INTERVIEW 豊田泰久(音響設計家)

 1977年に永田音響設計に入社。以降、1986年開館のサントリーホールをはじめ、世界の名だたる音楽ホールの音響設計を手がけてきた豊田泰久さん。ワレリー・ゲルギエフは彼が音響設計を担当した札幌コンサートホール Kitaraを世界最高の響きと称える。音響設計家(アクースティシャン)という仕事は、一般人にはなかなか馴染みがない職業だが、建築設計家、あるいは指揮者たちと協働しながらホール空間内部の響きをプロデュースしていく仕事だ。建築界の巨匠フランク・ゲーリー(スペイン・ビルバオのグッゲンハイム美術館などの設計で有名)、そしてサイモン・ラトル、ズービン・メータ、ダニエル・バレンボイムといった世界的指揮者たちが彼の“耳”に絶大な信頼を寄せる。優れた響きは、彼らとの対話の中から生み出されたものでもある。

 ロサンゼルスやパリなどでの勤務を経て、現在は日本に拠点を移した豊田さん。彼が手がけた代表作のひとつ、ミューザ川崎シンフォニーホールで現在おこなわれている音楽祭「フェスタサマーミューザ KAWASAKI」を聴きに来場した折に、話を聞いた。

◎豊田さんが手がけた主なコンサートホール
1986年 サントリーホール/東京
1995年 京都コンサートホール/京都
1997年 札幌コンサートホール Kitara/札幌
2003年 ウォルト・ディズニー・コンサートホール/ロサンゼルス(アメリカ)
2004年 ミューザ川崎シンフォニーホール/川崎
2006年 マリインスキー・コンサートホール/サンクトペテルブルク(ロシア)
2009年 デンマーク国立放送局コンサートホール/コペンハーゲン(デンマーク)
2011年 ニューワールド・シンフォニー/マイアミ・ビーチ(アメリカ)
2011年 ヘルシンキ・ミュージック・センター/ヘルシンキ(フィンランド)
2011年 カンザスシティ・パフォーミング・アーツ・センター/カンザスシティ(アメリカ)
2014年 上海シンフォニーホール/上海(中国)
2014年 ポーランド国立放送交響楽団コンサートホール/カトヴィツェ(ポーランド)
2014年 ラジオ・フランス・オーディトリウム/パリ(フランス)
2015年 フィルハーモニー・ド・パリ/パリ(フランス)
2016年 ロッテ・コンサートホール/ソウル(韓国)
2017年 エルプフィルハーモニー/ハンブルク(ドイツ)
2017年 ピエール・ブーレーズ・ザール/ベルリン(ドイツ)
2018年 ザリャージエ・コンサートホール/モスクワ(ロシア)
(出典:石合力 著『響きをみがく 音響設計家 豊田泰久の仕事』)

“究極の響き”の産みの親に聞く

取材・文:後藤菜穂子

── このたび、豊田さんの音響設計家としてのお仕事を朝日新聞の石合力記者が丹念に取材された、『響きをみがく』という本が出版されました。豊田さんが関わられたサントリーホールやミューザ川崎シンフォニーホールをはじめ、ロサンゼルス、パリ、ハンブルクなどのホールのすばらしい音響がどういったプロセスで実現したのかについて知ることのできる興味深いドキュメントですね。

豊田 ふだん外から見てわかりにくいようなことを記録に留めていただいて、レポートしていただくのも悪くないかなと思い、こうした形でまとめていただきました。多くの方は音響設計家の仕事にあまりなじみがないと思うので、実は音響設計とはこんなことをやっているのですよ、と知っていただけたらと思います。特に、サントリーホールが開館した際もかならずしも万々歳でスタートしたわけではないということは記録にとどめておきたかったのです。

── 正直、私もびっくりしました。当初そんなに批判があったとは記憶にありませんでした。

豊田 今でこそ、サントリーホールのようなホール ── お客さんが舞台の周りにいて、天井の高いホール ── が増えてきましたし、演奏家もそういう時代になってからオーケストラに入った方が多いですからね。でもサントリーホールの前に主に使われていたのは上野の東京文化会館でした。文化会館もけっして悪いわけではないのですが、ステージの上の天井が低いのです。そういうホールで慣れているオーケストラ奏者が、急にサントリーホールのような天井が高いところに放り出されると、全然聴こえ方が違うわけです。それで、自分の音が聴こえない、他人の音が聴こえない、ということになったのです。そうすると何が起こるかというと、みんな不安になって強く弾こうとするわけです。そして80人が同じことをするとアンサンブルがぐちゃぐちゃになります。そうしたことが実際に起こったわけです。

 のちに、デンマーク国立放送局コンサートホール(ジャン・ヌーヴェル設計)の音響を担当したときにも同じような事態が起きたのですが、そのときはサントリーホールの経験がありましたから、もうすこし落ち着いて対処できました。

 デンマークの国立管弦楽団の奏者たちも新ホールで弾いた時に、今までと響きが全然違うためにパニックを起こしました。あのホールにはステージの上に反射板が吊るされていて、音響的にはこの高さがいいと決めてあったのですが、オーケストラが勝手に反射板を下げた方が響きがいいとか、上げたほうがいいとか騒ぎ始めたんです。それで僕は現地に行って、サントリーホールでのことをぜんぶ説明して、もし聴きづらかったら、一生懸命弾くのではなくて聴きなさい、とオーケストラに伝えたのです。それはカラヤンがベルリン・フィルで言っていたことなのです。カラヤンも新しいフィルハーモニーができたときは、慣れるまで相当苦労したんです。実際、フィルハーモニーでの最初のころのレコーディングを聴くとあまりよくないと思います。あのスーパー・オーケストラでさえ慣れるのに時間がかかったわけですから。実際、デンマークでも2〜3年たって慣れてきて、今ではとても良い音響だと喜んでくれています。

── ホール自体も、楽器のようにエイジングするものなのでしょうか?

豊田 ヴァイオリンだって新しくできたものはすぐには鳴らないということがあります。その一方で、奏者の慣れの問題もあります。でも「これはエイジング、これは慣れ」とは分けられない。ホールが良くなっているのか、それともみんなの合わせ方が慣れてきているのか ── それは誰にもわかりません。おそらく相乗効果だと思いますけどね。とにかく良いことは、音響は悪くはならない、ということ。良くなるだけなんです。そのことはちゃんと伝えます。

 時間がたって、音響が変わったと言う人もいますね。サントリーホールについても「熟成して音響が変わった」と言う人もいますし、また「音響を変えた」と思っている人もいます。これについては、石合さんに何もやっていないよ、ということははっきり書いてほしかった。

── サントリーホールのお仕事をされた1980年代と今で、音響設計家の仕事でもっとも変化したことはなんでしょうか? また、逆に変化していないことは?

豊田 変化したことはコンピュータですね。Windows95が発売されてパーソナルコンピュータが普及したことで、この仕事は劇的に世界が変わりました。たとえばサントリーホールの頃は、ホールの反射音の計算(舞台で出された音がホールの中でどのように反射していくかを追いかけていく計算)を絵で描くというたいへんな手作業でやっていました。その後、大型コンピュータを使うようになってからでも計算には一晩かかっていましたが、今なら同じ作業がパソコンで30秒ぐらいでできてしまいます。それぐらいパソコンによってできることが広がりました。

その一方で、変わらないのはオーケストラの演奏ですね。ですから、サントリーホールで起こったことは今でも起こりうることなのです。

── ホールにレジデント・オーケストラがある場合は、そのオーケストラを想定して音響を設計されるのでしょうか?

豊田 基本的にはレジデント・オーケストラのために作って、「他の人もどうぞ使って下さい」というスタンスで設計します。僕は音響設計家として、基本的にオーケストラの楽器がそれぞれ全部聴こえてほしいと思っています。それはオケによって違ってよいことではなくて、すべてがクリアに聴こえるかどうかは「良い・悪い」の問題だと思っています。テンポが速いとか遅いとか、フレージングとか、強弱とかは演奏家の好みであって、聴衆にも好みがあります。そういうことではなく、僕は音響屋としてステージに出てきている音が全部聴こえてほしいのです。たとえばパリのオーケストラがフレンチなニュアンスを持っているとしたら、フレンチのニュアンスを持っていることが全部ストレートに聴こえてほしい、ということです。

ミューザ川崎シンフォニーホール  (c) 堀田正矩

── ミューザ川崎コンサートホールの設計に関しては、豊田さんはどのような形で関わられたのでしょうか?

豊田 当初、建築デザイナーはもうすこしオペラハウス的な空間を想像していました。ミラノのスカラ座の多層バルコニーがお好きで、そのようなイメージを持っておられたのですが、それはコンサートホールの音響としてはちょっとしんどかった。その頃、サントリーホールやロサンゼルスのウォルト・ディズニー・コンサートホール、札幌のKitaraなどができて、僕たちがいわゆるヴィンヤード形式のホールに自信を持ってきていたので、ヴィンヤード形式はどうですか、と提案したところ、建築デザインのほうも寄ってきてくれて、それではスパイラルな形状はどうか、というアイディアが出されたのです。それならばサポートできるのでやってみましょう、ということになりました。

 ヴィンヤードがなぜ良いかというと、音響のことだけではなくて、ステージが近い、ということなんですね。ステージの向こう側に壁が見えるのではなく、お客さんが見えるということ ── これがすばらしいと思うんです。本当に演奏が良い時に、お客さんがぐるりと囲んで感動をシェアする、という空間ができる。

 もうひとつ、僕がミューザ川崎で目指したかったのは、シドニーのオペラハウスのような街にとってシンボリックな存在となるようなホールでした。シドニーに行ってタクシーにのると、運転手がオペラハウスを自慢するわけです。でも、あの中にどんなホールがあるのか知っている?と訊くと、いや、自分は行ったことはないけれどもすごいんだ、と。 だからミューザ川崎を作る時に、みんなが誇りに思えるようなホール ── 行ったことがないけれども、すごくいいんだよ、とみんなが自慢できるようなもの ── を作りましょう、と川崎市にお願いしました。そういうシンボリックなものを作りましょう、と。もちろん音響だけで観客を集めることはできませんが、でも良い音響があると、良いオーケストラ、良い指揮者が来て、良いコメントを残してくれるわけです。それが相乗効果となって、川崎は良いホールみたいよ、と全国区になっていくのです。設計の時にお願いしたことを川崎市は実現されたと思います。


Yasuhisa Toyota

豊田泰久
1952年、広島県福山市生まれ。広島大学附属福山高校卒後、九州芸術工科大学(当時、現在九州大学芸術工学部)の音響設計学科に入学し、コンサートホールの音響設計に関する技術を学んだ。1977年(株)永田音響設計に入社し今日に至る。ロサンゼルス事務所とパリ事務所(Nagata Acoustics International, Inc.)の代表を務めた後、現在はエグゼクティブ・アドヴァイザーを務める。
2004年8月 Art Center College of Design (California), Bard College (New York) 2大学より名誉博士号授与
2012年5月 日本音響家協会賞受賞 (Sound Engineers & Artists Society of Japan Award)
2018年10月 Richard D. Colburn Award (Colburn School) 受賞
2020年7月 渡邊暁雄音楽基金特別賞受賞
著書に「Concert Halls by Nagata Acoustics」(Springer、2021年)


石合力 著『響きをみがく 音響設計家 豊田泰久の仕事』(朝日新聞出版)
クラシック界の巨匠たちが頼った“耳”がある。東京・サントリーホールからハンブルク・エルプフィルハーモニーの音響設計まで。世界有数のコンサートホールの「響き」を手掛ける日本人トヨタは、いかにして究極の音を実現させたのか。その謎に迫る。

ISBN:9784022517500
定価:1870円(税込)
発売日:2021年3月5日
四六判並製 264ページ