戦後まもないパリに学んだレジェンドが、いまバッハの高みへ
1953年にパリ国立音楽院を卒業し、その後チューリヒ、ベルリン、モスクワなどで研鑽を積んだピアニストの山根弥生子。70年代にはベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲演奏を行い、録音に関してもドイツ・オーストリア作品から20世紀音楽まで幅広い収録を行ってきた。その彼女が、以前から作品の内容に惹かれ、録音を切望したJ.S.バッハの『平均律クラヴィア曲集 第1巻&第2巻』を完成させた。
「生きている間に弾いておきたいと思い、全曲録音に取り組みましたが、たいへんでした。でも、改めてバッハの偉大さ、内容の深さに感動し、この作品とじっくり対峙し至福の時間を過ごすことができました」
音楽評論家、ベートーヴェンの研究家として知られた父、山根銀二の勧めもあり、ヨーロッパで長年勉強を続けることができ、その留学時代の教えがいまも生きているという。
「ラザール・レヴィ先生をはじめ、M.エッガー、H.ロロフ、Y.フリエール等、多くの偉大なピアニストに教えを受けました。私は子どものころから結構のんびりピアノを学んでいたため、けっして優等生ではありませんでした。でも、先生たちはそんな私を根気よく導いて下さいました。クラシックの黄金期であり、カール・リヒター、エドウィン・フィッシャー、アルフレッド・コルトー等々、多数のすばらしい音楽家の演奏を生で聴くことができ、それらの演奏はすべていまでも心に残る貴重な財産となっています」
「収録はコロナ禍で中断し、自宅を出て1年以上介護付き住宅で暮らす羽目になったり、いろいろな試練に遭遇しましたが、なんとか完成でき、夢が叶ったといえましょうか。全曲を手がけて改めて驚いたことは、1曲1曲がこんなにも変化に富み魅力的であると同時に、作品全体が最初から最後まで見通されて作曲されているように聴こえてくること。音の鳴っていない空間の間のとり方までもが意味を持ってくるということでしょうか」
大きな録音を経たいま、もうすでに目は次なる地平を見つめている。
「もしまだ私になんとか力が残っているならば、日本の作曲家、個人的にもよく存じ上げていた方々数名の作品を録音しておきたいことと、以前からさまざまなレコーディングを手がけていた間に録音してきたモーツァルトの、せめてソナタだけでも全曲弾いておきたいと考えています」
取材・文:伊熊よし子
(ぶらあぼ2022年9月号より)
CD『J・S・バッハ:平均律クラヴィア曲集 第1巻&第2巻』
コジマ録音
ALCD-9230〜9233(4枚組)
¥4950(税込)