INTERVIEW 長原幸太(ヴァイオリン) 塩田脩(ヴァイオリン) 福川伸陽(ホルン)

さらなる進化を遂げる名手たちの“今”

取材・文:宮本明

長原「ノブ、今どこにいるの?」

 ヴァイオリンの長原幸太が「ノブ」と呼ぶのは同い年のホルン奏者・福川伸陽。前日に九州交響楽団とジョン・ウィリアムズのホルン協奏曲を日本初演して、これから東京に戻るところだという福川を福岡空港でリモートでつかまえて、ヴァイオリンの塩田脩との三者による座談会が始まった。
 

左より:福川伸陽、塩田脩、長原幸太 Photo:J.Otsuka/Bravo

 東京・春・音楽祭の「名手たちによる室内楽の極(きわみ)」(3/23・東京文化会館小ホール)に出演する3人。2011年にスタートしたこのシリーズは、コア・メンバーの長原と鈴木康浩(ヴィオラ)、上森祥平(チェロ)を中心に、毎回さまざまな名手を招き、多様な編成の室内楽を自由に選んで「極み」を聴かせる好企画だ。2020年は公演がなかったので今回で11回目。ちなみに6回目の2016年までは「若き名手たちによる~」というタイトルだった。

長原「そうなんです。そこで鈴木と上森が40歳を超えたから、さすがに『若き』はないねと。『名手』と『極み』だけでも相当プレッシャーだけど」

 今年はモーツァルトのディヴェルティメントを2曲。三重奏(長原、鈴木、上森)の変ホ長調K.563と、ホルンも加わり総勢13人で演奏する第17番K.334を選んだ。

Photo:J.Otsuka/Bravo

長原「11回目の新たな一歩。原点回帰でモーツァルトです。変ホ長調の三重奏K.563は2013年にもやってるけど、僕も40歳を超えたので(1981年生まれ)、もういっぺん見直そうかと思いました。変ホ長調というのはベートーヴェン以降になると、なぜかとてもキャラクターの強い作品が多くなってくる。『英雄』とか。でもモーツァルトは、それとはまるで性格が違って、やわらかくて気持ちがいい。弦楽三重奏というのはすごく難しいんです。カルテットだと役割がすごくはっきりしている。メロディを弾く人、中を作る人、バスを支える人。3人だとそれがコロコロ変わるので難しい。そこにモーツァルトのちょっとした冗談とかが盛り込まれている。上品に冗談が言えたらいいなと思っています。
 第17番のほうは、室内アンサンブル的な、ちょっと規模の大きな曲。第1ヴァイオリンがけっこう難しいんです。華やかな技巧も見せられるけど、厄介なところがある。これ、シュウはどっち弾くんだっけ?」
塩田「セカンド? わからない」
長原「あれ。俺どっちにしたっけな。もしファーストだったら、難しいからちゃんとさらっておいて(笑)。ホルンは、この曲はどんなところが魅力?」

Photo:J.Otsuka/Bravo

福川「ホルンが表立って活躍する曲ではないんだけど、弦楽合奏の中にホルンが入っているということで、ひとつにはどれだけ弦に溶け込めるか。でも一方で、ホルンが入っていることによって、弦だけよりも、どれだけ魅力的なモーツァルトの世界を広げていけるかというところが、いつも楽しいなと思ってやってます! やっぱりモーツァルトはシンプルだから、この箇所にはこの音、というのがすごくある。それはもちろん、音程とかタイミングとかのレベルの話ではなくてね。感覚を全開にすると、『この音』とか『この表現』というのが出てくる」
長原「ノブはよく僕に電話してきて、『幸太、あそこのフレーズって、ダウンで弾いてるの? アップで弾くの?』って聞いてくるんです。弦楽器は弓のダウンとアップとで、音の表現のニュアンスを変えてるんですね。彼はいつもそういうことを気にしているホルン奏者。モーツァルトの時代って、もちろんホルン協奏曲はあるけど、オーケストラの基本は弦楽器が主体で、管楽器はそこに彩りを加える役割のことが多いから、彼みたいにそれを考えてくれる人と演奏するのは、すごく楽しみですよね。管楽器は不幸なことに息を入れるしかないじゃないですか。だから今回は、吸いながら音を出すのにチャレンジしてもらおう(笑)」
福川「あはは。あのね、じつはちょっとできるんです」
長原「うそー!」
福川「すごくひどい音になるけど(笑)。じゃあ今度やるわ。音ふたつぐらいしか出ないけどね」
長原「わかった。リハでやってみて(笑)」

 コンサートの出演者は、ヴァイオリンが長原、塩田のほか、大江馨、川口尭史、小林壱成、戸原直、ヴィオラが鈴木康浩と大島亮、チェロが上森祥平と門脇大樹、コントラバスが赤池光治、ホルンが福川と熊井優。

Photo:J.Otsuka/Bravo

長原「以前にもこのシリーズに出てくれた人と、これからずっと共演したい人たち。シュウとは付き合いが長いんですよ。まだ中学生だった?」
塩田「そうかな。15歳ぐらい」
長原「彼はアメリカで生まれ育って、ほぼアメリカ人ですから。僕が高校時代にアスペン音楽祭に行った時に出会って。そのあと19歳でニューヨークに留学したときにも、ずっと助けてもらったんです。そもそもニューヨークに着いた瞬間に財布をすられちゃって。彼のお母さんにケネディ空港まで迎えに来てもらった」
塩田「楽器を忘れたり」
長原「あ、そうそう。楽器を置き忘れて、一緒に探してもらったり。アメリカで死なずにすんだのはシュウのおかげと言ってもいい(笑)。でも日本に帰ってきてからはオーケストラも別々なので、なかなか一緒に弾く機会がなくて」
塩田「室内楽も1回やっただけかな」
長原「この東京・春・音楽祭の、ムーティのオーケストラでは何度か一緒にやってるけどね。今回のメンバーは全員、過去に東京春祭オーケストラに参加して、ムーティの薫陶を受けている人たちです。
 去年ムーティと『ハフナー』『ジュピター』をやったあと、ノブと鈴木康浩とで、このモーツァルトを忘れないうちに何かやりたいねって話していたことも、今回のプログラムを組んだ伏線のひとつなんです。だからノブを入れないわけにはいかず、仕方なしにホルンが入ってます(笑)」
福川「ははは。ホルンが入るとちょっと編成が大きくなるのでどうかなと思っていたので、仕方なしに入れてもらったというのはうすうす気づいてます(笑)」
長原「楽しみだよね」
福川「本当に楽しみ」
塩田「あれから時間が経ってどうなるかだね」
長原「直前にまたムーティとやるけどね」
福川「あ、そうか」
長原「3月18、19日のオーケストラ・コンサートのあと、もしまだ日本に残っていたら、ムーティにもぜひ聴いてほしいプログラムです」

2021.4.23リッカルド・ムーティ指揮 東京春祭オーケストラ(C)青柳聡

 リッカルド・ムーティは、東京・春・音楽祭にこれまで何度も出演し、特別編成の東京春祭オーケストラを指揮している。とくに、2019年に始まった「イタリア・オペラ・アカデミー in 東京」では、本番までおよそ1週間、朝から夕方までみっちりリハーサルを重ねるなかで、互いの信頼はますます深まった。長原がコンサートマスターを務めるこのオーケストラの音楽性をムーティは高く評価しており、「彼らともっとじっくり向き合いたい」という巨匠たっての希望で、昨年はモーツァルト・プロによるオーケストラ公演も実現した。
 アカデミーはムーティのライフワークで、本来の主眼は、若い指揮受講生たちにイタリア・オペラの真髄、とりわけヴェルディの魂を継承したいといもうのだが、彼ら3人のように、現在の日本の音楽界の中心で活躍する器楽奏者たちにも大きな影響を与えている。ムーティにしてみれば思惑どおり、しめしめとほくそ笑んでいるのではないか。

Photo:J.Otsuka/Bravo

塩田「ムーティのモーツァルトは幸せでしかなかったよね。全部の音に意味が込められてて、緊張感があって。すごく楽しかった。オーケストラっていま、民主的にやろうぜっていう感じが強いじゃないですか。でも僕は、本来はピラミッド型の世界だと思うんですね。一番上に作曲家がいて、指揮者がいて、オーケストラがいるというピラミッド。でもそのピラミッドが一瞬崩れて平地になる瞬間というのがあるんです。音楽をやっていて本当に幸せだなと感じる瞬間。去年の演奏の録画を見てたら、ときどきムーティが笑顔なんですよ。いつもだいたいは、すごく厳しい顔なんだけど、それがニヤっとするときがある。あれがピラミッドが崩れた瞬間。それがたまらない。一度でもあれば、やったぜ! という感じがします」
長原「いまシュウが言った平地っていうのは、モーツァルトとかムーティが降りてくるんじゃなくて、たぶんわれわれが引き上げられる感じなんですよ。あ、俺、モーツァルトになれた! みたいな。そう感じさせてくれる指揮者はそんなにいないよね」
塩田「ムーティはアカデミーの指揮受講生に、オーケストラをリスペクトしなさいと常に言っています。彼らをリスペクトしなければ指揮者の本当の仕事はできないと。彼はいかにも“マエストロ”という感じでやっていますが、彼自身の中にもオケへのリスペクトが絶対にある。最も愛すべき人間だなと思います(笑)」
福川「あのモーツァルトはすごかった。リハの時から幸太に話してたんですけど、今までモーツァルトの交響曲のメヌエット楽章って、なくてもよくない? って思ってたんですよ。でもムーティが振ると、そのメヌエットの楽章がめちゃくちゃ意味を持ってくる。あれがあるからこそ、そのあとの終楽章がある。音楽家を名乗っているのに恥ずかしいんですけど、それが初めてわかりました。堂々として、品があって。言葉で表現しきれないものをこそ、音楽が表現するんだということを、まざまざと体験させてもらいました」
長原「メヌエットの楽章って、気を抜いてても弾けちゃうから、つい気を抜いちゃうじゃん。それを許さないんだよね。今度やるディヴェルティメントはメヌエットの楽章が2つある。とくにトリオのほうは、前にやった時と今回とで、遊びの要素に対する思い入れが俺の中で全然違うと思うんだ。だからそれは楽しみなんだよね。メヌエットで泣きそうになったのなんて、去年のムーティが初めてだったもん」
塩田福川「わかる!」
塩田「ムーティのモーツァルトって、テンポは遅めかもしれないけど、遅くても軽さがあるというか…。あれが不思議なんだよ。重くならない」
福川「でもああいうのってさ、ムーティが振ってるとそういう音になるんだけど、じゃあそれを自分たちでやろうとすると、むずかしくない?」
長原「でもさ、今回はみんなそれを知っているメンバーだから、出したい音のイメージを共有できてると思うんだよね」
塩田「引き出しに入ってる」
長原「だから、ひょっとしたらムーティがいなくても、そういう音になるんじゃないかなと思ってる。みんながそれを目指してるわけだから」
塩田「ぱっと再現できたら理想的ですね」

2021.3.30名手たちによる室内楽の極(c)青柳 聡

 オーケストラに室内楽にと、毎年さまざまな出番のある東京・春・音楽祭を、彼ら自身も楽しんでいる。

塩田「日本を代表する音楽祭ですよね。僕は都響在籍なので上野が本拠地なんですけど、3月になると一気に華やいで、来た! という感じがしますよ」
福川「お客さんもとても楽しみにして来てくれるんですよ。音楽を聴く耳と心が開かれた人たちが多い。それはこの音楽祭を続けてきた成果でもあるんだろうなと思うし、プレイヤーとしては、そんなお客さんの前で演奏するのってめちゃくちゃうれしいことなんですね。わくわくするのと同時に、このお客さんたちと音楽祭を裏切れないなというプレッシャーをすごく感じます。本当にいつもハッピーです」
長原「身の引き締まる思いがするよね。世界中からとんでもないバケモノの指揮者だったりソリストだったりを連れてきて惜しげもなく披露するので、世界って広いんだなって思い知らされる。そんなところに参加するわけだから、生半可な演奏はできないですね。
 ノブが吹いた《ジークフリート》も聴きにいったよ。ホルンのソロを、舞台袖から出てきて見事に吹いていった」
福川「あれは舞台裏でって書いてあるのにさ、なんで表に出て吹かなきゃならないんだって(笑)。緊張しました。バイロイトでも振ってるヤノフスキ。しかもオペラの中では、ジークフリートがめちゃくちゃ下手な葦笛を吹いたあとに、でも角笛は得意なんだよねって言って吹くわけじゃない。そこで外そうものなら…(笑)」
長原「あれはよく覚えてるわ。わっ、出てきた! 吹いた! って。素晴らしかった」
福川「よかった」
長原「ヤノフスキ、大好きですよ」
福川「彼はいつも、ホルンがうるさいって言う。《神々の黄昏》のアタマなんか、まだ振り始める前から、『Horn ! already too loud(ホルン、すでに大きすぎる)』だって(笑)」
長原「あははは」
福川「いかめしい顔の人だから、ジョークなのか本気で言ってるのか、わからないわけよ。でもさ、東京春祭で僕がN響の8人のホルン奏者を率いてホルン・アンサンブルでワーグナー・プログラムをやったのを聴きに来てくれた。『too loud』って言わないで聴いてくださいねって(笑)。でもすごく満足して帰ってくれたかな。とても人情味あふれる人で、素晴らしいです」
長原「そうやって、いろんな経験から感じ取ってきたことが人間を形成しているんだから、今回も、より高い理想のモーツァルトになると思うんだけどなあ。もしこの公演がうまくいったら、これで全国ツアーしたいよね」
塩田福川「したいね」
長原「前半でトリオを弾く3人が負担が大きいから、ギャラの取り分はこっちが多く(笑)」
福川「でも、待ってる時間も大変だからさ。ホルンは出す音も少ないけど、世界一難しい楽器だし(笑)」

左上より:長原幸太(c)読売日本交響楽団、大江馨(c)Shigeto Imura、川口尭史、小林壱成(C)Shigeto Imura、塩田脩、戸原直(C)Goto Saki、鈴木康浩(c)王子ホール/撮影:横田敦史、大島亮、上森祥平、門脇大樹、赤池光治、福川伸陽、熊井優

【Information】
名手たちによる室内楽の極(きわみ)
2022.3/23(水)19:00 東京文化会館 小ホール
●出演

ヴァイオリン:長原幸太、大江馨、川口尭史、小林壱成、塩田脩、戸原直
ヴィオラ:鈴木康浩、大島亮
チェロ:上森祥平、門脇大樹
コントラバス:赤池光治
ホルン:福川伸陽、熊井優
●曲目
モーツァルト:
 ディヴェルティメント 変ホ長調 K.563
 ディヴェルティメント 第17番 ニ長調 K.334
●料金(税込)
S¥5,500 A¥4,000
U-25¥1,500
ライブ・ストリーミング配信¥1,100

【来場チケット販売窓口】
●東京・春・音楽祭オンライン・チケットサービス(web。要会員登録(無料))
https://www.tokyo-harusai.com/ticket_general/
●東京文化会館チケットサービス(電話・窓口)
TEL:03-5685-0650(オペレーター)