勅使川原三郎(ダンサー・振付家・演出家)ロング・インタビュー Part1

interview & text :岡見さえ
photos:野口 博

世界的な振付家、ダンサーであることはもはや言を俟たず、さらに4月より愛知県芸術劇場芸術監督就任が話題を呼んでいる勅使川原三郎。3月の新作世界初演は、東京芸術劇場と愛知県芸術劇場で上演される『三つ折りの夜』だ。19世紀フランス象徴派の詩人ステファヌ・マラルメの詩にインスピレーションを得て、勅使川原が演出・振付・照明・美術を担当、佐東利穂子と踊り、庄司紗矢香がヴァイオリン・ソロで共演する。

── ダンス、音楽、詩をめぐる新作ですが、まず音楽について教えてください。

曲は、庄司さんとのやりとりで決めました。無伴奏ヴァイオリン・ソロを9曲演奏していただきます。たとえばヴァレンティン・シルヴェストロフの「ポストリュード」という静かな曲。バッハの「ラルゴ」、ストラヴィンスキーの「エレジー」、バルトークの「ソナタ」なども心の底で響くような美しい音楽です。イザイの「サラバンド」は空気の中から現れてくるようです。バッハの「パルティータ、サラバンド」は精神が緩やかに空気に溶けて翻るような曲ですね。

── 庄司さんとは、日本やヨーロッパですでに何度も共演されています。

庄司さんは、ソリストとしての存在が素晴らしい。身体性が高く敏感な方です。
ヴァイオリンは腕や手などの上体の重きがあるように見えますが、実は反対に重心を足裏できちんと感じて全身の骨格や神経を通過して楽器と親密な一体感を保ちながら音楽を生み出しているようです。だから繊細な感覚が自由と的確を制御して繊細にも大胆にも演奏できる。ヴァイオリニストはある意味あけすけで、ヴァイオリンはテクノロジーから最も離れた楽器かもしれません。

── ダンスと音楽はどのように関わるのでしょう?

音楽は情景描写のためにあるのではなく、舞台装置(実際の物)や照明(光と影の調合)そしてダンスする身体と同じように物理的で現象的な存在です。
身体と音楽と詩がねじれて関わることが必要と考えています。詩を翻訳するわけでは無いし、解釈の場ではありません。密度の高い音楽や詩イメージ、そして身体の動きのディティールを絡ませて舞台表現としての詩世界を湧き上がらせたいと思います。

左より:勅使川原三郎、庄司紗矢香、佐東利穂子
Photo:Mariko Miura

── 詩は、マラルメが1887年に発表した「トリプティック」と呼ばれる3篇を使用されます。観念的な主題を凝縮された言語で表現し、読者に差し出すマラルメの詩は、美しさと難解さで有名です。どのように舞台化するのですか?

3篇の詩を3つの夜と重ねます。最初が日没直後の夜、2番目が深夜、3番目が明け方近くの夜。シチュエーションは書斎、部屋、寝室で、空間の内部と外部の境界である窓、月明かりを受ける花瓶、そして微風に揺れるレース編みというように、オブジェを置いて空間構成を行います。オブジェの扱いや照明によって、空間や重力、時刻の観念を逆転させることが可能でしょう。夜、闇という世界の中に、限定された音楽、光、オブジェが存在し、そこでダンスがさらなる広がりを持つ作品になると良いですね。詩の中に存在する不可思議なものが、音楽、ダンスによって現れると良いと思っています。詩人が書いていることを、ダンスが生きる、音楽が生かすように。

── 「夜」が作品の鍵のようですが、それは何を暗示しているのですか?

何かに夢中になっていたとき ―僕の場合は絵を描いているときなどに―、至近距離だけを見ていて、気が付くと周囲が真っ暗だった経験があります。こうした“夕方と夜のきわ”の時間、これまでの作品でも何度かテーマにした作家ブルーノ・シュルツの言う、“ずっと終わらない夕方”、のように。人が物理的な時間の流れと適合できるか否かは、実は身体感覚によってだいぶ異なると思うのです。時刻、時間と適合せずに、感覚が引き延ばされ、長い終わりの無いところに、偶然に、ぽつんと存在させられている。しかし、このマラルメの詩では逆に引き延ばされることはないと提示し、そこに葛藤が生じる。私の言い方では、「緩やかに突如やって来る夜」あるいは「突然はゆったりと近づく」。全ては突然起こる、偶然は静かにやってくる、のであれば、永遠は突如停止させられる。この並列は面白いし、私の世界観であり、この作品のテーマでもあります。舞踊家そして音楽家や詩人の時間感覚が存在する舞台になります。

それを終わりの無い永遠のように感じるところに、芸術的なものの見方、音楽的なものの見方があり、そこに詩人や音楽家が感じた時間が存在する気がするのです。たとえばバッハの「ラルゴ」が想起させるように。

── 勅使川原さんの仕事を見ても、“音楽に合わせて踊る”のではなく、ダンスの動きから音楽、時間が生まれてくるような不思議な感覚があります。

ある種のかかわり方の逆転で、それがまた逆転するように捻れる。否定の否定を繰り返すように、しかし、「否定の否定は肯定」などという、単純ではない捻りつづける光量の調合のように。時間や空間がメビウスの輪のように捻じれているとしても、感覚やテクノロジーによってそれに適合し、整合していると思わされてしまう。でもそれに適合できない人間がいたら? その歪んだ世界が面白いと感じてしまったら? 音楽によってその歪みに気付いたり、そこに詩や運命を感じたり。そしてこうした詩の言葉にも、ある時間性が存在します。

言葉は過去の、もうこの世にない人々が喋っていたものだと考えると、言葉とは死者の声、死者の言葉です。こうして僕が喋るときも、無意識的に、死者と関わり合っている。詩人とは、この死者の言葉を巧みに使う術を知る者、詩がそこから生まれることを熟知する者という気がします。作品はダンスと音楽が主体ですが、マラルメの詩の言葉の抜粋を声で取り入れるかもしれません。

── 新鮮な試みですね。作品にマラルメの詩を実体として存在させる意図は?

聴覚が捉える言葉の広がり、限定されるイメージと、身体の次元にはズレがある。身体は言葉を翻訳するわけではないし、翻訳する必要もない。そもそもズレという言葉も必要ないくらい、両者は異なる存在で、異なるものが同空間に同時に存在している。音楽も同様ですが、言葉が身体の持つ意味性と葛藤するのに対して、音楽性は意味性と離れた部分に属している。挑戦ですが、身体に親密な音楽、身体と葛藤する言葉という別系統のものが舞台上に同時に存在することで、また新しく生まれるダンスがあると思っています。

>> Part2に続く


Profile
勅使川原三郎 / Saburo Teshigawara

1981年より独自の創作活動を開始。85年ダンスカンパニーKARAS設立。世界の主要な芸術祭や劇場から招聘され毎年公演。独自のダンスメソッドを基礎に美術と音楽の稀有な才能によって創作を続ける。パリ・オペラ座を始めとした欧州の主要バレエ団に委嘱振付、エクサンプロヴァンスフェスティヴァル、ヴェニス・フェニーチェ劇場でのオペラ演出等、芸術表現の新たな可能性を開くアーティストとして創作依頼多数。2013年に活動拠点カラス・アパラタス開設。2020年に愛知県芸術劇場芸術監督に就任予定。2007年芸術選奨文部科学大臣賞、2009年紫綬褒章、2017年フランス芸術文化勲章オフィシエ他、受賞多数。


Information
 
勅使川原三郎ダンス公演『三つ折りの夜』
詩人マラルメ「三つ折りのソネ」より
 
出演:勅使川原三郎(演出・振付・照明・美術・ダンス)、佐東利穂子(ダンス)、庄司紗矢香(ヴァイオリン)
 
演奏予定曲

J.S.バッハ:
 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番ニ短調 より サラバンド
 ヴァイオリン・ソナタ第3番ハ長調 より ラルゴ
ストラヴィンスキー:エレジー(ヴィオラ・ソロのための)
バルトーク:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ より 第3楽章「メロディア」
イザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第4番ホ短調 より サラバンド
シルヴェストロフ:無伴奏ヴァイオリンのための後奏曲
他、全9曲を演奏予定


*新型コロナウイルスの感染拡大防止の観点から、東京公演は延期(3/5主催者発表)、愛知公演は中止(3/3主催者発表)となりました。詳細は下記ウェブサイトでご確認ください。

2020.3/6(金)19:30、3/7(土)16:00、3/8(日)16:00 東京芸術劇場 プレイハウス
問:東京芸術劇場ボックスオフィス0570-010-296
http://www.st-karas.com
https://www.geigeki.jp

2020.3/12(木)19:00 愛知県芸術劇場コンサートホール
問:愛知県芸術劇場052-971-5609
https://www-stage.aac.pref.aichi.jp