細川俊夫×多和田葉子×大野和士
新国立劇場から世界に問う多言語オペラ《ナターシャ》、8月世界初演

 2年前の2023年3月、細川俊夫のヴァイオリン協奏曲「祈る人」が、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団によって初演された。自然と人間の一体性を主題にしてきた細川は、この作品で戦争という野蛮な行為によって自然を破壊する人間の姿を織り込んだ。当時、ベルリンの文化イベントで細川は新たなオペラの創作に取り組んでいることを明かしていたが、ついにその全容が明らかになった。

 この8月、新国立劇場で細川俊夫作曲の新作オペラ《ナターシャ》が世界初演される。オペラ部門の大野和士芸術監督が打ち出す「日本人作曲家委嘱作品シリーズ」第3弾として実現するものだ。

左より:大野和士/細川俊夫 ©Kaz Ishikawa/多和田葉子

 台本を手掛けたのは、ベルリンを拠点にドイツ語と日本語の両方で小説や戯曲を発表し、世界的にも評価の高い作家の多和田葉子。細川から「日本発の多言語オペラを創ろう」という誘いを受けた多和田は、「脳に電光が走った。オペラという形で、現代世界のダイバーシティを表現してみたい」と思ったという。

 作品のテーマは、深刻度が増す地球の環境破壊。物語では、アラトという日本人の青年が、大きな災害で母を失った後に遠い国を旅していて、やはり故郷を追われたウクライナ人女性のナターシャに出会う。そこに「メフィストの孫」と名乗る謎めいた男が現れ、アラトとナターシャは現代に渦巻く7つの「地獄」を旅するというストーリーだ。

 地獄を巡るというアイディアは、多和田がコロナ禍の時期に読み直したダンテの『神曲』から発想を得た。そこには、森林破壊、洪水、干ばつといった、危機に瀕した地球のうめきのみならず、「快楽地獄」や「ビジネス地獄」もあるという。5月に行われた記者懇談会では、細川が「私のオペラで初めて調性音楽が使われています。ハ短調です」と、新しい手法を取り入れたことも明かした。

左より:イルゼ・エーレンス/山下裕賀 ©Yoshinobu Fukaya/クリスティアン・ミードル/クリスティアン・レート

 タイトルロールのナターシャには、細川の信頼も厚いソプラノのイルゼ・エーレンス。アラトにメゾソプラノの山下裕賀、地獄への案内人となるメフィストの孫にバリトンのクリスティアン・ミードルなど、最高の歌い手が揃った。演出と舞台美術はドイツ出身のクリスティアン・レートが手がける。オペラの中で中心に歌われるのは、ドイツ語、日本語、ウクライナ語だが、ゲーテの『ファウスト』をはじめ古今東西の文学が引用されたり、冒頭の合唱では「海」という言葉が実に36もの言語でささやかれたりと、かつてない多言語のオペラ体験が待ち受けているのは間違いない。

 アラトとナターシャの旅の行方が気になるところだが、タクトをとる大野は、「異なる言語によって、それぞれの内面により深い結びつきが呼び覚まされるという意味での多言語であり、最終的に言語世界を超えるというところにこのオペラの面白さがある」と語る。そしてこうも言う。「魂を動かすことができるのが音楽という存在」と。

 地球のうめきに耳を澄ませるためにも、この夏、画期的な制作陣による多言語オペラの誕生をぜひ目撃したい。

文:中村真人

(ぶらあぼ2025年7月号より)

新国立劇場 オペラ
細川俊夫《ナターシャ》(新制作 創作委嘱作品・世界初演)
2025.8/11(月・祝)14:00、8/13(水)14:00、8/15(金)18:30、8/17(日)14:00
新国立劇場 オペラパレス
問:新国立劇場ボックスオフィス03-5352-9999
https://www.nntt.jac.go.jp/opera/