音楽評論家・寺西基之の音楽祭逍遥
「北九州国際音楽祭」これまでの歩みと今年の聴きどころ

福岡県北九州市を舞台に開催される「2022北九州国際音楽祭」(10/9〜12/3)。今年35回目を迎える同音楽祭は、海外オーケストラや国内外の著名アーティストによる公演を通して、質の高いクラシック音楽の鑑賞機会を提供してきました。
そして、特別編成のオーケストラによるコンサートや、小中学生を対象とした「教育プログラム」など、特色のある企画で次世代育成にも取り組んでおり、北九州市出身の演奏家を数多く輩出しています。ぶらあぼONLINEの記事では、そんな音楽祭の魅力や今年のプログラムの聴きどころを様々な角度からご紹介。音楽評論家・寺西基之さんによるエッセイでは、音楽祭の特徴や過去の公演を振り返りながら、今年の注目公演をご紹介していただきます!

文:寺西基之

 九州の大きな音楽祭といえば、春の別府アルゲリッチ音楽祭と宮崎国際音楽祭、夏の霧島国際音楽祭が有名だが、芸術の秋を彩る北九州国際音楽祭も忘れてはならない。この音楽祭は、他の3つの音楽祭が演奏家である芸術監督の個性を強く打ち出したものであるのとは違い、芸術監督を置かず、学識あるミュージック・アドヴァイザーのもと、より総合的な視点に立って、音楽通から市民、初心者に至る幅広い層がクラシックを楽しめる内容となっている点に特色があろう。それぞれのレベルの受け手に質の高い音楽を提供すべく、多彩な企画が綿密に練られた音楽祭である。

左:北九州市立響ホール 中央:西日本工業倶楽部 右:北九州ソレイユホール

 使われる会場は幾つかあるが、メインとなるのは全国有数の音響の良さで知られる市立の響ホールだ。ここで開催されるのは、中ホールの特徴を生かしての音楽祭独自企画のリサイタル、室内楽、室内オケなどの演奏会で、これまで名だたる名手から期待の若手まで、様々なアーティストが音楽祭の歴史を飾ってきた。ここでその顔触れを挙げる余裕はないが、人選やプログラムは実に秀逸、ベテランの大物だけでなく、出演当時まだ若かったラン・ランやユリアンナ・アヴデーエワのリサイタルなど新進の紹介にも積極的で、例えば昨年ショパン国際ピアノコンクール第4位となった小林愛実が早くも2010年(15歳)に登場しているのは、この音楽祭の先見の明といえよう。年によってはクラシックばかりでなく、ジャズのチック・コリア、雅楽の東京楽所も出演するなど、目配りが広いところも特筆したい。筆者の聴いた演奏会で特に印象に残っているのは2005年の庄司紗矢香のリサイタル。ピアノのイタマール・ゴランとの緊迫したやり取りが響ホールならではの程よい残響のうちに生かされた名演だった。また2010年のオルフェイ・ドレンガー(スウェーデン王立男声合唱団)の表現力溢れる歌唱にも圧倒されたが、それも各声部が明晰に聴こえる響ホールの特性が大きく働いていたからだろう。

2017北九州国際音楽祭 サロン・コンサート@西日本工業倶楽部(長哲也fgほか)より

 もうひとつ重要な会場として国指定重要文化財の西日本工業倶楽部(旧松本邸)がある。1912年竣工の辰野金吾設計による由緒ある洋館で、歴史を感じさせる優雅な広間での演奏会はまさにいにしえのサロンの趣だ。狭い限られた空間だけに、聴く者は目の前の演奏家の息遣いをじかに感じることができる。筆者もピアノの北村朋幹(2014年)やバリトンの小森輝彦(2018年)の演奏会で、大ホールでは聴きとれない演奏細部の濃やかな表情を感じつつ、至福の時を過ごしたものだ。

2007北九州国際音楽祭 クリストフ・エッシェンバッハ指揮パリ管弦楽団公演より

 一方音楽祭に華やかさをもたらすのが北九州ソレイユホールでの外国オケの演奏会。地方の音楽祭で海外オケの演奏会を組み込んでいるのはごく少数、それも一流のオケと指揮者ばかりで、世界オケ界の最前線の演奏が聴ける。2020年秋、コロナ禍で海外オケの訪日が不可能となっていた中で、ウィーン・フィルが北九州国際音楽祭を皮切りに来日ツアーを敢行したことは大きな話題となった。筆者はこのウィーン・フィルの北九州公演は聴いていないが、これまでクリストフ・エッシェンバッハ指揮パリ管(2007年)、リッカルド・シャイー指揮ゲヴァントハウス管(2009年)、パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィル(2010年)、トゥガン・ソヒエフ指揮ベルリン・ドイツ響(2015年)などをこの音楽祭で聴き、それぞれのオケの個性を楽しんだ。パリ管の「幻想交響曲」の鮮やかな色彩感、ドイツ・カンマーフィルのベートーヴェンの颯爽たるダイナミズムは今も耳に残っている。

左上:サイモン・ラトル(c)Oliver Helbig 右上:チョ・ソンジン
下段:ロンドン交響楽団(c)Ranald Mackechnie

 今年のラインナップも豪華極りない。大きな目玉がラトル率いるロンドン響で、特にメイン曲がマニア向けのエルガーの交響曲第2番である点に注目。地方音楽祭にありがちな有名曲中心のプロとは一線を画す姿勢が窺える。チョ・ソンジンとの共演によるラフマニノフも楽しみだ。響ホールでは庄司紗矢香がジャンルカ・カシオーリとともに再登場、今回カシオーリが弾くのはフォルテピアノなので、古楽的アプローチを取り入れた演奏になるのだろうか。彼女の新境地が示される演奏会になりそうだ。そして西日本工業俱楽部では、日本のピアノ界のレジェンド安川加壽子の生誕100年を記念する岡田奏のリサイタルが開催される。この建物の持ち主だった松本家は安川家の親族であり、まさにそうした縁の会場での記念演奏会というわけで、安川が得意としたフランス作品を岡田は持ち前の優れたセンスで奏でてくれるに違いない。

左:庄司紗矢香(c)Norizumi Kitada & ジャンルカ・カシオーリ(c)Matteo_Maso
右:岡田奏(c)Kazashito Nakamura
左:篠崎史紀(c)井村重人 右:マロオケ(2014年公演より)

 他に音楽祭恒例の重要な企画として、北九州市出身の篠崎史紀(N響第1コンサートマスター)が率いる指揮者なしのオリジナルオケの演奏会があり、今回はベト7などを演奏。またこのオケのチェロ・メンバーのみの演奏会もある。一方音楽祭が長年力を入れてきたのが教育プログラムで、今年も篠崎を中心とするアンサンブルほかによる幼児から中学生までの鑑賞教室が開催される。音楽祭を楽しむための特別プログラムも用意されており、特にロンドン響演奏会の前に行われるミュージック・アドヴァイザー広瀬大介氏による聴きどころについての講座とリハーサル見学はとても興味深いものがある。

左:2020幼稚園訪問コンサート
中央:2019オーケストラ レクチャー
右:2022.8/11まろさんのヴァイオリンが上手くなるひみつ

■サー・サイモン・ラトル指揮 ロンドン交響楽団 チョ・ソンジン(ピアノ)
10/9(日)15:00 北九州ソレイユホール
【特別プログラム】10/9 オーケストラ レクチャー&リハーサル見学(要申込/9/1(木)必着)
■プラネタリウム・コンサート ワーヘリ
10/15(土)15:00 スペースLABO(北九州市科学館)
■サロン・コンサート 岡田奏(ピアノ)安川加壽子生誕100年に寄せてー
11/2(水)14:00 西日本工業倶楽部
■マイスター・アールト×ライジングスター オーケストラ
コンサートマスター:篠崎史紀(N響第1コンサートマスター/北九州市文化大使)

11/12(土)15:00 北九州市立響ホール
【特別プログラム】11/12 プレ・ステージ コンサート(当日のチケットを購入の方。事前申込み不要)
■Maroオケ チェロ・セクションによるチェロ八重奏 チェロ8(エイト)
11/23(水・祝)15:00 北九州市立響ホール
■庄司紗矢香(ヴァイオリン) ジャンルカ・カシオーリ(フォルテピアノ)
12/3(土)13:00 北九州市立響ホール

2022北九州国際音楽祭
2022.10/9(日)〜12/3(土) 北九州市立響ホール、北九州ソレイユホール、西日本工業倶楽部 他
問:北九州国際音楽祭事務局093-663-6567
※公演の最新情報は、公式ウェブサイトをご覧ください。