『幻のポロネーズ』
——ポロネーズ・ファンタジー。
男はその音楽をそう呼んだ。そこに理由などない、ただ、幻想というものの性質、そして、自分がこれまで生きてきた微かな証のようなものがあって、その二つが無意識に手を取り合った、ただそれだけのことである。
辺りはまだ幾分明るかった、しかし、そのことが何かを意味するのではない。そもそも、物事というものは何かを意味するわけではない。絶望が深く沁みついてゆくわたしのこの身体に、残ったもの、それは、意味などではない。そこに在ろうとしながら、結局無なる、単なる一つの幻であった…
——幻想のポロネーズ。
誇り高き人々が、その優美な力を失くす時が、来なければならないとするのなら、それは他でもない、今なのだろう!清き民衆の運動か、勝ち誇る群衆の雄叫びか。ともかくそれは大きな響きであった。私たちの希望全てを託すにまったく相応しいほどに、大きな大きな響きであった!
しかしそれは、在りし日の響き。ゆっくりと培ってきた大いなる力、というものも、やがては無くなる。消えて無くなるのだ。それが因果だ、と言うのなら、そうなのかもしれない、しかしそんなことなら私はその因果などというものの影に、ちっぽけに、消えて無くなってしまいたい。
——幻想の、ポロネーズ。
しかしあったのだ!確実に誇ることのできる一つの光が、ある日、確かにそこに!それは、あまりにも歓喜的で雄大な響きであった!泣いてしまいそうなほどに、強い実体をもった響きであった!響きとは必ずやこれでなくてはならない!そう確信を持って思えたほどに、強き響きなのであった!
だから私は言うであろう。それがたとえのちには空虚な夢となるに過ぎないと分かり切っているのだとしても、求めよ、その響きを。求めよその光を。高く高く、登り詰めてゆく、最も高尚な、限りなく高尚な、その響きは、やがては広域を照らす光となる!!
——あぁ幻影の、ポロネーズ。
本当は、聴こえていたかった。もっともっと聴こえていたかった。ポロネーズのその律動すなわちリズムは、どんなに強くわたしの心の中にあろうとも、今はただ溶けてゆく小さな幻影。一つ一つのハーモニー、そして対旋律、それら意味を成したはずの要素たちが、ただただ今は、意味を成さぬ。
私はもっと知っていたかった。夕焼けに滲みながらも今確かに遠くに見えるこの勇壮な響きは、しかし私の中では勇壮であることができないのだった。世界の中に響くこんなにも素晴らしい響きの数々は、しかし私の中では、もう、素晴らしく響くことは、一度だってできないのだった。
掴むことが、できない。もう何ひとつとして。ポロネーズ、幻想のポロネーズ、それはただ幻の、こわれた一つの調べ———。
最後の鐘が鳴る時が、来る。いずれ訪れるその時に、対峙しなければならない。
けれどもそう知った今、だからこそ奏でることができる、ただ一つの最後の調べがある:
「闘え。昇れ。そして求めよ。世界というものに抱く憧れ、その切望の最後の力が鳴らす、鐘がある!その鐘は、きっと美しい鐘ではなかったとしても、遠く遠く、もっと遠くへと、切実に鳴り響く。だから、鳴らせ。希望と絶望の狭間の鐘、街いっぱいに響いてやまない、大きな大きな、その鐘を!」
※本文は、ショパン:幻想ポロネーズの内容を描写したものではありません。
別段理由はないのだけれど、ショパンの幻想ポロネーズをしばらくの期間、毎日練習していると、この音楽の印象に基づいた散文を書かなければ、今書かなければ、と思ったのだ。
とは言え、あくまで音楽を通して「印象としての言葉」が一連に浮かんできたのであって、この文章に具体的な意味などはない。ないけれども、ショパン晩年の傑作の一つである幻想ポロネーズは、僕が高校生くらいの頃に憧れに憧れ、そして憧れた音楽ではあった(それが高じて、高校生のある日に設定したとあるもののパスワードが、今でもこの作品に関するあるワードであり続けている…詳しいことは、ここには書けないけれど笑)。
8月に、おそらく初めてと言ってよいであろう、日本でソロ・リサイタルのツアーをさせて頂くことになって、今せっせと練習をしている。そのツアーの為のプログラムを“提出”して下さい、という段になった、今から半年ほど前のその時、昔に心の底から憧れそして20歳の頃には何度か演奏し、それきり何故だかぴたりと触れずに置いておいて10年ほどが経ってしまったこの「幻想ポロネーズ」というものが、ふと心に浮かんできた。この作品——締め括りの位置に置かれることの多いこの作品——を、むしろリサイタル後半の「頭」に置いて、それを謂わば全体の「核」としてそこから広がってゆくプログラムがあったら、どんなに感動的だろうと思った。
そうして出来上がったプログラムは、下記の通りですが、その中にはこれまた僕が20歳前後の頃に焦がれたフォーレ最後のノクターン、第13番も、入れてある。どちらも、偉大な作曲家が、ひとりの人間として「死」というものを、間違いなく意識し始めていたであろう頃に書いた作品だ。
ひとは何であれ、死とはなんだろうと考える時期が、人生のうちに幾度かやってくるのだろうと思う。それはたとえ、概ね健やかで幸福に人生を送る人の場合であっても。
そのうち1度の機会が僕にとってはその20歳前くらいの頃であって、その“考察”の“きっかけ”となってくれたのがこれらの作品であった。確実に死と近しいところにあって、でもそこから目を背けることなくむしろ噛み締めてゆくかのようなこれら心苦しき音楽を、聴き読み弾きそして何度も指先でなぞり反芻することにより、当時の僕にとってはまだまだ先にあった(であろう)死というものの実体を、少しだけかすめることができたような気がした——重要な概念に言葉を介さず近づいてゆくことができる。音楽の特別な価値だ。
死とは何であろう。それは全ての終わりか。それとも考えうる中で最も大きな果てなき悲しみか。若しくは整理された心を持つ者にとって、それは1つの出発点に過ぎぬのか。はたまた「いやいや日々が忙しくって精一杯なのだからそんなことはどうでもいいんだ!」という立ち位置だってあるだろう、けれど、これらの作品始め、死という主題がしばしばクラシック音楽の中で大きな立ち位置を占める以上(これは時代性からも来るのだろう、当然のことながら)、こうした事柄について“少なくとも考える”ということと、私たちクラシック演奏家は無縁ではいられないのだろう。
あれから十年が経って、すっかり僕の奥底に冷凍されていたこの作品を今弾いて思うことは、主にただ1つ——そう、弾けば今でも当時と何ら変わらぬ心地が立ち上ってくる、ということ。あんなにもこの作品に憧れた、あの心地が戻ってくるのだ、ほんとうに、寸分違わずに。それが良いことなのか悪いことなのか、と言われれば、正直分からない。変わらぬ心を保ち続けることができたのだとも、単に成長がなかったのだとも、言える、のだから……偉大な作品があって、小さな自分というものがいて、その距離というものは変わってゆくべきなのか、否か、今でも僕には分からない。
だけれど、この作品に触れていて、20歳の頃とただ同じ感情がそこにある、その事実を確認できただけで、音楽をしてきた「意味」というものは、大いにあるのであった。
リサイタル、来てね。
務川慧悟 ピアノ・リサイタル 2024
出演
務川慧悟
曲目
J.S.バッハ:パルティータ第1番 変ロ長調 BWV 825
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第17番 ニ短調 「テンペスト」op. 31, No. 2
ショパン:ポロネーズ第7番 変イ長調「幻想」op. 61
フォーレ:ノクターン第8番 変ニ長調 op. 84-8
フォーレ:ノクターン第13番 ロ短調 op. 119
プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ第2番 ニ短調 op. 14
2024.8/16(金)14:00 愛知/豊田市コンサートホール
問:東海テレビ放送 事業部 052-954-1107
8/17(土)14:00 福島/国見町観月台文化センター
問:国見町教育委員会生涯学習課 文化スポーツ係024-585-2676
8/22(木)19:00 サントリーホール
問:NEXUS info@nexus.jpn.com
8/24(土)14:00 大阪/住友生命いずみホール
問:キョードーインフォメーション0570-200-888
8/25(日)15:00 駒ヶ根市文化会館 大ホール
問:駒ヶ根市文化会館0265-83-1130
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