ディートリヒ・ヘンシェル(バリトン)

リートの名手が札響と挑む深淵なマーラーの世界

C)Susanne Diesner

 恒例の札幌交響楽団東京公演。今年は現代を代表するドイツ歌曲の際立った表現者、ディートリヒ・ヘンシェルがマーラーの「亡き子をしのぶ歌」を歌う。
 この「悲痛なテーマに貫かれた、きわめてセンシティブな音楽」(ヘンシェル)は、わが子を亡くした実体験に基づくリュッケルトの詩による歌曲集。作曲後、マーラー自身も愛する娘を失うという悲運に見舞われる。しかし「死」の歌ではない。

「マーラーは後年、もしも娘を亡くした後だったら、この歌曲集を書くことはできなかっただろうと述べています。ただし、リュッケルトは死について直に言及することを慎重に避けています。『死』は歌詞のなかでは触れられていません。いっぽうマーラーの音楽は、今は亡き愛する人びとに対する深い感情に満ちています」

 ヘンシェルは数年前から、マーラーの「子供の不思議な角笛」(全24曲版)で、新たに制作された映像を用いたコンサート企画を展開している。その映像の一部は彼のホームページ上でも見ることができるが、日本の聴衆には未知の、興味深いプロジェクト。

「私のねらいは、『角笛』の曲集の精神が戦争と関係していることを示すことにあります。どちらかといえば晴れやかで快活な曲も例外ではありません。詞に託された重層的な意味や皮肉を理解するのは、そう簡単ではありません。そこで、オーストリアの作家で評論家のシュテファン・ツヴァイクがアメリカ亡命後に著した自伝『昨日の世界』をもとに、映像作家のクララ・ポンズが物語を膨らませてくれました。
 マーラーは、人びとが戦争に寄せる熱狂に対する意思表示のひとつとして『角笛』を作曲しました。当時は、第一次世界大戦が勃発する何年も前で、まだ戦争が政治の一手段とみなされていた時代でした。マーラーが、同時代の社会に根付いた『常識』に反意を示したのは、このうえなく素晴らしいことですし、私自身、彼を深く尊敬しています」

 その「角笛」に比べると、後期作品の「亡き子」や、その間に位置する「リュッケルト歌曲集」は、より内省的で内に秘めた曲集だという。
「『角笛』のほうが、いわば演劇的なのです。喩えるならば心理的な独白劇であり、それはしばしば、対話として展開されます。『一人の人物が対話を繰り広げる』という設定によって、人物の内面の葛藤が浮かび上がってきます。つまりフロイトの深層心理学の要素が多分に含まれているわけです。それは時代の傾向そのものです。ちなみにマーラーは、実の娘を亡くした後にフロイトと出会っています。いずれにせよマーラーの音楽全体は、フロイト的な要素を含んでいると言えます」

冬の札幌での不思議な体験

 今回はこのコンサートの直前、東京と札幌で、盟友・岡原慎也(ピアノ)とシューベルト「美しき水車小屋の娘」を披露する。以前、「第九」を歌った冬の札幌で、不思議な体験をしたという。

「たくさんの雪が積もっていました。運よく、太陽が燦燦と輝いていたので、森の中を散歩していたら、一羽のカラスが私について来ました。まるでシューベルトの『冬の旅』のように…。♪からすよ、奇妙な奴だ/君は僕を見捨てないのかい?(『冬の旅』第15曲より)これからもずっと、あの日の散歩を忘れることはないでしょう」

 乾燥する日本の冬。喉のコンディション維持について聞いてみた。何か秘訣は?
「あります。でも秘密です(笑)。ただ、気にし過ぎるのは禁物。病は気から。あらゆる病気の9割は自分の潜在意識にもとづいていると、私は考えています」
取材・文:宮本 明
(ぶらあぼ2020年1月号より)

札幌交響楽団 東京公演2020
2020.2/7(金)19:00 サントリーホール
問:カジモト・イープラス0570-06-9960/札幌交響楽団011-520-1771
http://www.kajimotomusic.com
https://www.sso.or.jp

他公演(リサイタル)
2020.2/2(日)札幌コンサートホール Kitara(小)(011-520-1234)
2/6(木)東京文化会館(小)(オーパス・ワン03-5577-2072)