与那城 敬(バリトン)

この“オペラ・ブッファ”は喜劇? それとも悲劇?

 好青年の人物像からドン・ジョヴァンニのようなアンチ・ヒーローまで幅広く演じる与那城敬。その彼が今回、レパートリーに新しい一歩を踏み出すという。それが「醒めた眼で世を見つめる哲学者」ドン・アルフォンソ。モーツァルトの作品で解釈が最も分かれる《コジ・ファン・トゥッテ》は、実は、この男のコンプレックスから生まれたドラマなのかもしれない──現役第一線の名バリトンが、オペラの奥深さを訥々と語ってゆく。
「オペラ・デビューが2006年の二期会《コジ・ファン・トゥッテ》でして、この日生劇場で初舞台を踏みました。その時は若い士官のグリエルモでしたが、今回はまさかの老哲学者。決まった時は自分でも驚きました」
 声も容姿も爽やかな与那城には、確かに異例の配役だろう。
「今まで直情的な役が多かったのに、このドン・アルフォンソは世界を一段上から見渡すかのように振舞っています。だから、舞台でどれだけ余裕が持てるか、演じる側としては今から緊張しています(笑)。人間は歳をとるにつれて、社会の中で自分の要求や人間性をどう上手く活かせるかと考えるようになりますね。それが大人になるということでしょう。ところで、僕は猪突猛進型で、何度も壁にぶち当たってきた不器用な人間ですが、その僕から見ると、ドン・アルフォンソも、若い頃に何かの失敗で、“人生の壁”を体現した男のように思えるのです。また、そこで抱えたコンプレックスがあるからこそ、彼は、フェルランドとグリエルモにかつての自分と似た状況を見出し、そこで教訓を与えたくなったのかなと想像しています」
 《コジ・ファン・トゥッテ》の物語は、青年2人が恋人姉妹の貞操観念を試すというもの。それをけしかけるのがこの哲学者だが、楽譜の上ではラストは皆もとの鞘に収まり、めでたしめでたしに──しかし、実際はそんなにすんなり運ぶものではないような?
「そうですよね! 小間使いのデスピーナとのやりとりからも、この哲学者の心に、実体験に根差す悲しみが潜んでいるさまが窺えます。その彼が社会の中で上手に振舞うべく身に着けたのが哲学なのかな? 何か煮え切らないものを心にずっと抱えてきた人だと思うんですよ。でも、そのドン・アルフォンソが若者たちに与えた試練の結果は、予想をはるかに超えるものになってしまったのかもしれません。それだけに、今回の演出家、菅尾友さんの解釈に注目しています。僕の役が大学の研究所の長のような人で、フィオルディリージとドラベッラの姉妹は人工知能(AI)の設定だそうです(笑)。どうなることか、興味津々です」
 ちなみに、与那城のこれまでの歩みにおいて、老哲学者の人物像と重なるポイントが一つあるのだそう。それが「決断の時を経た」生きかたとのこと。
「僕はもともとピアノ科の出身です。中学1年で音楽の道に進むと決めた途端、部活は全く諦めて、家でひたすら練習の日々を送る羽目になりました。そのせいか、今も、団体行動にはすんなり入れなかったりします。でも、その決断をしなければ今の自分は無かった…その記憶が、僕の胸の中で、ドン・アルフォンソの行動とオーバーラップするのです。そのような登場人物の内面を、モーツァルトは鋭く音符にしていますね。第2幕フィナーレ六重唱でグリエルモの音型だけが殺気立ち、他の人々と共に平然と歌っているくだりなど、コレペティトゥーアの田島亘祥(ひろよし)さんと練習していてゾクッとしました。反対に、第1幕の姉妹と哲学者の小三重唱〈風が穏やかで〉は、ダ・ポンテのドラマから少し離れた、まるで静止画のような名場面です。ここでは哲学者も皮肉めいたことは全く言わず、音楽の美しさにただ身をゆだねます。僕自身も一番好きな曲です。だから、指揮の広上淳一さんの棒のもと、その美感がそのまま客席に伝えられたなら・・・今回のステージは中高生の皆さんにもご覧いただきますが、若い世代がこのオペラの“苦み”をどう感じるか、アンケートを全部拝見したいぐらいですよ(笑)。本番をお楽しみに!」
取材・文:岸 純信(オペラ研究家) 写真:藤本史昭
(ぶらあぼ2018年11月号より)

【Profile】
桐朋学園大学、同大学研究科声楽専攻修了。新国立劇場オペラ研修所修了。文化庁派遣芸術家在外研修員としてミラノで学ぶ。マリオ・デル・モナコ国際声楽コンクール第3位。2006年《コジ・ファン・トゥッテ》で二期会デビュー。日生劇場《メデア》、同《リア》の他、《エフゲニー・オネーギン》《鹿鳴館》《ドン・ジョヴァンニ》等出演多数。18年日生劇場《アラジンと魔法のランプ》ではランプの精を演じた。19年2月《金閣寺》溝口役に出演予定。二期会会員。

【Information】
日生劇場開場55周年記念公演
NISSAY OPERA 2018
モーツァルト・シリーズ 《コジ・ファン・トゥッテ》

演出:菅尾 友 指揮:広上淳一
出演/(カッコ内は出演日) フィオルディリージ:嘉目真木子(10)/髙橋絵理(11)、ドラベッラ:高野百合絵(10)/杉山由紀(11)、フェルランド:市川浩平(10)/村上公太(11)、グリエルモ:加耒 徹(10)/岡 昭宏(11)、デスピーナ:高橋薫子(10)/腰越満美(11)、ドン・アルフォンソ:与那城 敬(10)/大沼 徹(11)
合唱:C.ヴィレッジシンガーズ 管弦楽:読売日本交響楽団

2018.11/10(土)、11/11(日)各日13:30 日生劇場
問:日生劇場03-3503-3111 
http://www.nissaytheatre.or.jp/