2020年6月15日、コロナ禍に苦しむオペラ界で、ひとつの新しい試みが行われた。オペラ歌手の頂点に立つスター、テノールのヨナス・カウフマンと指揮者アントニオ・パッパーノが、SONY Classicalレーベルからの《オテロ》CD全曲盤(セッションによる全曲録音)の発売を記念して、オンライン会見を行ったのである。
《オテロ》といえばイタリアのヴェルディ晩年期の大作。シェイクスピアの有名戯曲を原作に、勇将オテロが部下ヤーゴの底知れぬ悪意に心を侵され、妻デズデモナの愛を信じられずに転落するというドラマティックな悲劇である。数多の大テノールが挑んだ名作だけに、カウフマンの挑戦心 ─ 彼はすでに本作の映像化を果たしており、それに加えて、このスタジオ録音を新たに行った ─ も、愛好者層の注目を大いに集めている。
当日は、モデレーターのアンドレア・ペンナが司会者になり、全員がイタリア語で話を進めたが、始まってすぐに「サンタ・チェチーリア国立アカデミー合唱団からプレゼントを」ということで、Zoomの分割画面に何十名もの男女が顔を並べ、パッパーノの指揮に合わせて第1幕の〈戦勝祝いの合唱〉を再現。団員たちが久しぶりに活き活きと歌う姿に、画面も賑わったが、シーンを締め括る一言〈ロデリーゴ、飲もうぜ!〉を、カウフマンが横から生で入れたのには、思わず顔がほころんだ。なぜなら、その〈Roderigo, beviam!〉は実は悪漢ヤーゴのパートであったから。大歌手なりのサービス精神が面白かったのである。
さて、会見の主たるテーマは「演技の縛りがないからこそ出来る演奏表現の追究」に関する二人の見解である。まずパッパーノは「リハーサルを繰り返してオーケストラを磨き、ヤーゴ役のカルロス・アルバレスといった大ヴェテランから脇役勢に至るまで、全員から歌の自然な流麗さが得られた」とコメント。デズデモナ役のフェデリカ・ロンバルディのような、デビューから数年で大抜擢されたソプラノも、歌には大いに期待できそうである。
一方のカウフマンは、たびたび「脆さ」という言葉を使い、猛々しいだけでなく、疑心暗鬼になるオテロの「弱い心」を、ヴェルディがピアノやピアニッシモを駆使して描いたことを指摘。第3幕の慟哭のモノローグ〈神よ、あなたは私にすべてを浴びせることができた Dio! mi potevi, scagliar〉における激烈さを代表格に、出来る限り緻密に表現した旨を熱弁していた。
ちなみに、カウフマンの前回の来日時(2018年1月)に筆者はインタビューの機を得たのだが、そこでじかに聞いたところでは、「《オテロ》は演技面から全身を硬直させる瞬間が多く、身体的に非常に負担が大きいので、実演の数は相当に絞りたい」とのこと。その時と同じく、このオンライン会見でも彼は頭を掻きむしり、言葉を必死に纏めながら、真摯に語り続けていた。それだけに、今回のセッション録音は非常に貴重なソースでもある。近年は映像が主流だが、この音源を通じて、「作品の奥の奥」を聴きとるオペラ・ファンがさらに増えてくれればと願っている。
取材・文:岸 純信(オペラ研究家)
(取材協力:ソニー・ミュージックレーベルズ)
【Information】
CD『ヴェルディ:歌劇「オテロ」(全曲)』
ヨナス・カウフマン(テノール)
アントニオ・パッパーノ(指揮)
サンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団&合唱団
[録音]2019年6月24日〜7月6日、ローマ、パルコ・デッラ・ムジカ音楽堂(セッション録音)
SICC30562〜3(2枚組) ¥4800+税
ソニー・クラシカル 2020年夏発売予定
【動画】Jonas Kaufmann: Otello – My Long Journey To Recording Verdi’s Opera