上江隼人(バリトン)

日本を代表するヴェルディ・バリトンが挑み演じる父フォスカリの威厳と苦悩

(c)Takafumi Ueno

 15世紀半ばのヴェネツィアを舞台に、政敵に陥れられる実在したフォスカリ父子の姿を描いたヴェルディ初期の傑作《二人のフォスカリ》がこの9月、藤原歌劇団によるニュープロダクション、ダブルキャストで上演される(共催:新国立劇場・東京二期会、演出:伊香修吾、指揮:田中祐子)。父フランチェスコ・フォスカリを歌う上江隼人は、日本におけるヴェルディ・バリトンの第一人者。日本での上演回数が非常に少ないこの作品に挑戦するにあたり、最初はかなり考えたという。

 「お話をいただいた時には、ちょっと考えさせてください、と言いました。イタリア留学中にスカラ座でレオ・ヌッチが歌ったプロダクションを観ていて、素晴らしい作品だということは知っていたのですが、まさか自分がこの役を歌えるとは思っていなかったので」

 ヴェネツィア総督フランチェスコ・フォスカリは、息子ヤコポが殺人の疑いをかけられ流刑となることを立場上受け入れざるを得ない。職務への責任感と親としての情愛の間で苦悩するフランチェスコは、その後ヴェルディが生み出した様々な「父親像」の源流に位置している、と上江。

 「《スティッフェリオ》のスタンカー、《椿姫》のジェルモン、そして《アイーダ》のアモナズロへと続いていく、威厳があり一徹な父親像ですね。イタリアでも昔はこういう父親が多かったそうですが、日本の“頑固親父”にも通じるものがあるなあと感じています。
 フランチェスコは上に立つ人間としてやらなければならないことと、息子への愛との葛藤に苦しみますが、最後に歌うアリア〈これが非道なる報いか〉はその思いが結実した曲になっています。全曲中でいちばん難しいのは登場シーン。フランチェスコは80歳で人生の終幕を迎えていますが、それまでに様々な人生経験を積んできた人としての味のようなものが自然ににじみ出るようにならなければなりません。オペラの最初に自然体でいなければならない、というのはなかなかたいへんです」

 ヴェルディ・バリトンというと、重量感があり堂々とした声を想像しがちだが、この役は形式的にはドニゼッティに近い、と指摘する。

 「歴史的なヴェルディ・バリトンを調べていくと、意外とテノールに近いというか、リリコな声の人が多いんですね。ヴェルディは力で歌わなければならない、と考えている人が多いのかもしれませんが、実は声よりは言葉や間の取り方を問われているのではないかと思います。この作品も、ヴェルディの中では一、二を争う暗い内容のオペラですが、実は求められているのは基本的なイタリアの明るい音。その明るさの美しさがあるからこそ、苦しみの真髄のようなものを表現できるのでは、と感じています」

 そんな上江、今はバイロンの原作や、当時のヴェネツィアの政治や社会について学んでいるところだという。イタリア・オペラを自らのレパートリーの中心に据え、真面目に一途に表現を磨いてきた上江隼人に、今また、新しいレパートリーが加わる。9月の公演が待ち遠しい。
取材・文:室田尚子
(ぶらあぼ2023年8月号より)

藤原歌劇団公演 (共催:新国立劇場・東京二期会)
ヴェルディ《二人のフォスカリ》ニュープロダクション(全3幕、字幕付き原語(イタリア語)上演)
2023.9/9(土)、9/10(日)各日14:00 新国立劇場 オペラパレス
問:日本オペラ振興会チケットセンター03-6721-0874
https://www.jof.or.jp
※上江隼人は9月9日に出演。配役などの詳細は上記ウェブサイトでご確認ください。