【追悼】アンドレ・プレヴィン(1929-2019)

©Lillian Birnbaum/DG

 2月28日、ニューヨークにおいて指揮者・作曲家のアンドレ・プレヴィンが、90歳の誕生日を迎えることなくこの世を去った。プレヴィンは自らも認めるほど24時間を音楽に捧げているような人物だったので「音楽家」という称号がふさわしいだろう。来日の機会も多かったが、80歳のとき(2009年9月)にはNHK交響楽団の首席客演指揮者となり、定期演奏会に何度も客演したため(最終的には名誉客演指揮者)、巨匠指揮者としての印象を強めたことは日本の聴衆にとって幸運なことだった。

 アンドレ・プレヴィンの生涯や功績を、このスペースで表現するのは至難の業だ。指揮者であり作曲家、類いまれなクラシック音楽の啓蒙者であり(日本ではあまり紹介されていないが、テレビ番組や著書などで多くの実績をもつ)、レナード・バーンスタインの後継者として紹介されることが多かったのもうなずける。ウエストコースト・ジャズやハリウッドの映画音楽といったジャンルにおけるキャリアもセットのように紹介されるが、これについては本人もクラシックとは切り離して考えていたようだし、それが偏見を生んでいたという事実もある(ジャズあがり、映画音楽あがりと揶揄された時期も長かった)。

 プロとしてのキャリアは10代の頃から始まり、たしかにジャズや映画音楽での実績が彼をスターの座に押し上げた。しかし(今後、彼の評伝などが日本語で出版されると誤解も解けるのだろうが)、音楽家としての中核をなしていたのは常に20世紀の米英音楽を含むクラシック音楽であり、彼にとっての成功はクラシック音楽界での成功にほかならなかったのである。それゆえ1960年代になってようやく「クラシックの指揮者」として認知され、67年にヒューストン交響楽団のポストを得たとき、プレヴィンは「自分でも呆れるほどの幸運」を噛みしめたという。その後、68年にはロンドン交響楽団のポストも得て世界的に知られるようになり、クラシック音楽シーンでのキャリアが本格化していったのは、多くの方がご承知の通りだ。

 レコーディング・アーティストとしての成功も、彼の評価を大いに高めた。RCA(BMG)、旧EMI、ドイツ・グラモフォンには多くの録音があり、ソニーやデッカ、フィリップス、テラーク等々を含めるとあまりに膨大な数の“遺産”が残されているのは、私たちにとって幸福なことだろう。

 プレヴィンは「指揮者の解釈」という言葉が、およそ似合わないマエストロでもあった。理想としていたのは、シンプルに作品の素晴らしさを伝えることのみであり、作曲家と作品を心から信頼していたのだろう。彼は恩師だったピエール・モントゥーの「オーケストラの邪魔をしないこと」という忠告を、常に忘れなかったという。“音楽家”アンドレ・プレヴィンの真価は、そうしたところにあったのかもしれない。
文:オヤマダアツシ