勅使川原三郎 (演出家・振付家・ダンサー)× 山下洋輔(ピアノ)

“からだ”全体でぶつかりあう筋書きのないドラマ


 勅使川原三郎は1970年代初頭から山下洋輔の音楽を聴いてきた、という。「ファン」というより、もっと遠くにいる偉大なピアニスト、と言い表す。昨年、ライヴハウス新宿ピットインで、梅津和時に招かれるというかたちで、山下と初共演。下手にピアノ、上手にサックスのまんなかで即興的に踊った。今回は山下のピアノと勅使川原の身体がじかに対峙する。
 勅使川原は、ステージ上で山下の音・音楽に接し、それまで想像していたのと違っていたと言う。
勅使川原(以下T)「距離が違うんです。山下さんがそこにいる。肉体、からだ、がそこにある。山下さんの音には、突きつけるようなところがある。たとえやわらかいフレーズであっても、です。激しさと強烈なソフトさと、相反するものがある。ものすごくポジティブなんだけど、安直にはノレない。この音・音楽に触れている自分が安心しないように踊らなくてはならない。そんなふうに感じていたんです」
 初対面がいきなり共演だったという山下も、大いに触発された。
山下(以下Y)「狭いステージなのに素晴らしい表現をされて、こちらはその動きを感じて音を出しました。ピットインはわが家みたいなものですが、そこに来てステージに上がれば、誰が何をやってもジャズの、即興の共演者なんです。ドラマーやベーシストはもちろんですが、勅使川原さんの場合はそれが動きなんです」
T「山下さんの演奏は、音楽というより“からだ”。全身で見て、鍵盤でふれる。指先や手だけではなく、からだ全体で弾いている、眼も使ってね。僕自身も全身で踊るわけだから、全身でぶつかりあうおもしろさがあるんです。音なんだけど音以上の音、音楽ではあるけれど、音楽性とか、音楽の広さとか、さらに音や音楽が持っている激しさ、おもしろさ、きわどさが顕れてくる。とても繊細な美しい強さといったものを感じたんです。美意識と言ってもいいかもしれないけれど、キレイなんじゃない。むしろ切れ味でしょうか。これを逃したら二度とやってこない、そんなものを掴んでしまう激しい感覚。相反することが同時進行している力。そんな強烈な体験だった」
 二人のあいだで決めていることはまだ何もない。
Y「何も言ってくれないんですよ(笑)。即興的なものが多いかとは思うんですが、ひとつだけ、ショスタコーヴィチの『ジャズ組曲』の〈ワルツ〉の楽譜が届いています。ただ、どうなるのか?」
T「直前に考えることがおもしろいんですよ。それまで抑制しておいて。ひとつには、グランドピアノが三本足の馬に見える。山下さんがピアノに跨がっている。静かな馬を荒馬に変えてしまう。グランドピアノという、その黒い固まりのようなものが浮遊していって、空の色を塗り替えてしまう。そんなことを想像する。でも想像だけじゃなく、本物の黒い馬が一頭、実際にステージに登場するんです。黒塗りのグランドピアノと黒光りする黒馬! 僕にとっては最高の設定。僕はね、音が鳴る前にもうそこに音楽があるように思えてしょうがない。そこから何かが始まってくるような。雰囲気ではなく、その場に充満する空気、ひっくりかえる直前の真っ平らな、波がくる直前の静けさ。あとは音が鳴ったらば……」
Y「筋書きというのも一切届いていないんです(笑)」
T「振付をしたいわけじゃないんです。そのときどきの“呼吸する空気”で踊る。かといって、即興と一言でいってしまうとイメージができてしまう。時間・空間のなかでおこること、それがすべてです」
 山下は最近、自分たちよりも美術の人たちがいちばん過激だ、と感じると語る。
Y「35年ぶりにピアノを燃やしながら演奏するということが実現しました。これは音楽会ではできませんよね。こういう発想は美術ならではです。聞けば、勅使川原さんは美術のご出身だという。なるほど、と。このかたの美術作品の一コマで僕はかまわない(笑)」
T「概念を壊すというのは、モノに対してもあるし、また、音に対してもあります。美しいっていうのは決められたもんじゃない。何かに触れたときに感じるものです。それを今回もできたらいいですね」
取材・文:小沼純一 写真:吉田タカユキ
(ぶらあぼ 2016年10月号から) 

勅使川原三郎 × 山下洋輔『up』
10/7(金)19:30、10/8(土)16:00、10/9(日)16:00 東京芸術劇場 プレイハウス
構成・振付・美術・照明:勅使川原三郎
出演:勅使川原三郎 佐東利穂子/山下洋輔
問:東京芸術劇場ボックスオフィス0570-010-296
http://www.geigeki.jp