公演プログラムに寄稿。CD&DVDの解説多数。NHK-Eテレ『ららら♪クラシック』やFM『オペラ・ファンタスティカ』等に出演を重ねる。著書『オペラは手ごわい』(春秋社)、訳書『マリア・カラスという生きかた』(音楽之友社)など。大阪大学非常勤講師(オペラ史)。新国立劇場オペラ専門委員。静岡国際オペラコンクール企画運営委員。