世界最高峰カルテットの核心に迫る! エベーヌ弦楽四重奏団「ベートーヴェン・サイクル」最終夜 公演レポート

 今年のサントリーホール チェンバーミュージック・ガーデン(CMG)最大のイベントにして、日本の室内楽界隈においても特別な注目を集めたのが、「ベートーヴェン・サイクル」へのエベーヌ弦楽四重奏団(エベーヌQ)の登場である。
 毎年ひとつの団体がベートーヴェンの弦楽四重奏曲全曲を完奏するCMG名物企画だが、今年はサントリーホール40周年の記念に、世界最高の人気と実力を誇るエベーヌQが担当。さらに2024年にチェロに岡本侑也が加わってから2度目の来日、大規模の連続公演は初ということもあって、より期待は高まり、チケットはセット券も単券も即完売、6回熱心に通った愛好家も多い。

 エベーヌQの長所は枚挙にいとまがないが、まず総合力の高さと安定感。隅々まで完全に作り込み、一分の隙もなく本番で再現する。その上で、個々人のトップクラスの技量と抜群のセンス。4人の完璧なハーモニーと澄んだ音色は格別で、それでいてどの瞬間も守りに入ることなく、わずかなニュアンスの変化をサラリと、しかし明確に表現する。そして圧倒的なライブ感。4人が超高感度のアンテナを張り巡らし続け、どこまでが練習通りか判別できないほど、その場で音楽が生まれてきたかのような鮮烈さに満たされる。

地震でも途切れない「ラズモフスキー第1番」、生命力大爆発の「大フーガ」!

 そういった特長が、6月16日の最終公演で、思わぬアクシデントの連続によっても示されることになった。それらは前半の第7番「ラズモフスキー第1番」第4楽章の提示部リピート時に続けて起こった。まず、ファーストのトリルから冒頭に戻るところで、ピエール・コロンベが少し困った表情でセカンドのガブリエル・ル・マガデュールを見る。それにハッと気づいたマガデュール、即ファーストの譜面に手を伸ばしてページを戻す(リピート時に弾きっぱなしのファーストに代わり、セカンドがページを戻すことになっていたようだ)。セカンドはヴィオラと交互の1モチーフだけ弾けなかったが全体の影響はほぼ無し、ヴィオラのマリー・シレムも含めてしばらく笑顔を浮かべていた。彼らにもそんなことがあるんだと微笑ましい場面であると同時に、イレギュラーな視線を一瞬で察知して、演奏の質を落とさずに対処できる余裕も見ものだった。
 続いて、その数十秒後、地震が発生、ホールが揺れ始めた。変わらず演奏し続けたが、この日の揺れは長く(北関東で最大震度5弱)、音楽がわずかに落ち着くところでさすがに3人がコロンべの様子を一瞬見る。しかしぎりぎりのところで「このまま行く!」というオーラと共に決然と高速パッセージを弾き始め、動揺を見せることなく演奏が続いた。これらのハプニングの連続は、彼らのアンテナの精密さ、集中と余裕のバランスを思わぬ形で証明することにもなったのである。

写真はすべて「ベートーヴェン・サイクル」初日(6月9日)のもの。
©Koji Iida / SUNTORY HALL

 最終日の象徴的な出来事に字数を使ってしまったが、演奏は言うまでもなく、というより期待や想像をこえる名演・快演の連続だった。ことにサイクル最後の曲に選ばれた、第13番の最終楽章に置かれた「大フーガ」は、エベーヌQの特別な得意演目で、複雑なスコアが眼前に浮かぶかのようなクリアさとバランス、ハイテンションながらそれを俯瞰で見ているかのような安定感、そして圧倒的な高揚感でボルテージを上げ続ける、圧巻というほかない15分だった。

3年後には“30歳”、エベーヌQが見据える新たな旅路

 ここで彼らの演奏について少し考察してみたい。開放弦やノンヴィブラート主体で固い響きをつくる場面から、低い弦のハイポジションの温かい音に一瞬で切り替え、ときには室内楽では異例なほどにソリストのような歌で陶酔させるなど、音色の幅は変幻自在。いわゆる大きなヴィブラートを使うことはもとより少ないが、新たに加わったチェロの岡本にもそれは顕著だった。ソリスト時とは違いヴィブラートを細かくして音質を引き締めることで、自らの倍音は抑え気味にしつつ、4人全体の倍音は理想的にコントロールされている。
 ボウイングも、動きをコンパクトに締めるところと解放するところ、あえてセオリーの逆をいくところなど、瞬間ごとの工夫と閃きに目も離せない。弓順の上下も細かいところは決めすぎず、流れるときはバラバラになってもいいし、セオリー外のところは逆に決めて、など新鮮に演奏に臨む工夫に興味が尽きない。

©Koji Iida / SUNTORY HALL

 一方奏者については、チェロの岡本の加入の効果も見てとれた。不動のチェリストだったラファエル・メルランの脱退を機に加入してから2年、岡本がエベーヌQにすっかり馴染み、さらにはエベーヌQが次のステージへ変化していくために岡本が必要だったのか、とさえ感じられたのである。
 創立メンバーのヴァイオリン2人も40代に入り、自ずと変化も出てくる。エベーヌQという団体としても、センスに身体能力も併せて、2010年代にはすでに大変な完成度の演奏を構築していたが、22年の来日時には自分たちの世界に没入しすぎなきらいもあった。それが今回、これまでのライブ感重視のパフォーマンスから、普遍的なものを残していこうというステージに入ったように思われた。そのために必要だったのが、トップソリストの力量をもちながら、冷静に落ち着いて4人の世界を支えつつ、新たに世界を構築することのできる、岡本という存在だったのではないだろうか。
 世界の度肝を抜いたアンサンブルのメソードを開発したエベーヌQだが、それを活かした優秀な若手カルテットが数多く生まれてきて、今度はそのメソードを自ら乗り越えていくという段階に入った。今回、岡本というピースを得て、それまでの長所を保ちながら落ち着きと深みを増し、4人として新境地に入りつつあることをCMGの場で示したのである。

最終夜の演奏終了後は、割れんばかりの拍手と歓声で迎えられた。
©Koji Iida / SUNTORY HALL

 今回のサイクルには、室内楽ファンは言うまでもなく、室内楽を普段はそれほど多く聴かない人も詰めかけた。そして、彼らの演奏への興奮とともに「ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の凄さに圧倒された」という声も多く見受けられた。その通り、エベーヌQの演奏は紛うことなく世界トップのものだったが、一方では彼らだけが斬新なベートーヴェン像を見せているわけでもない(近年のCMGのサイクルでも、エリアスQの完成度や温かい感銘は勝るとも劣らぬ感動があり、シューマンQの名技と愉悦感も忘れがたい)。
 これを機にさらにベートーヴェンのカルテット作品、さらには室内楽全体がより広く聴かれていくきっかけになれば、CMGとしても何よりの成果となる。2027年はベートーヴェン没後200年の大アニバーサリー。どんなカルテットの演奏が聴けるのか、楽しみに待ちたい。

©Koji Iida / SUNTORY HALL

文:林昌英
写真提供:サントリーホール

【Concert Information】
サントリーホール チェンバーミュージック・ガーデン 2026
エベーヌ弦楽四重奏団 ベートーヴェン・サイクル

2026.6/9(火)~6/16(火) サントリーホール ブルーローズ(小)(全6公演)

出演
エベーヌ弦楽四重奏団
 ピエール・コロンベ、ガブリエル・ル・マガデュール(以上ヴァイオリン)、マリー・シレム(ヴィオラ)、岡本侑也(チェロ)

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【Ⅵ】 6/16(火)19:00 サントリーホール ブルーローズ(小)

曲目
ベートーヴェン:
 弦楽四重奏曲第7番 ヘ長調 作品59-1「ラズモフスキー第1番」 
 弦楽四重奏曲第13番 変ロ長調 作品130「大フーガ付」 

サントリーホール
https://www.suntory.co.jp/suntoryhall/


林 昌英 Masahide Hayashi

出版社勤務を経て、音楽誌制作と執筆に携わり、現在はフリーライターとして活動。「ぶらあぼ」等の音楽誌、Webメディア、コンサートプログラム等に記事を寄稿。オーケストラと室内楽(主に弦楽四重奏)を中心に執筆・取材を重ねる。40代で桐朋学園大学カレッジ・ディプロマ・コース音楽学専攻に学び、2020年修了、研究テーマはショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲。アマチュア弦楽器奏者として、ショスタコーヴィチの交響曲と弦楽四重奏曲の両全曲演奏を達成。