ヒンデミットの多面的な才能を再発見〜東京春祭ディスカヴァリー・シリーズ

文:柴辻純子

 今年の「東京春祭ディスカバリー・シリーズ」のテーマ作曲家は、パウル・ヒンデミット(1895〜1963)。20世紀ドイツの作曲家ヒンデミットは、オペラからアマチュア向けの作品まで膨大な数の作品を残し、ヴィオラ奏者として(1920年代は高名なアマール弦楽四重奏団のメンバー)、また指揮者(戦後ウィーン・フィルとともに来日)、教育家(『作曲の手引』『作曲家の世界』などの理論書や著書は日本語で読める)としても活躍した。高度な対位法と独自の和声理論に基づく彼の作品は、華やかさよりも渋さ、派手さよりも堅実さが勝る。その生真面目さばかりに目がいきがちだが、実はちらちらと見えている彼のユーモア、ジャズへの傾倒など、意外な作品も含めた、ヒンデミットの多面的な才能が紹介される、まさに再発見! の演奏会だ。

上段左より:三又治彦、猶井悠樹、佐々木 亮、小畠幸法
下段左より:小林啓倫、冨平安希子、冨平恭平、有吉亮治

秘曲ヒンデミット版《さまよえるオランダ人》序曲と
型破りなヴィオラ・ソナタ

 まずは、弦楽四重奏のために書かれた「温泉地で朝の7時に下手なサロンオーケストラが初見で演奏した歌劇《さまよえるオランダ人》序曲」(1925年頃)。サイモン・ラトルがベルリン・フィルの芸術監督時代の「レイト・ナイト・コンサート」で取り上げたことでも知られる作品。タイトルからしてヒンデミット流のカリカチュアで、ワーグナーの曲を下敷きに有名旋律が引用され、誰もが思わずにやりとしてしまうに違いない。N響メンバーによるカルテットが、この曲にどのようにアプローチするのかも注目だ。

 ヒンデミットは、彼自身が楽器演奏の達人で、最終的には14種類の楽器を弾きこなし、オーケストラのほとんどすべての楽器のためのソナタを書いたという。そのなかで最も愛した楽器はヴィオラで、20世紀を代表するヴィオラ奏者としてのみならず、無伴奏作品から協奏曲までヴィオラのための曲をいくつも書いた。なかでも「ヴィオラ・ソナタ op.11-4」(1919)は、ヴィオラ奏者の重要なレパートリーのひとつ。3つの楽章は連続して演奏され、ロマンティックな表情の第1楽章「幻想曲」、第2楽章は素朴な民謡風の「主題と変奏」、第4変奏の途中で第3楽章に入ってさらに変奏が続いていく。ソナタと言ってもソナタ形式の楽章を持たない、型破りな構成がユニークだ。奏者としてのヒンデミットは豪快でパワフルな演奏を聴かせたというが、ここでは、名手、佐々木亮の穏やかで温かな音色、ピアノとの絶妙な掛け合いを楽しみたい。

20世紀の最も優れた連作歌曲集のひとつ《マリアの生涯》

 ところで、ヒンデミットが作曲家として注目を集めたきっかけは、1919年から続けて発表された表現主義的な3つの1幕ものオペラ(《殺人者、女たちの望み》《ヌシュ・ヌシ》《聖スザンナ》)によってだが、1922年に初演された「室内音楽第1番」から作風を大きく変えて、原始主義や打楽器の強調、ジャズへの接近を試みた。まさにその年号がタイトルに入ったピアノ曲「組曲『1922年』」op.26は、「シミー」「ボストン」「ラグタイム」など、リズムやダンスへの関心を示した軽快な5曲から構成される(今回演奏されるのは第1曲「行進曲」と第3曲「夜曲」)。ちょっと意外、とヒンデミットのイメージが変わる一曲だ。

 いわゆる両大戦間は、新古典主義な手法と新即物主義的思考に裏づけられた作風に落ち着くが、リルケの詩による歌曲集《マリアの生涯》 op.27(1923/1948)は、ドナウエッシンゲン現代室内音楽祭で初演された。20世紀の連作歌曲集の最も優れたもののひとつと評価され、聖母マリアの誕生から死までが描かれる(全15曲)。グレン・グールドが愛奏し、録音を残していることでも有名だ。今回は第7曲「キリストの降誕」と第9曲「カナの婚宴」が取り上げられる。表現主義的な身振りを残しながら、喜びと奇蹟が、抑制されたソプラノとピアノで静かに歌われる。声とピアノによるデュエットとも言われるこの歌曲。冨平安希子の清らかな美しい声と冨平恭平の明晰なピアノで聴けるのも嬉しい。なお、ヒンデミットは「これまでの私の作品のなかで最高のもの」としたが、1948年に大幅な改訂を行っている。今回演奏されるのもこの版による。

実演に触れることの少ないオペラ《画家マティス》

 ヒンデミットもまた、時代に翻弄された作曲家であった。ナチス政権樹立後、ユダヤ人ではなかったものの、ヒンデミットを取り巻く環境は次第に厳しくなり、指揮者フルトヴェングラーを巻き込んだ1934年の「ヒンデミット事件」で、ナチスとの関係は決定的になった。歌劇《画家マティス》(1934〜35)は、ナチスの圧力を受けて初演も中止に追い込まれ(1938年にスイスで初演)、ドイツでの活動も困難になった。《画家マティス》は、1524年のドイツ農民戦争に身を投じた画家マティアス・グリューネヴァルトを主人公に書かれた全7場のオペラ。ヒンデミット自ら台本を手がけた。オペラに先立って作られた交響曲「画家マティス」はしばしば演奏されるが、オペラの上演は決して多くはない。一場面とはいえ第6場第1景が取り上げられるのは貴重な機会だ。そして、「瞑想曲」(1938)は、フィレンツェで目にしたジョット作のフレスコ画「聖フランチェスコの生涯」から着想を得て、モンテカルロ・バレエ団のために作曲したバレエ音楽「気高い幻想」からの1曲。ヴィオラでもチェロでも、ヴァイオリンでも演奏可能な、荘厳で情感の自然な高まりを覚える小品である。

【Information】
東京春祭ディスカヴァリー・シリーズ vol.8

 パウル・ヒンデミット
2022.4/17(日)14:00 飛行船シアター(旧 上野学園 石橋メモリアルホール)


●出演
ヴァイオリン:三又治彦、猶井悠樹
ヴィオラ:佐々木 亮
チェロ:小畠幸法
ソプラノ:冨平安希子
バリトン:小林啓倫
ピアノ:有吉亮治、冨平恭平
お話:中村 仁
●曲目
ヒンデミット:
 温泉地で朝の7時に下手なサロンオーケストラが初見で演奏した歌劇《さまよえるオランダ人》序曲
 ヴィオラ・ソナタ op.11-4
 瞑想曲
 歌劇《画家マティス》より 第6場1景
 組曲《1922年》 op.26 より 第1曲 行進曲、第3曲 夜曲
 歌曲集《マリアの生涯》 op.27 より 第7曲 キリストの降誕、第9曲 カナの婚宴
●料金(税込)
S¥4,000 A¥2,500
U-25¥1,500
ライブ・ストリーミング配信¥1,100

【来場チケット販売窓口】
●東京・春・音楽祭オンライン・チケットサービス(web。要会員登録(無料))
https://www.tokyo-harusai.com/ticket_general/
●東京文化会館チケットサービス(電話・窓口)
TEL:03-5685-0650(オペレーター)