
文:青澤隆明
写真:大窪道治 提供:TOPPANホール
ハーゲン・クァルテットの最後の季節を追っているうち、家ということについて自ずと考えがめぐった。それは、音楽の家であり、人間の帰る家である。4人が組み建てながら住まうのは、もちろん作品のうちだろう。では、その家をどこに、どのように建てるか――。
私がみるに、ハーゲン・クァルテットがしあわせに旅を結ぶことを決意するにいたったのには、成熟の時を実らせるによい場を得て、そこで相応しい音楽を達成していったという側面が確実にあった。それは彼らの心の内にあり、また身体の外にもあった。
ザルツブルクやウィーンには若き頃からの音楽的な「実家」があるだろう。そして、東京においてはTOPPANホールと20年来の関係を着実に温めてきた。ここの空間と聴衆のもとでは、囁きや呟きのような表現を、繊細かつ鮮明なかたちでとることができる。
そうしてハーゲン・クァルテットは45年にわたる世界各地での活動の締め括りとして2026年夏、親密なるTOPPANホールをラスト・ステージに見据えて構想した。彼ら4人がいま、ハーゲン・クァルテットの最後の言葉として叶えたいことが、この場所での音楽づくりにまさしく符合するからだろう。自身の円熟とともに、長き歳月を経て彼らが独自に辿り着いたクァルテットとしての究極的な表現を、現実的に成し得るかたちで構想できたのに違いなかった。

ひとりがなにかを発言し、物語を語りはじめる。もうひとりがそれに自らの語りを重ねる。きっちり合わせるのではなく、自らに相応しい口調で、言い添えるように重ねていく。さらに、もうひとりが加わり、あるいはふたり、そしてついには4人がいっしょに音を動かす。
そうして、個々の対話を作品固有の時間のなかで刻一刻と積み上げ、その先に合奏の理想を手繰り寄せるように歩んで行くのだ。4声の均整を精細に図ることにもっぱら執心するよりも、どこかしらアバウトな性格をもち、しかしその先で緩やかに和合する。どこまでも個人は個人であり、その先に4人としての彼ら、すなわちハーゲン・クァルテットが育まれていく。
だから、そのアンサンブルは緻密というよりは精妙、有機的で生温かく、どこまでも人間的な冒険を映し出していた。彼らは設計として合わせることも、習慣的に合ってしまうことも望まず、4人がばらばらのままひとつになるちょうどよいバランスを、ここへきて探り当てたのである。併せて、息づかいを細心聴き洩らさず、しかもくっきりと客席へ手渡すのに相応しい場所を得て、彼ら4人はクァルテットとしての最終的なデザインをまとめ上げていった。そのことは少なくとも、昨秋の所沢ミューズや今夏のミューザ川崎で前後してみられた音楽づくり、とりわけ弱音への顕著な志向を聴くかぎり、明らかだと思われた。
もはやことさら大きな声で議論する必要はなく、率直な声や思いや考えを互いに遠慮なく、ていねいに打ち明けていけばいいのだ。そうして語り合いを刻々と紡いでいくことがそのまま作品の道筋に重なり、そのたびごとに彼ら固有の音楽を織りなしながら生きることにもなる。そういう地平を臨むところにまで、他ならぬこの4人でようやく到着したのだった。
そのようにして、ハーゲン・クァルテットは家に帰った。「ハウスムジーク」というものがいまも脈々と息づくならば、シューベルトこそはそのロマンティックで自然な象徴となろう。
最後の2公演の幕開け、モーツァルトのト長調K387が始まるや、私はもはやなにも考えることなく、ただその瞬間ごとにその場で起こり、語り継がれていく音楽に心身を委ねていた。
シューベルトの弦楽五重奏曲ハ長調D956でクレメンスの愛娘ユリア・ハーゲンを、翌日の冒頭は谷昂登をシューマンのピアノ五重奏に交えたのは、未来への灯を、というハーゲン・クァルテットの思いだろう。
それから、シューマンの四重奏曲第3番イ長調でそれぞれの主張を相応しく語り合った彼らは、シューベルトの今度はイ短調からイ長調にいたる「ロザムンデ」で、長年にわたる旅の終わりを明朗に結んでいった。それも感傷に依りかかるのではなく、いつもしてきたことの続きであるように。一期一会の演奏を生きていっただけの、あたりまえの姿勢で。
つまるところ、彼ら4人は最後の最後まで、最後を思い立てることなく、足を止めなかったのである。過去の一時期、仮に停滞とみえた時節があったとして、それも止まっているのではなく耐えて動いていたのだろう、といまは思えてくる。そのようにして同じ時代を生きぬいていく音楽家をときどきに聴き継ぐことができたのは、私たちにとっても幸いという他ない。

ハーゲン・クァルテット自らがTOPPANホールを “our living room”と称したのは、お世辞でも誇張でもなかった。ウィーンのコンチェルトハウスやシューベルティアーデを身近な本拠としたように、このホールを日本での拠点としてきたという意味だけではない。小さく細かなことを適えるための声と息づかいに合う特別な空間とみて、ハーゲン・クァルテットの4人は彼らの血の収束を、そして終息の地をここに相応しく結んだのだった。
「私たちのリヴィング・ルーム」とは文字どおり、私たちにとっても居間であり、同時に、彼らが生きる空間や余地でもあった。ここでシューベルトをいまいちど訪ねながら、信じて探り続けた長い旅を経て、ハーゲン・クァルテットは彼ら固有の音楽の家に帰っていった。


青澤隆明 Takaakira Aosawa
書いているのは音楽をめぐること。考えることはいろいろ。東京生まれ、鎌倉に育つ。東京外国語大学英米語学科卒。音楽評論家。主な著書に『現代のピアニスト30—アリアと変奏』(ちくま新書)、ヴァレリー・アファナシエフとの『ピアニストは語る』(講談社現代新書)、『ピアニストを生きる-清水和音の思想』(音楽之友社)。『ショスタコーヴィチを語る』(青土社)で、亀山郁夫氏と対談。そろそろ次の本、仕上げます。ぶらあぼONLINEで「Aからの眺望」連載中。好きな番組はInside Anfield。
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