ジャン・チャクムル(ピアノ)

シューベルトはひとつの音楽で旅に連れていってくれます

(c)三浦興一

 2018年の浜松国際ピアノコンクールで優勝後、活躍が際立つジャン・チャクムル。1997年トルコ生まれの彼は、17歳からドイツで学びながら、演奏活動も続けてきた。だが浜松の優勝で「急に人生が変わった」という。

 「優勝直後は一挙に開けた未知の世界への不安や怖さを感じました。そこで一瞬立ち止まり、コンクールの演奏を見直して、今後どうしたら良いのかを考えました。そしてその反省に基づいてしっかり練習し、ステージ上では冷静になること、自分の音をよく聞くことを心がけるようになりました。コンクール後にこうしたプロセスを経たことはとても良かったと思っています。それにコロナ禍では、自分の演奏を毎日録音して聴き直し、日々変わっていくことを実感できました。ですから音楽に対するアプローチは、コンクール当時と今では別人のように変化しています」

作品とじっくり対話を重ねたプログラム

 この自省と鍛錬が情感豊かな演奏に結びついているのは間違いない。そんな彼のピアノをじっくり味わえるのが1月のリサイタル。シューベルトのソナタ第4番 D537、シェーンベルクの3つのピアノ曲 op.11、シューベルトの3つのピアノ曲 D946、ブラームスの4つの小品 op.119、シューベルトの4つの即興曲 D935が並ぶプログラムは、実に興味深い。

 「シューベルトの全ピアノ曲を6年かけて録音するプロジェクトが3月から始まるので、それと連動した曲が中心。そこに、テーマとして“短い様式の曲”を加え、シェーンベルクとブラームスの作品を入れました。同じタイトルの小品でも世界が違うことがポイントのひとつであり、またソナタで始まり、ソナタの楽章のような即興曲(の1曲目)に至る構成でバラエティを持たせてもいます」

 個々の楽曲にはさらなる意味がある。
 「シューベルトのソナタ第4番は、彼が初めて完結させたソナタという点で意義深い作品。後の様式の先駆けであり、異なるテーマを次々と対峙させていく作りは、ある意味モダンでもあります。シェーンベルクの3つのピアノ曲は自伝的な作品。妻が画家と不倫し、画家の自殺後また戻ってくるといった出来事を反映した、ダークで葛藤のある曲です。パーソナルな感情の表現という意味では、ブラームスの4つの小品も同じ。人との会話ではなく、自分との対話です。それに対してシューベルトのソナタと3つのピアノ曲はもう少し客観的に作られています。そして最後の即興曲は2つの要素が一緒になった作品。第4曲のコーダ直前に突然パーソナルなメッセージが現れます。今回はこのように外向的な曲と内向的な曲が対置されてもいます」

シューベルトは呼吸を大切に

 なかでもシューベルトへの思いは強い。
 「間違いなく一番好きな作曲家。ほかの誰よりもひとつの音楽で旅に連れていってくれます。例えば、ベートーヴェンの曲は問いを投げかけて回収する円を描くような音楽ですが、シューベルトはひたすら横に進み、始まって5分後にはまったく違う世界へ誘います。またシューベルトの音楽は、左手の音型が常に踊りながら詩を奏でています。彼は街の舞曲など庶民の音楽を崇高な作品に仕立てた点で天才だと思いますし、自分の心に正直な音楽を書いた点にも惹かれます」

 シューベルトといえば“歌”。音が減衰するピアノで歌うことに関しての考えは?
 「音の減衰はあまり気にしていません。私が演奏するときに気をつけているのは呼吸です。例えば歌手がどこで呼吸しているかを探り、練習でも自然な呼吸を意識しています」

 彼の趣味は「ランニング」で、なんと「フルマラソンにも出場し、毎週ハーフ(21km)を走っている」とのこと。これも呼吸に繋がるのかもしれないし、来たるリサイタルではその点に注目しながら聴くのも楽しみとなる。
取材・文:柴田克彦
(ぶらあぼ2021年12月号より)

*「ジャン・チャクムル ピアノ・リサイタル」は、新型コロナウイルスの影響により公演中止となりました。(12/17主催者発表)
詳細は下記ウェブサイトでご確認ください。

ジャン・チャクムル ピアノ・リサイタル【中止】
2022.1/25(火)19:00 紀尾井ホール
問:ジェスク音楽文化振興会03-3499-4530 
https://jesc-music.org

他公演
ピアノ・エトワール・シリーズ Vol.42 ジャン・チャクムル ピアノ・リサイタル【中止】
2022.1/22(土) 彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール(0570-064-939)