1989年ハンブルク生まれのピアニスト、アレクサンダー・クリッヒェルが7年ぶりに来日し、ショパンとラフマニノフを披露する。ロシア系の名教育者、故ウラディーミル・クライネフの愛弟子である彼は、ドイツものやロシアものを得意とする印象だが、ショパンも大切なレパートリーの一つだ。
「クライネフ先生はネイガウスの最後の弟子の一人。ネイガウスの師のゴドフスキーから、さらに師を遡っていくとショパンに行きつきますから、僕はショパンから繋がる系譜にいるのです。この系譜のショパンは、ノーブルな音、宙を飛ぶような音という特徴を受け継いでいると思います」
演奏会はノクターン(第8番)から始まる。
「夜、つまり眠るときに合うということは、心が夢を見る状態に導く音楽です。さまざまな日常や背景を持って集うみなさんに、音楽に深く入る準備をしてもらうための選曲です」
各曲に抱くイメージもオリジナリティにあふれる。
「ショパンの葬送ソナタは、彼が生徒に言ったと伝えられることによると、シェイクスピアのドラマから着想を得ているそうです。最初の数小節は『マクベス』で3人の魔女が大釜の周りで踊る場面のようで、そうなると結末が幸福になるはずがありません。繰り返すテーマから英雄の声が聞こえ、2楽章の音楽からは戦いを感じます。楽章後半のオクターヴで弾かれるスタッカートは、英雄の最後の鼓動かもしれません。そこから葬送行進曲に入り、“墓を吹く風”のような4楽章で閉じられる。劇場的な作品です」
一方のラフマニノフにはショパンからの強い影響を感じるといい、プログラムを通じてそれを明示したいという。
「ラフマニノフは“ショパンは私の魂に消えない印象を残した天才だ”という言葉を残しました。重厚で激しい作品が多いですが、始まりの種の部分はとてもショパン的です。『楽興の時』にもショパンの引用がみられます」
知的なアプローチと枠にとらわれない想像力は「強烈なクライネフ先生のもと長く学んだ結果」だと話す。
「なにしろ強烈ですから、自分は弾けると思っている生徒もみんな、最初に“骨”を全部折られます。そしてそこから安定する位置に骨を組み直すことを助けてくれるのです。厳しいけれど、この中で生き延びられない人は消えていきます。
“魚を与えるより釣り方を教えよ”という言葉がありますが、先生は、自分の価値観を信じて決断する能力を育ててくれました。自分を知り信頼できるということは、最も重要な能力です」
クリッヒェルが確信とともに紡ぐ音楽に身を任せれば、聴き慣れた作品から新しい景色が見えそうだ。
取材・文:高坂はる香
(ぶらあぼ2025年2月号より)
アレクサンダー・クリッヒェル ピアノ・リサイタル
2025.2/14(金)19:00 浜離宮朝日ホール
問:朝日ホール・チケットセンター03-3267-9990
https://www.asahi-hall.jp/hamarikyu/