この秋、藤倉大の芸術に触れる
“音楽を聴く”環境
声で、楽器で、コンピュータで音楽を生みだす。生みだすのはこれら、広義のメディア=媒体だが、その発音を司るのは人だ。メディアと人とが結びついて音楽が生まれる。つながりをつくるのが演奏家であり、場を設定するのが作曲家。そんなふうにみてみたらどうだろう。
藤倉大、15歳で渡英した現在41歳の作曲家は、拠点をイギリスに、世界中で作品を発表する。「現代音楽」と呼ぶのがいささか憚られるのは、この人物のオープンな音楽への姿勢による。だがそれは、わかりやすい音楽、とか、単純にいろんなジャンルの音楽とかかわる、とか、いうことを意味しない。人と楽器、テクノロジー、「音楽を聴く」環境ということをごく単純に、21世紀現在の事態として、とらえていることによる。
この人物の名が、この秋、何度かクロースアップされる。二部にわたる「個展」があり、オペラ《ソラリス》の日本初演であり、「ボンクリ・フェス2018」こと、“Born Creative” Festival 2018の監修である。
音が生まれるドラマの諸相、そしてオペラ
「個展」は開館15周年を迎えるHakuju Hallの記念としておこなわれる。開館10周年の2013年にも「アート×アート×アート」の第1回として藤倉大が大きくクロースアップされたのは記憶に新しい。ソロの楽曲があり、小編成の楽曲がある。中には委嘱新作世界初演も含まれる。聴いて、というよりも、ステージに接すればわかるのだが、ここには、先にふれたような楽器——あるいは声——というメディアと、演奏家の身体とがふれあい、音が生まれるドラマの諸相が体験できる。個々の楽器と演奏家、それらが具体化されるソロ作品はもとより、こうした組みあわせが複数になり、重ねあわされ、衝突し、ずらされるアンサンブル作品が、適宜、配される。音響としてのおもしろさのみならず、人の身体と楽器とのつながり、そのあらたなる発見が聴き手にはあるはずだ。しかも演奏する人たちが若く(小林沙羅、新倉瞳、福川伸陽、カルテット・アマービレほか)、みごとなテクニックを持っていることも忘れずにつけくわえておかなくてはなるまい。
《ソラリス》は、15年にパリ、シャンゼリゼ劇場で初演されたオペラ。タイトルにみおぼえはないだろうか。そう、ポーランドの作家、スタニスワフ・レムの小説であり、それをもとにしたタルコフスキーの映画『惑星ソラリス』、あるいはソダーバーグの同『ソラリス』である。ストーリーの枠組はSFとなるかもしれないが、はるかに形而上学的な深さをそなえた原作が、はたしてどのように舞台化されるのか。初演時は勅使川原三郎が視覚的側面を全体的に手掛け、しかも演戯者と歌い手を故意に切り離す演出がなされていた。今回は演奏会形式で、ただ一回の公演という貴重な機会。主人公ケルヴィン役にサイモン・ベイリー、その恋人役に三宅理恵らが出演する。管弦楽は佐藤紀雄指揮のアンサンブル・ノマド。
あわせて、《ソラリス》上演のほぼ1ヵ月前、おなじ東京芸術劇場でおこなわれる「ボンクリ・フェス2018」は、劇場の複数の施設をつかって同時並行的に音・音楽との出会いがつくられる。文字どおりの「フェスティヴァル」。「ボンクリ」というと、お盆と正月ならぬ、お盆とクリスマスが一緒に、というそれこそ凡庸な連想がはたらいてしまうが、「Born Creative」と、ただの音楽祭ではなく、ただ「きく」「みる」ではなく、「つくる」ことが組みこまれているところに、アーティスティック・ディレクターである作曲家の、ただみずからが作品をつくるのとは異なった、未来への姿勢をみられるのではないか。
音楽は刻々と、世界、世界中でつくられている。ジャンルを問わず、だ。だが、本来、ステージで、生の音で接する音楽はどうだろう。ネットをとおしてなら可能でも、なかなかいま・ここで接する機会は多くない。
文:小沼純一
(ぶらあぼ2018年10月号より)
ボンクリ・フェス2018“Born Creative” Festival 2018
2018.9/24(月・休) 東京芸術劇場 コンサートホール 他
東京芸術劇場コンサートオペラ vol.6 歌劇《ソラリス》全幕(演奏会形式)
2018.10/31(水)19:00 東京芸術劇場 コンサートホール
問:東京芸術劇場ボックスオフィス0570-010-296
http://www.geigeki.jp/
Hakuju Hall 開館15周年記念 「藤倉大 個展」
2018.10/20(土)Part1 14:00 Part2 15:30 Hakuju Hall
問:Hakuju Hallチケットセンター03-5478-8700
http://www.hakujuhall.jp/