In memoriam 湯浅譲二

Joji Yuasa 1929-2024

(c)Jun’ichi Ishizuka

 長きにわたり日本の現代音楽シーンを牽引してきた作曲家・湯浅譲二が7月21日、肺炎のため亡くなった。享年94。

 湯浅は1929年、福島県郡山市生まれ。医師で音楽愛好家だった父の影響で、少年期より独学で作曲をはじめる。
 旧制福島県立安積中学校(現・安積高等学校)を卒業後、慶應大学教養学部医学部進学コースに入学。当時は外科医志望であったが、秋山邦晴、武満徹ら同世代の作曲家と親交を結び、作曲に専念するようになる。1951年には、詩人・瀧口修造を中心に多様な前衛芸術を展開した「実験工房」に加わり、武満らとともに活動した。

 以来、オーケストラ、室内楽、合唱、劇場用音楽、インターメディア、電子音楽、コンピュータ音楽など、幅広い分野で作曲活動を行い、クーセヴィツキー音楽財団によるオーケストラ曲の委嘱をはじめ、ヘルシンキ・フィル、N響、日本フィル、サントリー音楽財団(現・サントリー芸術財団)、米国国立芸術基金などから多数の委嘱を受ける。

 代表作には、第二次世界大戦終結50周年記念としてシュトゥットガルトの国際バッハアカデミーの委嘱により作曲した「レスポンソリウム」(『和解のレクイエム』より/1995)、「クロノプラスティク」(1972)などがある。

 音楽を「人間のコスモロジー(宇宙観)の表現」、また「音響エネルギーの運動」としてとらえる作曲哲学に基づいた音世界を、伝統的な編成のみならず電子音、邦楽器、声など様々な媒体を駆使し長年にわたり開拓。音響の見取り図を方眼紙上に描き、それを五線譜に置き換える、という独自のプロセスによって創作にあたっていた。

 これまでにDAADのベルリン芸術家計画(76~77)、フランス国立音響音楽研究所(IRCAM/87)、パシフィック・ミュージック・フェスティヴァル太平洋作曲家会議(90)、東京オペラシティのコンポージアム2002、サントリー芸術財団国際作曲委嘱シリーズ(1999~2011)に、ゲスト作曲家、審査員、監修者として参加するなど国際的に活動。
 また、テレビ番組『おかあさんといっしょ』、大河ドラマ『徳川慶喜』などの音楽も担当し、多岐にわたる分野で作品を残した。

 教育者としては、1981年から94年までカリフォルニア大学サンディエゴ校で作曲科の教授を務め(現在名誉教授)、日本大学芸術学部、東京音楽大学、桐朋学園大学等でも後進の指導にあたった。

 ベルリン芸術祭審査員特別賞(1961)、ヴェネチア国際記録映画祭サン・マルコ金獅子賞(1967)、尾高賞(1973、88、97、2003、24)、サントリー音楽賞(1996)、日本芸術院賞・恩賜賞(1999)、第23回日本アカデミー賞映画音楽優秀賞(2000)、文化功労者(2014)など受賞多数。

 昨年8月のサントリーホール「作曲家のポートレート」公演では、彼のオーケストラ作品がフィーチャーされ、特に大きな影響を受けたヴァレーズやクセナキスの作品とともに、最新作「オーケストラの軌跡」が初演された。また、今年2月には、妻を偲んで書いた原曲をオーケストラ用に編曲した「打楽器、ハープ、ピアノ、弦楽オーケストラのための『哀歌(エレジィ)—for my wife, Reiko—』」(2023)が第71回尾高賞を受賞。5月の「Music Tomorrow 2024」でペーター・ルンデルの指揮するN響、ハープのグザヴィエ・ドゥ・メストレらにより演奏されていた。戦後日本の前衛音楽をリードしてきた湯浅の創作意欲は最後まで衰えることがなかった。
 8月7日、12日には「湯浅譲二 95歳の肖像」と題した演奏会が予定されている。