ショパン国際ピリオド楽器コンクール 審査員に聞く その2

2023年秋 高坂はる香のワルシャワ日記8

取材・文:高坂はる香

 

 ショパン国際ピリオド楽器コンクールは、全ステージについて審査員の採点表が公開されました。とくにファイナルの点数からは、審査員の評価が割れていたこと、さらに、古楽器奏者対モダン楽器奏者というシンプルな図式ではなかったということもわかります。
 このコンクール第1回から審査員を務めるチェンバロ&フォルテピアノ奏者のアンドレアス・シュタイアーさんに、コンクール終了から約1週間後、電話インタビューをさせていただきました。その時はまだ採点表が公開されていなかったので、その前提でのお話になります。

Andreas Staier ©Josep Molina

 ピリオド楽器コンクールと銘打ったこのコンクールについて多く聞かれた疑問について、また、シュタイアーさんが古楽器奏者としてこのコンクールをどうご覧になっているのか、お聞きしました。(審査員に聞く その1はこちらから)

アンドレアス・シュタイアーさん

—— 結果をどうお感じですか?

 満足しています。審査員はグループなので、個人的な意見すべてが受け入れられることは期待できませんが、許容範囲内で満足していると言わざるを得ません。基本的に何も不満はありません。

 ファイナリストの選択も問題ないと思います。最終的な順位については別のパターンも考えられたかもしれませんが、他の審査員の話を聞いてみると、かなりの僅差で順位が決まったらしいことがわかりました。

 第1回のときは状況が違い、私自身3位までを選ぶことは簡単で、さらに多くの方が近い意見を持っていました。でも今回は、これでいいのか、こうしたほうがよかったのではないかと自分で自分と話し合う必要がありました。でも全体として、結果には満足しています。

—— エリック・グオさんはどんなところが評価され、優勝したのでしょうか?

 本人のいないところで話すのは控えたいので詳しくは言いませんが、彼は詩的で、自然な音楽性とテクニックを持ち、熟練したすばらしいピアニストでした。彼の優勝に満足しています。

優勝したエリック・グオ

—— モダン楽器のショパンコンクールでは、優れたピアニストというだけでなくショパン弾きであることが求められ、それは何かという問いがよくテーマになります。今回はピリオド楽器コンクールということで、加えて、モダン楽器の時とまた違ったものを想定していた人も多かったと思います。私も一聴衆としてグオさんは非常に才能があると感じましたが、一方でピリオド楽器の経験がほとんどないモダンピアノ奏者が優勝した事実に、そういうもなのかと思ったところがあります。

 それはわかります。一方で、1840年代のエラールは例えばレペティション機構が発明された後のモデルで、モダンピアノと楽器の感触は違いますが、根本的に異なる次元の楽器ではないことを覚えておく必要があります。

 またご存知のとおり、第1ステージではバッハとモーツァルトが課題にあり、ピリオド楽器の経験がある人とそうでない人の違いは明確でした。一方で、ファイナルはショパンの協奏曲だったので、状況が異なりました。ファイナルでグオさんは、楽器をうまく扱い、彼の指の下でピアノはよく響いていました。それが現代的すぎた、現代的なパフォーマンスだったというべきなのでしょうか? これがモーツァルトコンクールで、18世紀の楽器でモーツァルトを弾くということなら、話は別だったかもしれません。

 私には、ショパンの本物の演奏はこれだと言うことはできません。ショパンの適切なルバートがどんなものかはミステリーで、それはもはや楽器の選択とは別の話でもあります。

 私たちが今聴ける本当のショパンに最も近いものといえば、ラウル・コチャルスキのようなピアニストの録音でしょう。しかしコチャルスキは基本的にモダンピアノで演奏していました。そうなると何が本物ということになるのでしょう? 簡単な話のようで、非常に複雑です。

 先ほど言ったように第1ステージは別ですが、ショパンのみの第2ステージ、ファイナルを聴いた後では、古楽器奏者かモダンピアノ奏者かの違いは確信を持って言うことができません。それと第1ステージについていえば、コンテスタントのクオリティが多様だったので、全く異なるレベルで見ねばならない現実には直面していました。“ヴィルトゥオーゾ度”対“古楽器演奏の習熟度”といいましょうか。

審査員室にて。
アンドレアス・シュタイアー(右)、オルガ・パシチェンコ(中央)、エヴァ・ポブウォツカ(左)ら

 とはいえ古楽器演奏への知識という面においても、“2世紀前は根本的に違うこんな方法で弾いていた”というようなシンプルな答えはありません。もちろん限度はあります。名前は挙げませんが、ウィーン式の繊細でかわいそうなピアノから叫び声を上げさせているコンテスタントもいました。でも、そういう人は何も賞を得ていません。こういう差はエラールやプレイエルより、ブッフホルツやグラーフを弾いているときのほうがはっきり出ます。

 もう一つ、音が汚いかも判断基準としてよく言われることの一つです。ただこれも、明確なようで主観です。例えば、ディヌ・リパッティの音は美しいですが、それが実際何であるかを説明することはできません。

 美しいピアノの音とは何かを客観的に定義することは不可能です。私自身が主観的なことを言うと、楽器の扱いがひどいとか、叩きすぎて調子が狂っていると感じると、汚い音と判断し、「その人が入賞しないといいな」と願うことになるわけです。少なくともそういう人が入賞してはいないので、その意味で満足しています。

 ファイナリストはみんな音楽的で、その選択は私の考えと大きく異なっていませんでした。審査員の間ではコンテスタントについて話しませんでしたが、近くに座っているので反応を感じ、みんな違うアプローチで聴いているのだなと思うこともありました。それでもうまくいったのは幸運だったと思います。

—— では、審査員は古楽器奏者とモダン楽器奏者というような分断ではなかったということですね。

 そういう分断はなかったと思います。採点表が公開されればわかるでしょう。複数の審査員が招かれているのは異なる意見を合わせて決定を下すためです。違う意見は絶対受け入れたくない人は、そもそも審査員を引き受けません。

 私自身、あまり審査員は引き受けません。これまで参加したのは、ライプツィヒのバッハコンクールのチェンバロ部門の審査員長を務めた時と、このショパン国際ピリオド楽器コンクールの2回くらいです。

ショパン研究所のアルトゥル・シュクレネル所長と審査員たち

 コンクールというものに疑問は抱いていますが、舞台芸術がここ数年より困難になったことも考えると、私たち年配の音楽家には、若い人を支援するために何かをする一定の義務があると思い、引き受けているのです。

 個人的に結果に失望することもありますし、評価した人が受賞して嬉しく思うこともあります。今回は、さまざまな背景の審査員がいたにもかかわらず、重要なところでは概ね意見が一致していたようだったので、興味深いと思いました。

—— 第1ステージには多くの日本人がいて、その中には古楽器を専門で学んでいる人もいましたが、ご存知の通り次に通ることはできませんでした。先月、前回2位の川口成彦さんから、古い楽器を知った上でのピリオド楽器奏者としての自覚について伺ったところというのもあり、こういうコンクールなのだから、そういうタイプの古楽器奏者がもっと評価されてもいいのになという気持ちがどうしても湧いてしまったのですが…。

 先ほどの答えとも重なりますが、人生で初めて聴く人の評価をその場でしないといけないので、これでよかったのかと思うところは常にありました。でも今は、あれで正しかったというしかありません。

 私が言えるのは、第1ステージの結果にすごく不満を感じたわけではない、ということだけです。もちろん日本人がほぼ残らなかったことには驚きましたが、本来どこの国の人かは関係ありません。

 ピリオド楽器という点を強調したコンクールをしたいなら、C.P.E.バッハ・コンクールとして、タンゲンテンフリューゲルやクリストフォリのコピー、初期や中期のウィーン式で演奏させるほうがいいでしょう。

 でも、これはショパンコンクールです。モダンピアノ奏者か古楽器奏者かという違いは、アーリーミュージック(古楽)の演奏で見られるほど大きく反映されないのです。

 4年前に審査員で話し合ったとき、ピリオド楽器コンクールでもレパートリーをショパンに限定すべきかという議論が出ました。私を含む何人かは、史上最高の作曲家はJ.S.バッハで、次に偉大なのはおそらくモーツァルトなので、少なくともこの二人を入れて広い感覚を持ち込み、モダンピアノでのショパンコンクールとの違いを示すべきだろうと提案しました。これが受け入れられたのはとても良いことでした。

 ただ、ファイナルの頃になると、バッハとモーツァルトの演奏の評価については、忘れられていたわけではないにしても、もはや判断のための重要な情報ではなくなっていただろうとは思います。個人的には、もっと先のステージでバッハを入れることも考えていいと思いますが、それは私だけで決められることではありません。

 そもそも、もし古楽器をうまく扱えるピアニストを見い出したいなら、それをショパンコンクールで行うのは得策ではありません。前述の通り、1840年代のエラールは多くの点で現代のピアノと根本的に違いはありませんから、耳を開いて対応できる現代のピアニストなら、良い音を鳴らすことができるのです。

—— ショパン研究所のレスチンスキさんとこの件について話していたら、そもそもコンクールの主な目的は、若いピアニストにピリオド楽器に触れてもらうことで、モダンのコンクールほど結果を気にする雰囲気はないのだとおっしゃっていて、もしかしたら自分はこのコンクールの趣旨を誤解していたのかもしれないと思ったのですが…。

 ナイーブなことを言うなら、私だって、このコンクールは人々が古楽器に触れ、知識をもつことこそが目的だといういう意見に完全に賛成したいところです。誰が何位で誰が落とされたかより、そのことが重要という意見には同意しますよ。でも、これはコンクールですから、誰かが落とされなければならなかった。その中で審査員として私が言えるのは、私が良いと思った人の中から一定数が次に進めていたので、何も言うことはない…ということだけです。

写真提供:Narodowy Instytut Fryderyka Chopina

International Chopin Competition on Period Instruments
https://iccpi.pl/en/

高坂はる香 Haruka Kosaka
大学院でインドのスラムの自立支援プロジェクトを研究。その後、2005年からピアノ専門誌の編集者として国内外でピアニストの取材を行なう。2011年よりフリーランスで活動。雑誌やCDブックレット、コンクール公式サイトやWeb媒体で記事を執筆。また、ポーランド、ロシア、アメリカなどで国際ピアノコンクールの現地取材を行い、ウェブサイトなどで現地レポートを配信している。
現在も定期的にインドを訪れ、西洋クラシック音楽とインドを結びつけたプロジェクトを計画中。
著書に「キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶」(集英社刊)。
HP「ピアノの惑星ジャーナル」http://www.piano-planet.com/

第2回ピリオド楽器コンクールの特集記事はこれで最後です。お読みいただき、ありがとうございました!(編集部)